田舎の直売所で出会った男子

 世の若者たちがやれタピオカよ、花火大会よと青春を謳歌する夏休み。うら若き乙女であるはずの私は今日も炎天下の広域農道をスクーターで駆ける。


 私の住むこの田舎町には予備校がない。昨年受験に失敗してめでたく浪人生となった私は、就職組の同級生や高校の後輩たちの目を避けるようして実家住まいの毎日を過ごしていた。

 駅前の図書館を敬遠し隣町の町立図書館へとわざわざ出向いては黙々と受験勉強に勤しむ日々。


 とにかく私がこの状況を抜け出すには進学しかない。その一念が私の精神を崩壊の一歩手前で支えていた。


 田園のど真ん中を突っ切る片側1車線の農道。車が止まっているのを見たことがない信号機の横に、ひっそりと立つ一軒家があった。

 小さな畑と、その一角だけこんもりと生い茂る木、そして割りとしっかり柱が組まれた屋根つきの販売所のようなものが見える。


 この付近では野菜や米、玉子などを売っている販売所などそう珍しいものではない。だがスクーターでこの道を横切る時、私はいつも一抹の疑問を抱くのだった。


 まず、この販売所のカウンターに何か並んでいた試しがなかった。普通なら付近でとれたトマトや茄子を置くものではないのだろうか。


「あそこって何売ってる店なんだろ?」


 ある日、夕方の帰り道に信号待ちをしていた私に突然の大雨が降ってきた。


「あちゃー! まだ家まで距離あるし……、ずぶ濡れになっちゃうなあ」


 こんな時のためにスクーターの座席の下に携帯型のカッパを入れてある。だが雨避けのないこの場所で着替えるなんて無理。


 私は咄嗟に販売所の前に駐車するとカッパを取り出して屋根の下に駆け込んだ。


「ふ~、髪の毛濡れちゃった……」


 販売所の中は、この雨も勿論だが周囲の木陰の影響もあり意外にもひんやりとしていた。


「……え?」


 ふと目をやった店の奥に、椅子に座って本を読む男性の姿が見えた。


──なの!?

 普通こういうのって無人じゃないの?

 料金箱が置いてあって……。

 て言うか、このひといつもここに居たの?


 むくむくと膨らんでいく私の心の動揺を知ってか知らずか、彼は静かな口調で言った。


「……雨やどり、してけばいい」


「あ、す、すいません! 雨具を着たらすぐ出ますんで……」


 背が高くて伸びきった髪。白のシャツにジーンズ、歳は私より少し上に見える。20歳くらいだろうか。よく見ると……カッコいい。


「……あの。ここって、お店ですか?」


 恐る恐る聞いてみると、彼は黙って私の隣にある張り紙を指差した。そこには味のある筆文字が書かれていた。


「……う、で、お?」


「……らごす」


「……ラゴスって読むんですか? よ、読めない……っていうか、それ、お店の名前?」


 彼は持っていた本を畳むと、


『気象予報官が言うには……』


 そう言って私を見た。


「……え?」


 しばらく彼は視線を動かさず、やがてふっと息をつくと再び本のページをめくり始めた。


「雨、やんだ」


 彼の言葉に外を見ると、雲の間からお日様が覗いて遠くには微かに虹がかかっていた。


「あ……、すいません……。

 じゃあ……、しつれいします」


 その出来事以来、この変なお店への私の関心は日に日に高まるばかりだった。


「○○市□□町、……だったっけ?」


 家のパソコンで検索してみるがそれらしいお店の情報は出てこない。友達や親に聞くのも何だか気が引ける。

 毎日の町立図書館への行き帰りに車道から店をちらりと覗いてみる。やはり今日も陳列台の上には何もない。

 数日前の朝、店から出ていく年配の男性の姿を見た私は思わずスクーターを止めてその人を凝視した。手提げ鞄以外には特に買い物したような形跡はない。


「……そんなの、気にならないほうがおかしいでしょ?」


 図書館の机の上でぽつりとこぼした時、ふと蔵書検索用のデスクトップパソコンが目に入った。


「ら・ご・す」


 今思えば、何でこんな行動をしたのかもわからない。勉強以外のことを考えてみたくなっただけかもしれない。


「該当……CD1件、本……1件……?」


──


 翌週の月曜日、私が販売所に寄るとまるでデジャヴではないかと思われるほどの寸分違わぬ状態で彼は座っていた。

 

 「……晴れてる」


 「雨宿りじゃないですってば」


 相変わらず白いシャツとジーンズ。彼は何をして生計を立てているのだろう。


 私はすぅっと息を吸い、その言葉を発した。


『大雪が降るそうだ』


 彼は私の方をぼんやり眺めている。その表情からは彼の心の内を感じとるエッセンスは微塵も感じられない。


 私は続けた。


「……でしょ? 『気象予報官が言うには、大雪が降るそうだ』

 【旅のラゴス】っていう昔のSF小説の冒頭の一文。この間は、このセリフのこと言ってたんだよね?」


「……」


「何か言ってよ!

 ピンポーンとか、不正解、とかさ。すっごく気になって寝れなかったんだから!」


 彼は動かない。もしかして私、イタい奴だと思われてる?


「……読んだ?」


「へっ?」


「その本……」


 自慢ではないが、日頃本なんか読まない私は、この本を一晩かけて全部読んでしまった。正直、面白くて夢中になった。遠い世界の、旅の物語。


 こくりと頷いた私を見て、彼は引き出しから一冊の大学ノートを取り出した。ノートの表紙には、やはり独特なタッチの筆文字が書かれていた。


砑螺貝つめたがいのラピッドアイズ】


「え? どゆこと?」


「……俺が書いた小説」


「小説って……、ただのノートじゃん。あなた自分が小説家だって言うの?」


「……貸本屋」


「貸本? この手書きのノートを人に貸してるってこと? あなた、20歳くらいでしょ? お仕事もしないで?」


「……24歳」


【け、けっこういってた……!】


 私は彼の行動が理解できないまま、言葉を失った。

 この時代にパソコンで打ったわけでもない、印刷会社が刷ったわけでもないただの殴り書きのノートを、一冊しかないからって、しかもこんな野菜でも売ってそうな無人販売所みたいな有人販売所で……貸すだって?


「……ありえん」


 彼は微動だにしない。


「あなたには関係ない話だけど、私、浪人生なの。この街から脱出するために、進学するために努力してるの。

 それなのに、こんな……なんなの?」


「……」


「わたし……わたし……何のためにこんなに毎日……」


 筋違いはわかってる。八つ当たりなのもわかってる。でも、涙がこぼれるのを止められない。


「……これが、俺の全部だから」


 その時、店に人が入ってきた。


「こんにちは。先週借りた本、返しに来たわよ。

きっかり一週間、早くても遅くても駄目。それが決まりだものね」


 この前見た男性とは違う、年配の女性だった。私は慌てて涙を拭う。


「やっとここまで来た。9年かけてやっと400巻までたどり着いたわ」


 女性は彼にノートを返却する。私は驚いて聞き返した。


「よ……よんひゃくっ?」


 女性が笑った。


「実は数年前に大きな病気をしてね。そんな時、この本が私を勇気づけてくれた。ワクワクして、でもどこか懐かしくて。何度も何度も読み返した。

 ……彼は私の恩人なの」


 400巻目を受け取った女性は、料金箱にお金を入れると嬉しそうに去っていった。


 彼は返却されたノートを大事に引き出しに締まった。

 再び店の中は彼と私の2人きりになる。


「……あ……あの……。

 ごめんなさい!

 私、あなたにとても失礼なことを言ってしまった。

 なんだか……その……羨ましくて」


 彼は何も言わない。ただ、その目が優しく語りかけてくる気がした。


「あの……私もこの本読んでみていいかな? 勉強の合間に。そしたら頑張れるかも。受験」


 彼が初めて笑顔を見せた。その時、自分の胸の奥に生まれた小さな波紋を隠すのに、私は精一杯だった。


「……それ」


「ん?」


 彼が私の持ってるノートを指差した。


「401巻」


「ええ! 1巻は?」


「貸出中」


「……ああ~……」


──

 人は何者にもなれない。なれるとすれば、本当の自分になれるだけ。

 先行きの見えない未来に迷いそうになった時は探してみてはどうだろう。

 あなたの町にもあるかもしれない。

 おかしなおかしな、有人販売所。

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