第143話 私の王子様

「はぁ……」


 ナタリアは、サランの街を離れて何度目かの溜息をつく。

 グレイン達の一行は、サランの南東に広がる森の中をひたすら東へと進んでいた。

 現在は狭い獣道を一列になって歩いている。


「ナタリア、さっきから溜息ばっかりついて、そんなにサランに残りたかったのか? ……おっと、そこは底なし沼があるから気を付けろよ」


 グレインが自らの後ろを歩くナタリアに声を掛ける。


「色々……ね。アーちゃんと再会したのも、あんたと会えたのもあの街だったし、思い出が色々あるのよ。もうあそこに戻れないかと思うと、ね……。それに、最後はたくさんの人に迷惑かけちゃったのも心苦しくて」


「確かにあの街には色んな思い出がありますねっ」


 ナタリアの後ろからハルナが会話に参加してくる。


「私が前のパーティメンバーからボコボコにされたのも、死にかけのグレインさまを見つけたのも、酔っ払ってグレインさまに担がれて、街中吐いて回ったらしいのも……。あ、ナタリアさんの足元にいる蛇は毒ありますよ」


「ひゃあっ! ……それにしてもハルナ、あんたにはろくな思い出が無いのね……。そこら中吐いて……なんて事あったっけ?」


「ほら、グレインさまがナタリアさんに夜這いをかけた日のことですよ」


「よ、よば……!」


 ハルナの後ろで聞き耳を立てていたティアが、驚きのあまり声を上げてしまい、思わず両手を口に押し当てる。


「姫様、盗み聞きはいい趣味じゃないぞ。……ちなみに俺は何もしてないからな。ただナタリアの寝顔を見ただけで、ボコボコにされて路上に捨てられたんだぞ? 酷いだろ? ……やっべぇ、猛毒蜂だ」


「……皆さん仲がよろしいのですね。……色んな意味で」


 ティアが心なしか白い目でグレインを見ている。


「あー……それ絶対誤解してるやつ……。っていうか妙に蜂が多くないか?」


 グレインはそう言って何気なく振り返る。


「なっ、なんでこいつらあたしに寄ってくるのよ!」


 グレインが見たものは、ナタリアの周囲を旋回し、彼女の身体のあちこちに止まろうとしている大量の猛毒蜂であった。


「お前、蜂にはモテるんだな」


「あんた……覚えてなさい! っていうか誰か助けてぇ!」


 ナタリアはまだ刺されてはいないようだったが、全身に蜂が寄ってきているため、刺されるのも時間の問題のように思えた。


「おーい、ラミア! お前の魔法でナタリアを焼けるか?」


「え? えぇ、お安い御用です。……みんなも、この森も巻き添えになるかと思いますが」


 列の最後尾を歩くラミアがそう答える。


「あ、あんたは何物騒な相談してんのよ! まず第一に、あたしの命はどうなるのよ!」


「いいか? お前の腕にとまってるその蜂一匹一匹にも、それぞれ命があるんだ。数十匹の蜂の命を奪うということは、それなりの代償があって然るべき……」


 グレインはそこまで言いかけたが、次第に涙ぐむナタリアを見て慌てる。


「あああ、いや、すまん! ただの冗談だぞ? 火が近付けば怖がって逃げるかと思ってな」


「グレインさま、今の発言はサイテーですっ」


「私も同感です。助けを求めている人にかける言葉ではないと思います」


 ハルナとティアが、口々にグレインを非難する。


「あぁ……。あんた達なら分かってくれると思ってた! な、何とかしてちょうだい」


 ナタリアはそう言って、ハルナの方へと歩み出すが、ハルナとティアはそれ以上の速度でナタリアから離れていく。


「グレインさまの発言はさすがにひどいと思いましたけど……それと私達がお姉ちゃんを助けられるかどうかは別の話ですっ」


「そ、そうですね……。私にも祖国を救うという使命がありますので、ここで蜂に刺されて命を落としてしまう訳には……」


「そんな……あんた達まで……」


「ほらな? あいつらだって俺とそう変わらないだろ」


 愕然とするナタリアの背中に、グレインが声を掛ける。


「おーい、ラミア! 水魔法は使えるか? 水で蜂全部流しちまおうぜ」


「私は炎が専門だから、流石にそこまでの水は出せないわ……」


 ラミアは目を閉じて首を左右に振る。


「そうだ! アウロラなら水魔法使えるだろ!?」


「ウチ、今は魔力が枯渇しててねー」


「な、何でもいいから……誰でもいいから、は、早くっ!」


 顎に手を当て考え出すグレインを見て、ナタリアはますます焦り出す。

 突如、ナタリアを黒霧が包み込む。


「はい、これでいいかな? お姫様」


 トーラスが気障な台詞とともに指を鳴らすと、黒霧は晴れ、蜂の姿も消え失せていた。


「あぁ……た、助かった……。トーラスさん、いえ、王子様! ありがとう……。あなたは正真正銘、私の王子様だわ!」


 ナタリアが胸の前で両手を組み、きらきらした瞳でトーラスを見る。

 グレインは、そんなナタリアをセシルが怪訝な目で見つめている事に気が付き、話を逸らす。


「それにしても、なんでお前だけ蜂に狙われたんだろうな? なんか体中に花の蜜でも塗ってたか?」


 ナタリアは少し顔を赤らめて俯く。

 それを見たハルナはあっと口を開け、ナタリアに近寄り、何やら耳打ちして頷きあう。


「グレインさま、あまり細かい事は気にせず、先に進みましょう! そして……できればどこか水辺の近くで休息を取りませんか?」


「そうだなぁ……。ただ、この辺りに水なんてあるか? 精々底なしの泥沼ぐらいじゃないのか?」


 グレインはハルナの案に同意しながらも首を傾げる。


「……もう少し進んだあたりから、水の流れる音が聞こえますわ。水が流れているという事は、泥沼ではない、綺麗な水の可能性が高いのではないかと思います」


 セシルが耳に手を当て、周囲の音を確認している。


「セシルって時々エルフ族の本領発揮するよな」


「と、時々ではありませんわ! いつも五感をフル活用していますわよ!」


「……先に進みましょ。そろそろ歩き疲れたわ」


 赤い顔で俯いたまま呟くナタリア。


「そうですねっ! とりあえずまとめると、グレインさまは株を下げて、トーラスさんは王子様に格上げしたということで」


「ハルナ! 変なまとめ方をするんじゃない!」


「僕もちょっと失敗したなぁ。『王子様』っていうのは幼じ……ゴホン! セシルちゃんに言われたかった」


「「「幼女って言いかけたろ」」」


「ではグレインさまは人でなしクズ、トーラスさんは自称王子の変態ということでっ!」


「「言い方」」


「……さっきはちょっとかっこいいとか思っちゃったけど、トーラスってよく考えたら幼女趣味の変態よね……。前言撤回、あたしはパス」


 辛辣なナタリアの言葉に、人知れず胸を撫で下ろすセシルであった。

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