第150話 普通のヒールが使えるヒーラー

「トーラスさま、お帰りなさいませ!」


 ポップの背から降ろされ、近衛隊達によってロープを解かれたトーラスは、目の前で頭を下げる少女の太腿を目掛けて飛び付いた──正確には、空中に飛び出した瞬間、ナタリアの拳が背中に叩き付けられ、地面に落とされたのであったが。

 それを見ていた近衛隊の面々は青ざめた顔でナタリアを見る。


「恐えぇな……」

「それよりもあのスピードについていくって……すげえ反射神経だ……。これは逆らうと命がないぞ」

「俺、ああいう人苦手だよ……」

「いや、むしろ好きだって人がいるのか?」

「虐められて喜ぶ、よほどの変態だろうな。嫁の貰い手がいなさそうだ……」


 ナタリアは静かに近衛隊の方を引き攣った笑顔で振り向く。


「ティア……。あなたの騎士たち……少しばかり教育がなってないんじゃなくて……?」


 近衛隊はいそいそと無言でロープを片付け始める。


「誤魔化しても無駄よ! いいわ……。全員、あたしが教育し直してあげる!」


 ナタリアがそう言った瞬間、近衛隊達は悲鳴を上げながら駆け出していく。


「近衛隊の人達、頼もしいかと思ったけど案外意気地がないのね、まったく……。あら? ティア、何してるの?」


 ナタリアは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく近衛隊から目を切り、足元のトーラスを見ると、ティアが地面に伏せっている彼の身体を仰向けに裏返している。


「……トーラスさんの怪我を治療した方がよいかと思い、まずは怪我の具合を見ていたのです。ほら、顔も腕も、体中を擦りむいてらっしゃいますよ」


 トーラスはセシルに向かって飛び出した勢いそのままに地面に叩き付けられたため、全身が擦り傷まみれになっており、あちこちから出血もしていた。


「あ、余りに急だったから、力の加減ができなかったのよ……。悪いけど……ちょっと診てあげてくれるかしら」


 ナタリアは、ばつが悪そうにティアに頼む。


「はい、大丈夫です。ただ……私が治療するとかなり時間がかかってしまうので、ハルナさんにお願いした方が早いかと思います」


 ティアの言葉に、グレインが興味を持つ。


「なぁ、もしかして……ティアも治療ができるのか?」


「は、はい……私はヒーラーのジョブを授かりましたので……。ただ、使えるのは初歩のヒールだけなのですが」


 グレインは両手を空に突き上げる。


「ぃやったぁぁぁぁぁ! 普通のヒールが使えるヒーラーだぁぁぁぁ!」


 グレインのあまりの喜びように、戸惑うティア。


「あ、あの……。私のような初心者ヒーラーが、そんなに珍しい事なのでしょうか……。とりあえずトーラスさんの怪我だと、一箇所あたり一時間ほどかければ治癒できそうではありますが……」


 そう言ってティアはトーラスの全身を見る。


「……確かに、体中あちこち怪我してるわね……。ティアが全部治療すると丸一日は掛かりそうだけど……。別に、命に別状がなければ擦り傷ぐらいほっときましょ? 自業自得よ。とりあえず、ハルナにも診てもらって、やばそうな怪我だけ治せばいいんじゃないかしら」


「自分で怪我させておいてひどい言い草だな……」


「……グレイン……何か言った?」


 グレインは、ナタリアの周囲に渦巻く炎のようなオーラを感じ取る。


「い、いや、何でもない! ぼ、暴力反対! ……ティア、ハルナに治療してもらう前に、ちょっとだけヒールの強化を試させてくれ」


 ティアは頷き、トーラスの腹部に手を当てると、その掌が弱々しく発光する。

 ティアのヒールが発動したのを見て、グレインは自らの能力でティアを強化する。

 すると、トーラスに当てているティアの手全体が、目映く光り出す。


「こっ、これは……! まるで無限に魔力が溢れるような……」


 次の瞬間、トーラスの身体についていた傷は跡形もなく消滅し、トーラスも目を覚ます。


「あれ? ふともも……?」


「この変態……やっぱ死んでた方が良かったかしら?」


 何が起こったか分からないトーラスを、呆れた様子で見下ろすナタリア。

 一方で、トーラスの傍らに屈んでいたティアは自らの手を見つめて呆然としていた。


「すごい……。私のヒールがこんな治癒力を持つなんて」


「ヒーラーの強化が俺の唯一の取り柄だからな。それぐらい強力じゃないと割に合わないさ……」


 不満げに漏らすグレインであった。



「ナタリアさん、酷いよ。僕は膝枕の為に──いや、皆の為に自ら犠牲になったんだからね? 少しぐらいご褒美があってもいいじゃないか」


「いくらご褒美と言ったって限度があるじゃないの。リリーの教育にも悪いし。そもそも、妹の前でそういう事しようとする?」


 トーラスは口を尖らせる。


「べ、別にいかがわしいことをしようとしてる訳じゃ無いんだから……少しぐらい……いいじゃないか」


「あんたの『いかがわしい』基準が、あたし達の基準とかけ離れてるのよ! いくら成人しているとはいえ、セシルは見た目少女じゃないのよ! そんな娘に膝枕してもらおうとか、その見た目少女の太腿に顔を埋めてあーんな事やこーんな事しようだなんて、百年早いわ! ……百年後なら見た目的にも犯罪にならなそうだからいいわよ」


「「「リアル百年後」」」


「エルフ族はまだしも、僕たち人間族は死んでるよ……」


 溜息をつくトーラス。


「ナタリアさん、トーラスさまは……さすがにそこまでの事は要求してないですわ……」


 顔を真っ赤に染めながら、ナタリアに反論するセシル。


「ナタリア、実はお前が一番いかがわしい想像をしてるんじゃないのか?」


 ニヤけた顔で誂い気味に煽るグレイン。


「……う……る……さい……。……うるさァーーーい!!」


「やばい、ナタリアがキレた! トーラス!」


 既にグレインとトーラスのコンビは阿吽の呼吸であった。

 何も言わずトーラスは転移魔法を発動し、ナタリアに追い回されるグレインの目の前に黒霧を生み出す。

 グレインがそこへ飛び込むと、たちまち黒霧は霧散する。


「グレインだけ先にローム公国に飛ばしたよ。ねぇナタリアさん、一旦頭を冷やして。みんなで仲良く転移しようよ」

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