第4話 最低最悪の美少女

 義郎の学校には、給食制度がない。よって、生徒たちは自分の家から弁当を持ってくる。弁当の蓋を開けるとサンドイッチが入っていたり、弁当箱とは別におにぎりが添えられていたり。義郎の弁当は白米とおかず、それに卵焼きなどが加わった内容だった。弁当箱の中身は、十分くらいで無くなった。

 

 義郎は鞄の中に弁当箱を仕舞い入れて、約束の相手に視線を移した。約束の相手も弁当を食べ終えている。「いつでもオッケー」と言う顔だ。

 

 二人は約束の相手を先頭にして、教室の中から出て行った。屋上の空気は、気持ちよかった。今日の空も晴れているので、町の東側から風が吹いて来たりすると、それに合わせる形で義郎達の髪もサラサラと靡いた。


「それで、どうして僕を誘ったの?」


「義郎」


「ん?」


 相手は屋上のフェンス越しから、町の風景を見つめた。


「前からずっと気になっていたんだけどさ、お前って赤塚の事が好きなの?」


 義郎は、彼の質問に驚いた。それも、二重の意味で。彼と義郎は言わば、『親友』と言う関係だ。お互いの趣味はもちろん、その弱さや強さもすべて知っている。そんな相手からこう言う質問を受けたと言う事はつまり、考えられるのは一つしかなかった。


「お前も、赤塚さんの事が好きなの?」


 親友は、その質問に首をふった。


「いいや、好きじゃないよ。それどころか、大嫌いだね」


 義郎は、自分の耳を疑った。予想していた答えが外れたばかりでなく、返ってきたモノがまるで真逆の答えだったからだ。彼はその驚きを何とか抑えようとしたが、親友が町の風景から自分に視線を移した時、彼に向って思わず「どうして大嫌いなの?」と聞いてしまった。


 相手は、義郎の質問に答えなかった。その代り、義郎から町の風景にまた視線を戻して「お前はどうして、アイツの事が好きなんだ?」と聞きかえした。


 義郎は、その質問に頬を赤らめた。


「赤塚さんは可愛くて……その、優しいんだ。クラスの女子は誰も僕に話しかけないけれど、彼女だけは僕に話しかけてくれる。だから」


「アイツの事が好きだって? 自分の事を構ってくれるから?」


「そう」


「お前ってやっぱり、アホだな。アレの何処が優しいんだよ? お前の事をただ、弄っているだけじゃないか? 自分に逆らわない、安価な御人形として」


「安価な御人形だなんて、酷いなぁ。僕はぜんぜん」


「お前は思っていなくても、相手は思っているんだよ。お前の事は、単なる遊び道具だって。アイツの態度を見れば分かる。アイツは、一年の時からそうだった。お前はクラスが別だったから分からないと思うけど、本当に酷かったんだぜ? クラスの女子を苛めて、そのやり方も陰険でさ。みんなの前では仲よくしているんだけど、裏ではその子の事を……くっ。思い起こしただけでも、イライラするぜ。俺は、その様子を偶然に見つけちまった。みんなと鬼ごっこをしている時にさ。俺は、女子の事を助けた。アイツ等の事が許せなかったし、どうしても助けたかったんだよ。アイツ等は俺にビビって、その場から逃げだした。俺は、アイツ等を追いかけなかった。追いかけたって『無駄だ』と思ったし、それに」

 

 親友の目が震える。


「アイツは、女子の頭だったからな。俺は、クラスの男子を集める事にした。男子なら俺の話を聞いてくれるし、それと面倒な事にもならないだろう? 俺は、みんなにこの事を話した。みんなは、俺の話に驚いたよ。でも、それを否定する奴はいなかった。みんなも気づいていたんだよ、アイツの性格が『最悪だ』って事をさ。俺たちは団結して、女子生徒の事を守った。授業中も、そして、昼休みや放課後の時も。赤塚は、女子生徒の事を苛めなくなった。たぶん、俺らの威嚇に慄いたんだろう。学校にいる間はずっと、俺たちに見張られているんだからね。堪ったもんじゃない。赤塚は今年も、俺と同じクラスに」


「僕は初めて、同じクラスになった。去年の事は知らない」


「去年の事は今、話しただろう?」


「知らないよ、そんな話なんて! 僕の知っている赤塚さんは!」


「そいつは、ただの幻だ。お前はアイツの事を『優しい』と言ったけど、本当はみんなに媚を売っているだけ。損得勘定だけなんだよ。コイツと仲よくしていけば『得』だとか、コイツに嫌われるのは『損』だとか、そう言う事しか考えていないんだ」


 親友は、義郎の肩に手を乗せた。


「お前は知らないかもしれないけど、お前って結構好かれているんだぜ? 男子おれ達はもちろん、クラスの女子達にも」


「それが?」


「女は、赤塚だけじゃない。周りをよく見渡してみれば」


「赤塚さんは、一人しかいない」


 義郎は、屋上の出入り口に向って歩きだした。


 親友はその後を追いかけよとしたが、義郎が「ついてくるな」と言う目で彼を睨んだ瞬間、その足をピタリと止めてしまった。



 五時間目の授業は、憂鬱だった。


 六時間目の授業は、最低だった。


 帰りのホームルームは、最悪だった。


 義郎は帰りのホームルームが終わった後も、自分の席にしばらく座りつづけた。


「どうしたんだよ? 義郎」と、周りの男子達。「顔が暗いぜ、目も死んでいるし」


「はぁ」


 彼の溜め息は、男子達を驚かせた。彼らは心配げな顔で「大丈夫か、穂ノ原。今日は委員会を休んで、家に帰った方がいいじゃねぇ?」と気遣ったが、義郎はその言葉を無視して、教室の中から出て行ってしまった。「義郎」


 男子達は、教室のドアを見つめた。


 義郎は、図書室の中に入った。図書室の中にはいつも通り、静かで穏やかな空気が漂っていた。彼はその雰囲気に「くっ」と苛立ちながらも、憂鬱な顔で受付けの席にゆっくりと腰かけた。受付けの席は冷たく、表面がヒンヤリとしていた。

 

 義郎は、図書室の中を眺めた。何も考えず……いや、何も考えないようにして。彼の努力は、空が夕焼けに染まり切るまでつづいた。利用者の姿が見えなくなった。受付けの席から立ち上がって、書架の本を直す。


 それが終わったら、次は窓の戸締りを確かめた。窓の鍵は、すべて掛けられていた。窓のカーテンを閉めて、図書室の明かりを消す。「カチャ」と言う風に。図書室の中から出ると、出入り口の鍵を掛けた。

 

 義郎は学校の職員室に向って歩きだしたが、階段の踊りまでに出たところで、その足を「あっ」と止めてしまった。図書室に鞄を忘れた。あわてて図書室の前まで走ると、その鍵を開けて、部屋の中に入った。部屋の明かりはさっき消したから、手前のスイッチを「カチャ」と押して、室内の電気を点ける。

 

 義郎は、図書室の中を捜した。だがいくら捜しても、自分の鞄は見つからなかった。図書室のスピーカーからは、「下校時刻になりました。生徒たちは、速やかに下校して下さい」と言う放送が流れている。気持ちだけが焦った。


「何で無いんだよ? 自分の教室に忘れたのか?」


 義郎は、二年〇組の教室に向って走った。先ほどの階段を駆け降り、校舎の渡り廊下を走り抜けて、二年生フロアの中に入った。教室の前まで行くと、安らかな気持ちでその中に入ろうとしたが、教室の中から「お前って、本当に最悪だな」と言う声が聞えた瞬間、その意識を奪われてしまった。

 

 義郎は出入り口の近く立って、そこから中の様子を窺った。教室の中には二人、違うクラスの男子だろうか? 左右の耳にピアスを付けて。彼は、赤塚さんの隣に座っている。赤塚さんは楽しげな顔で、彼と仲よく話していた。


「そう? 普通だと思うけど」


「いやいや、普通じゃねぇって。お前、マジで怖いよ。みんなの前では大人しくしているくせに、裏ではとんでもない事を」


「しているって? ふん! アタシなんてまだ、マシな方だよ。世間にはもっと、凄い人がいるんだから。愛に飢えたお兄さんたちからね、汚いお金を『いただきます』って。アタシの知っている高校生なんか、月に三十万円くらい稼いでいるんだよ? 会社帰りのサラリーマンを捕まえてさ、そのテクニックが半端ないんだよね。標的には絶対、『イケメン』を選ばないの。それと、『ブサメン』もNG。イケメンは『自分がモテる』って事を知っているし、ブサメンは『自分はモテない』って事を知っているから。どっちも」


「同じくらいに面倒って事か?」


「そう言う事、単純な話だけどね。自分よりも優れている人は扱いにくし、自分よりも劣って人は……まあ、色々と妬まれるって言うか。後が怖いんだよ。こっちは商売気分で服を脱いでいるのに、相手はそれを『愛情だ』と勘違いしちゃって。アレは、ガチで怖いらしいよ。自分の体を『売りたい』って人はたぶん、本気で考えた方がいいかもね。聞いた話じゃ、マジで人生終わるらしいから。アタシは、そんな事やらないけど」


「やらないって、嘘つくなよ。お前だって」


「アタシがやっているのは、ナンパ。将来有望そうな相手にツバ付けているだけ」


「有望そうな相手にツバ付けているだけ?」


「アンタって確か、面食いだよね。付き合うなら、可愛い子の方がいいでしょう?」


「ああうん、まぁな。素直で」


「自分に従順な?」


「うん」


「それは、アタシも同じだよ。誰だって、自分に従う人の方がいいじゃない? 自分の欲求に応えてくれる。アタシは、自分に対してワガママなんだ。相手と対等に付き合うなんて冗談じゃない。吐き気がするわ。アタシは、誰とも対等にならない。アタシの『愛』は、アタシだけのモノだもの。自分の愛が満たされれば十分、他人の愛なんて知った事じゃないわ。他人の不幸も……まあ、他人の幸せはムカつくけどね。アタシよりもブスな子が幸せにたったりすると」


 春子の舌打ちが聞えた。


 義郎は、その舌打ちに絶望した。


 赤塚春子は親友の言う通り、最低最悪の美少女だった。

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