Angel's Fall ~暗闇と階層に閉ざされた誰も知らない世界の物語

「ここいらの栄養土も食べ尽くしたわね……」


「ああ、そろそろ南方のロヴィッチ高原あたりまで縄張りを拡げないと大事な家畜ノボイーたちが痩せ細っちまう……」


 2人は小高い丘から真っ暗な空を見上げていた。

 姉のニライカナイは地底の民【ニル族】の長で、弟のアモエバは彼女の側近として仕えている。


「南進するのは今はおすすめできないわね。南方の蛮族が最近暴れてるし、この季節は野生のツノトカゲが攻撃的になってる」


「姉上はいつも慎重すぎるよ。我々の数と魔法をもってすれば、もっと広い土地に移り住むことだって出来るのに」


「アモエバ、大地は有限よ。

 奪い取ってもいつか疲弊してしまう」


 彼女たちの住む世界は四方を大岩盤に囲まれ、常に闇に閉ざされている。彼女たちニル族に限らずこの世界の人々は大地に穴を堀り、深い地層の下に都市を形成し生活してきた。


 洞穴の奥で菌類を栽培し、それを餌に家畜を育て、地底の植物は水を蓄える機能を担った。


 時おり起きる民族間の争いもあったが、それぞれの族長らが集まる評定会議が定期的に行われることで均衡は保たれていた。


 ニライカナイは代々不思議な魔力を操る占術師の末裔として一族を率いてきた。


 そんなニライカナイは5歳の時、先代の族長、つまり彼女の母とともにある光景に遭遇した。


 それはこの世界を覆う漆黒の空に巨大な口が開いた瞬間だ。

 目が眩むような光が大地に降り注ぎ、大量の飛来物が滝のように流れ落ちたのだ。


 その物質には従来の土壌に無い豊富な栄養成分が含まれており、それ以降、大地は豊かな食物を育む楽園となった。


大天使の恩恵エンジェルズ・フォール


 そう呼ばれ語り継がれるこの世界に起きた奇跡だ。


「あの時、天から飛来した未確認物質は【レア・アシッド】と呼ばれ多くの権力者がこぞって求めた、そうだよね?」


「うん。アモエバはまだ小さかったからあの時の事を覚えていないだろうけど、私たちニル族も他の民族と争った。

 西のズメイツ連邦、北のテオリ群島、そして南の蛮族タディコール族。

その戦争で失ったものは大きい……」


「でも、もうそれも遠い昔の話さ。

今ではレア・アシッドは幻の物質と言われているし、それ以来、空が大穴を空けたなんて話は一度もないんだから」


「でもね、あの【大天使の恩恵エンジェルズ・フォール】には語られていない真実があるの」


「?」


「あの時、私たちの大地は半分切り取られ、遥か天の向こう、異次元へと吸い込まれた。

 先代の族長、つまり私たちのお母さんもそれに巻き込まれ大空の彼方へ消えたの」


「ええっ?お母さんはタディコール族との戦争で死んだんじゃ?」


「……」


ニライカナイは静かに首を振った。


「……私わかるの。

近い未来、また天は口を空ける。そしてその時、我々・・は遥か遠い異次元へといざなわれるのかもしれない」


 2人は蓋のように世界を覆う漆黒の空を再び見つめるのだった。


────────


 閑静な住宅地。我が家の庭の草取りに励む中年の男がいた。


 彼の名はミカエル。春になって成長が早くなってきた雑草の処理に悪戦苦闘している。


「冬の間は面倒くさくて何もしなかったが、そろそろ畑に新しい苗を植える事も考えないとな……」


 夏に収穫できる野菜をあれこれ考えるミカエル。


「そうだ、肥料は足りてたかな?」


「あなた、お庭いじりもいいけど台所の生ゴミを片付けるの手伝って頂戴」


 玄関から妻のマリアの声がした。2人は結婚して5年目の夫婦だ。


「ああ、そうだった!生ゴミといえば……」


 ミカエルは庭の隅にある大きな箱に目をやる。それは、園芸のために購入した古い生ゴミコンポストだった。


「あなた、生ゴミはちゃんと分別して火曜日に回収ゴミに出すのよ?」


「心配いらないよマリア。このコンポストの中に生ゴミを入れれば、中に住む微生物達が家庭の残ったご飯なんかすぐに分解してくれる」


「あら、そうだったわね。ゴミの量が減って助かるわ。じゃあお願いね、ミカエル」


「頼むよ、微生物たち。

 良い土が出来たらまた畑に撒くからね。美味しい野菜が育つ手助けをしておくれよ」


 この暗く閉ざされた箱の中に拡がる壮大な世界を、ミカエルは知るよしもなかった。

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