第089話 血の臭い

「こちら、み、『水浴びカバさん』……。各位、聞こえるか? 今南側から西地区に入ったところだ」


 グレインは王都のスラム街を歩きながらこんな事を呟く。

 すると、彼の左耳に詰められた魔力の塊から次々と応答が聞こえる。


「──こちら『ふわふわ羊さん』です。打ち合わせ通り北側から捜索していますっ!」


「──『ぱっぱかお馬さん』……だよ……。こちらも東からまっすぐ入ったけど……この名前、恥ずかしくない?」


 トーラスの諦めたようなぼやき声が、溜息とともに漏れ聞こえる。


「ハルナ考案の『子どもが聞いて怖がらない名前』なんだ、仕方ないだろう? ……確かに俺も恥ずかしい」


「──ふふっ、恐縮です」


 その時、ハルナの声の後ろからリリーの声がする。


「──別に……一番、二番、三番とかで……よかったんじゃ……。もしくは北、東、南の方が……」


「──えぇっ! ……リリーちゃん、もしかしてこの名前が嫌い?」


「──嫌いでは……無いですけど……私もちょっと恥ずかしい……」


「──ふえぇぇぇっ」


「……とりあえず、予定通り捜索を続けような……」


 グレイン達はこんな調子でスラム街を歩いていくが、何処にもそれらしい小屋は見当たらない。

 そして、そろそろトーラスやハルナの班と合流しそうな頃に、それは起こった。

 ずっとグレインの腕に絡みつくようにくっついて歩いていたサブリナの足が、止まったのだ。


「サブリナ、どうした?」


「血じゃ……血の臭いがする」


「なんだって!? こちら水浴びカバ、モコモコとパカパカに告ぐ! サブリナが血の臭いがすると言っている。直ちにカバの探索区域に急行してくれ」


「──了解ですっ! けど……カバ『さん』まで付けてくださいっ! それと、羊さんは『モコモコ』じゃなくて『ふわふわ』、お馬さんは『パカパカ』じゃなくて『ぱっぱか』ですよっ!」


「──了解したよ。こちらが到着するまでは迂闊に行動しないようにね」


「あぁ、分かってる。サブリナ、ちょっとそこに隠れよう」


 グレインはサブリナの手を引いて、すぐ傍にあった無人の空き家へと入り、物陰に息を潜める。

 暫くすると、野太い男の声が聞こえてくる。


「こいつは美味そだな、この肉ぷりっぷりだなや」


「んだんだ、早いとこバラしてまうべ」


「おーおー、内臓までいい色してんな」


「残すところも無く食べてもらえて、この子らも幸せだなや」


 どうやら男は二人のようだが、話し声の他にはざくざくと何か──おそらく肉や骨を断ち切る音と、濃厚な血生臭い空気が辺り一面を覆うように立ち込める。

 どうやら、たまたまグレイン達が入った空き家と、通路を挟んで向かい側の家が発生源のようであった。


「(作業してるのは向かいの家っぽいな……。サブリナ、ハルナ達が来たら行くぞ……ってサブリナ、おい、大丈夫か!)」


 グレインの隣で男達の会話を聞いていたサブリナは顔を真っ青にして、歯をガチガチと鳴らして震えている。


「(ミクル……ガッタ……レミィ……レイク……みんな、ヘレニアの子供たちは食べられてしもうたのじゃろうか……うぅっ……)」


 サブリナは空ろな目でグレインを見つめたまま、目から滝のように涙を流して嗚咽を漏らす。


「(サブリナ、落ち着くんだ。まだそうと決まった訳じゃない。今は一刻も早く、一人でも多く、誘拐された子どもたちを助け出そう)」


 グレインは、そう言ってサブリナをそっと抱き寄せる。

 サブリナはグレインの身体にしがみついたまま泣いている。

 ふと、血の臭いが通り過ぎた後で、今度は食欲をそそる香ばしい香りがしてくる。


「なぁ……この匂いって焼いた肉の……」


 グレインがそう言うと同時に、彼の胸に顔を押し付けているサブリナはびくんと身体を震わせる。

 どうやらサブリナは、なるべくこの匂いを嗅がないように、息を吸い込まないようにしているようだ。


 その時、男の一人が叫ぶ。


「おめたち、おまんまだぞぉ〜」


 すると、向かいの家の周囲に、あちこちから子供たちが我先にと争うように駆け寄ってくる。

 いつしかグレインとサブリナも、物陰に隠れるのを忘れ、その不思議な光景に見入っていた。


「焼きたてのうんめぇ肉だどぉ」


「な、なんとおぞましい……。子どもになんて物を食べさせているのじゃ」


 その時、男達とグレインの目が合ってしまう。


「なんだぁ? お二人さんも新入りなんかな?」


「わりぃけんども、この牛は子ども達のおまんまなんだ。大人は炊き出しの対象外なんだわ」


 その言葉を聞き、サブリナがへなへなとその場に座り込む。


「なんじゃ……牛じゃったか……」


「サブリナ、どうした?」


「なんか、腰が抜けてしまったのじゃ……。とりあえず良かった……うぅっ……」


 再び涙を流すサブリナ。


「サブリナは……優しいんだな」


 そう言って、グレインはサブリナをお姫様抱っこの体勢で抱き上げ、空き家から出ていく。


「ダーリン……ありがとう」


 グレインの首元に腕を回して抱きつくサブリナ。



「えーっと……僕達は何を見せつけられているのかな?」


「バカップルがイチャイチャしてるだけですわ」


「グレインさま、ラブラブですねぇ。とりあえずお姉ちゃんに報告を……」


「殺して……いい?」



 慌てて駆けつけたのに、空き家から出てきた二人のいちゃつく姿を見せられて呆然とするトーラス達の後ろから、駆け寄る小さい人影があった。


「おねえちゃん! おねえちゃんだ!」


「……っ! ミクルではないか!」


 グレインに抱きついたまま、サブリナは再び腰を抜かさんばかりに驚くのであった。

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