177枚目 「熱雷の虫」


 炸裂した光源に眩んだ視界が、色を取り戻す。


「……!!」


 琥珀は長剣を地面に突き立てたまま、目の前で尻尾を振った相手に驚いて立ち尽くす。

 巨体が振るったは、茶会用に町長が使っていたものと同じだった。


「――おい!! 突っ立ってんじゃねぇぞヘッジホッグ!!」

「!!」


 降って落ちた声に鼓膜が震える。その場を飛び退けば、一撃目とは違う雷が目の前に落ちた。揺れる地面にアステルが背後で小さな悲鳴を上げる。


 ハーミットは石畳の地面に受け身をとろうとバックステップを試みるが失敗した。

 少年の足が地面から離れたとみるや、目の前の巨体が鱗の腕を差し入れたのだ。


 雷撃を弾いたことで大破した日傘をその辺にぶんなげた彼はハーミットを横抱きにすると、アステルが座する駆動の背に手をかける。察したのか、アステルは咄嗟に膝のコートとゴーグルーを抱きかかえると両足を地面から離して膝を上げた。


 革靴が地面を掴み、蹴る。車椅子型の駆動を片手で押して爆走させる。

 金髪少年は手にした剣を身体に寄せながら、離れていく邸宅を呆然と眺めていた。


 腕が痛いとか、剣が重いとか、指先の震えが止まらなくなってきたとか、そんなことよりも現在進行形で自分の腹部を支えている獣人の存在に大混乱である。


「っ、町長さんたちは!?」

「しゅるるる!! 今頃人質にでもなってんじゃねーの!?」


 特徴的な訛りを口にした蜥蜴の獣人――クレマスマーグ・サンゲイザーは不敵に笑んで、少年の拘束を強くした。


 手袋を突き破った蜥蜴の爪先が脅迫するように脇腹に食い込む。

 ハーミットは思わず舌を打った。


「舌打ちすんじゃねーよ四天王、そんなに嫌なら地面に叩きつけてやってもいいんだぜ?」

「……!!」


 今の状態でそれをやられると確実に戦闘不能になる。アステルと彼を二人きりにするわけにもいかない。


 金髪少年は端正な顔を歪めて歯ぎしりを始めた。ぎこぎことエナメル質がすり減る音がする。


「しゅるるる、ざまぁねぇなぁ」


 獣人はそう茶化すように口では言いながらも、引き攣るほど上げた口角を下げる気配がない。


 視界に入っていた邸宅はもう見えないが、空を覆い尽くす様に空気の歪みが拡張していく。それはあっという間にハーミットたちを追い越し――また一つ、石切りの町に雷撃が落ちる。


 狙いが定まらないのか、追い立てているのか。目の前に落ちた雷が石の上に炭を塗った。


 煉瓦を砕かれた花壇が崩壊する。土と、焦げた匂いを振りまく生花を石畳に振りまく。天幕テントでも燃えているのか、中央街道周辺から黒煙が上がる。


 橙を灯す街灯と蚤の市の為に括りつけられた灯りが、雷撃の余波に被弾して次々と灯りを消していく。


 サンゲイザーは雷の雨の中を、走る足を緩めることなく南へ南へと走っていた。


「――なんか二人して黙っちまったからこの際言っておくが、オレには行くあてなんかねぇぞ。催涙雨ならともかく雷の雨から逃げ切る方法なんてもっての他だ」


 にこりと笑みを崩さないアステル。金髪少年のこめかみに血管が浮く。


「一瞬でも頼もしいと思ったこの時間を返してくれサンゲイザー!!」

「しゅるるるるる!! 何とでも言え!! 喧嘩なら後で幾らでも買ってやんよ!!」

「ふふふ。周りの音が大きくてよく分かりませんが、勘を頼りにするならばこの道を真っ直ぐに行くと教会があるのではありませんか? 石造建築であれば漆喰の壁よりは安全なのでは――」


 ずがぴしゃぁん――!!


「ひわぁっ!?」

「しゅるるる。教会に落ちたなぁ、ありゃぁ」


 屋上の鐘に当たったのか、鈍い音が町に響き渡る。

 術者がアステルの発言を拾ったのか、それとも偶然か。


「仮にも聖樹教会、下手な造りはしていないでしょうけれど……外から近づくのは危険ですわね。……パルモや町の人に怪我がなければいいのですが」


 黄土色のコートとゴーグルーを握り締め、鼠顔を俯けるアステル。蜥蜴の獣人は「そういえばどうしてこっちが鼠頭になってるんだよ」と疑問を持ったが、追及が面倒なので気にしないことにしたようだ。


 方向転換した車椅子は依然、サンゲイザーの手に押されて爆走中である。

 金髪少年は流れていく景色を流し見て、腹に爪を立てる鱗腕に手の甲をぶつける。


「いってえなマジで落とすぞテメェ!?」

「ごめん。俺もわりと必死なんだ――あそこにしよう。入るまで何も口に出さないで。あと、降ろして貰えると助かる」

「はぁ、別に構わねぇけどさ。何すんだよ」

「……昔取った杵柄?」


 剣をショルダーバッグの下ポケットに沈めると、彼はバッグを前面に回して引き出しの箱ドロワーボックス搭載の前ポケットに手を突っ込む。


 じゃらん。と、見るからに手作りの細長い木の棒が取り出された。


 あちこちに凹凸があるそれを壁の穴に押し入れる。

 がちゃがちゃがちゃ、と器用な手つきで動かし、脳裏に敷いた設計図を頼りに引っ掛けた。


 ――がこん。


 そうして、扉が開いた。じめりと湿った空気が肺を満たす。


 鼠顔を被ったアステルと、駆動の背に手をかけたままのサンゲイザーが示し合わせたように顔を見合わせる。


 それは東地区の地下道へと続く門扉の一つ。

 金髪少年は道具を片づけて顔を上げ、場の空気も読まずにニコリと笑った。







「うん、風が追ってくる気配は無し。ここでなら喋ってもいいと思います」


 呟きながらゴーグルーを目から外し、それをアステルが腰掛ける駆動に引っ掛ける。


 狭い地下道であれば、ゴーグルーに搭載された受け流す壁パリングの効果範囲で道を塞ぐことができる。威力が落ちた雷撃を防ぐくらいはこともない。


 ハーミットはようやく一息つくと、地面でくつろいでいる蜥蜴の獣人に目を移す。彼は黄金の目を細め、雷撃が掠ったらしい鱗を撫ぜていた。


 取引したとはいえ、彼も賊の人間だ。大柄な彼が立ちまわるにはこの道は狭いが――もしもがあっても、ハーミットは有利がとれるだろうか。


受け流す壁パリングは刃物や魔術には効くけど、生体の爪とか牙には対応しないからな……襲われたらひとたまりもない)


 アステルが襲われた場合は身を挺して庇うほかにないだろう。一人決意を固め、気を張りつつ仕事に戻る。


 朝食時に摂取した震え止めの薬が切れ始めている。ひとたび気を抜いて座り込めば、立ち上がれなくなってもおかしくないだろうと思った。


「……アステルさんは、平気ですか。大分乱暴な乗り回しになってしまいましたが」

「ええ。普段から方向音痴ですし、ぐるぐるするのは慣れていますわ。尤も、今回は押してくださった彼の功績が大きいのですけれど」


 ありがとうございました、始めましての貴方――アステルはそう言って濁った瞳を獣人と真逆の方へ向ける。慌ててハーミットが方向を指示した。


「うふふ。すみません。この通りなもので」

「しゅるる」


 サンゲイザーは気まずそうに舌を鳴らすと視線をハーミットへと移す。

 顔や首に張り付いた金糸を外しながら汗をぬぐった金髪少年の姿にぎりりと顔を歪めた。


「てめぇこそ。獣人じゃねぇとは思っていたが……何だそのツラは。人形か?」

「褒め言葉として受け取っとくけどさ。その実、褒めてはないよね?」

「はっ。それが分かってるならいーんだよ――で? 取引の内容はどうなった。流石に破綻したんじゃねぇのかぁ?」

「俺が対処した賊に関しては全員無事だよ。町に入り込んだ賊の大半は別動隊が対応しているだろうから定かじゃあないけどね。だから、貴方と俺の取引は健在だ」

「……しゅる、嘘を吐いてるようなら二人まとめて喰っちまうつもりだったのによー。はぁ、腹ばっか空いて堪らねぇや」

「……」


 さらりと恐ろしいことを口にするサンゲイザーから、駆動ごとアステルを移動して距離を取るハーミット。


 琥珀の視線は力強く、蜥蜴の目を射抜いた。


「サンゲイザー。本邸で何があった」

「……オレも現状把握するより先に突き落とされたからよ、詳しいことは知らねぇ。はっきりしてるのは、スカルペッロ陣営の中に謀反を起こした奴がいるってことだな」


 全身の鱗を波打つように稼働させるサンゲイザーに、虚空を望む次女は口元を隠して笑う。


「お気遣い頂きありがとうございます。大丈夫ですよ、分かっていますから」


 青い瞳が伏せられる。少しの憂いが見て取れた。

 けれどあまり長い沈黙があるわけでもなく。彼女は顔を上げる。


「イシクブールに限らず、賊の方々をも貶めて計画の一部とした内部犯。その使用人の名は『ウェルネル・ネオン・スキャポライト』といいます――」


 少年も蜥蜴も、その言葉を待っていた。


 これだけヒントを散りばめられれば自ずと浮かび上がる第三勢力だ。スカルペッロ家の内側に潜みながら、賊を扇動して町に危機をもたらし、挙句の果てには味方の妨害と盗聴である。


 立場は違えど、役人と犯罪者だろうと、お互いに怒りが沸かない訳がない。


 アステルは重い空気を知ってか知らずか、言葉の続きを口にする。


「――彼は、私の夫ですわ」




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