第197話 希望の矢

 少年は、幼い頃から『神の眼を持つ者』と呼ばれ、狙撃の訓練を受けてきた。

 少女は、少年の幼馴染であり、彼が訓練に励む姿を陰ながら見守ってきた。

 そんな二人が、集落に古くから伝わる預言に従い、一人の少女の生命を奪おうとしていた。

 しかしそれは彼らにとって殺人ではなく、彼らの集落の、一族の、先祖代々の期待と誇りを一身に背負う、一つの儀式として認識されている。

 それもすべて、彼らに課された幼少の頃からの『英才教育』の賜物である。


 二人は、バナンザ郊外の小高い丘の上に立っている。

 大きな弓に、文を結わえた毒矢を番え、生まれ持った才能であるその『神の眼』で目標を補足する。

 同志からの情報にあった宿屋。

 少女には建物すら視認できないようだが、少年の眼は宿屋二階の窓から室内の様子に至るまではっきりと捉えていた。

 どうやら二人の女が喧嘩をしているようで、傍らにその様子をぽかんと見ている女がいた。

 少年の狙いはまさにその女であった。


「あれが王女さまだな……。確かに魔法映像で見せてもらったのと同じ顔だ。今が……チャンスだ」


 その少年の言葉に呼応するように、傍らの少女が、少年の番える矢に風魔法を付与する。

 風魔法といっても、射出時に爆発的な加速力を付与し、ある程度の空気抵抗を低減したあとは周囲の空気に溶け込んで自然消滅してしまうため、目標の近くに矢が到達する頃には一切の魔力を感知されることがない。

 今、彼等はそれほど遠くの場所から目標に狙いを定めているのだ。


「エリオ、お願い! これが私たちの希望の矢なんだから! 外したら承知しないわよ?」


「任せとけって! 十二年間生きてきて、この日の為に何千……いや、何万発と練習してきたんだ。こんなの目を瞑ってたって当てられるぜ! お前だって、俺が的を外したところ見たことないだろ!? ……この矢を射れば、王女さまを射抜けば、始祖様の自由が取り戻せるんだ。……そして、きっと俺達は……」


「エリオ……今更怖気づいたの? 始祖様と、この世界の為だって教えられてきたじゃない。この世界と始祖様が救われるのなら、私はちっとも怖くないわ!」


「ミーシャ……そうだな。ぱぱっと王女さまを射抜いて、俺達もきれいさっぱり消えるとするか」


 エリオと呼ばれた少年は、風魔法を掛けてくれた少女に一度だけ振り返ってから、再び目標を見定める。


「うげっ! 王女さまが喧嘩に割り込んでもみくちゃにされてる」


 エリオの目には、標的の王女を含む、三人の女性が押し合いへし合いの喧嘩を繰り広げている光景が映し出されていた。


「でも、早く射らないと風魔法が消えちゃうわ」


「よ、よし、動きが止まったぞ。……ミーシャ、生まれ変わってもまた会えるといいな」


「もちろん会えるわよ」


「へへっ……いっけぇぇぇ!」


 エリオは全力で引き絞った弦をその手から解放する。

 刹那、激しい爆風がその場に巻き起こり、二人は後方にひっくり返り、そのまま丘を転げ落ちる。


「いたたた……エリオ、矢はどうなったの?」


「確認するからちょっと待っててくれ……。ミーシャ、まず俺から降りろよ」


「あ……ごめんね」


 ミーシャがエリオの上から身体をどけると、エリオは転げ落ちたばかりの丘を駆け上がっていく。


「どれどれ……そろそろ到達する頃だな。……ってえぇぇぇ!?」


「どうしたの?」


「あれは……魔法で……障壁張って? ……狙撃に気付かれてる! ……なんでだ」


 エリオの声色から、とても言葉で言い表せないほどの絶望感を感じ取るミーシャ。


「じゃ、じゃあ……」


「あぁ、あの矢は一切魔法を纏ってない。物理障壁を張られたら突き破ることはできない……つまり狙撃失敗って事だ! クソッ! クソッ……ちっくしょぉぉぉ!」


 そう言ってエリオは、目に涙を浮かべながら丘の頂上で地団駄を踏みながら怒鳴り散らす。


「エリオ! 騒いだら見つかる!」


 ミーシャはそう言ってエリオの身体を無理矢理丘の下に引きずり込む。


「何言ってんだよ! こっちから向こうは丸見えだけど、向こうからこっちが見えるなんてこと──」


「じゃあ、何で狙撃に失敗したの!? 見えていたんじゃないの!? ……ううぅ……」


 そこでエリオはようやく気付く。

 目の前の少女が、大粒の涙をぽろぽろとこぼしていることに。


「ミーシャ……お前…………」


「……見たくなかった……見たくなかったよ! エリオが失敗するところなんて! いつもどんな難しい訓練だって余裕でこなして、憎らしいほどに自信満々だったじゃない! そんなエリオが見たかった! それに……ここで失敗しちゃったら……エリオがこれまで十年以上頑張ってきた事が、あんなに頑張ってきたのが……全部無駄だったみたいじゃない!」


 そう言って、声を上げて泣き始めるミーシャ。

 エリオはそんなミーシャの頭を優しく撫でながら、一つの決意をする。


「……このままじゃ終われねえな。気付かれても防御が間に合わないくらい至近距離なら……」


「……うん……」


 エリオがそう言うと、ミーシャも泣きながら頷く。

 そして二人は、丘の下からゆっくりとバナンザの街へ向けて歩き出すのであった。

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