155枚目 「晶砂岩のループタイ」


 蚤の市当日。


 早朝から町長宅に呼び出された黒髪の少女は、衝立の内側で着慣れない装いに苦戦を強いられていた。


 イシクブールの蚤の市は、第三大陸の外からも観光客が訪れる名物イベントである。その歴史は古く、魔導戦争が勃発するよりもずっと前から存在しており――店や個人で持て余した物品を売り買いするこの祭りは、今年で八十周年になるとか。


「めぇ。イシクブールには石切り場だった時の技術を彫刻や建築に応用する職人が多く、習作の壺や皿が大量に余ったそうです。当時イシクブールに余っていた晶砂岩は高価で、それらをどうにか『資産』に変えようと考えたのが、九十年ほど前のスカルペッロ家当主ですね」

「そこだけ聞くと、お金への執着が凄いように聞こえるわね……」


 少女は言いながら薄灰色のシャツに袖を通す。

 銅色のカフスにはノミをモチーフにしたスカルペッロ家の紋章が刻まれていた。


 角つきの青年ペンタスはというと、震える声を悟られぬよう必死になって理性を確保していた。


(……状況的にラエルさんを一人にするのが危険だ、っていう判断が間違っているとは思わないけど、どうして女性じゃないボクがその役目に割り振られたんだ……!?)


 彼女の同僚である針鼠は早朝から蝙蝠を連れて町を走り回っているし、町長夫妻とキーナは開会式に登壇するため不在である。そうなると屋敷の中に残った使用人たちにお願いするのが最善だろうに、どうやらラエルはそれを良しとしなかった。


 衣擦れの音が耳に届く。

 薄い布が柔肌を撫ぜ、一つ一つカフスが留められていく――そんな想像を振り払う。


「でも、スカルペッロ家って昔から商家だったわけじゃあないのよね」

「め、めぇ。石切り場を管理していたセット家からスカルペッロ家に嫁いだお嫁さんが事業に見切りをつけ、石材産出以外の商売を始めたことが始まりですから」

「……複雑なのねぇ」


 イシクブールでは、蚤の市の初回開催の前年度に石切り場の運用が停止されている。


 「石切りの町」と呼ばれてはいるものの、石材産出はとうに辞めているのだ。それでも晶砂岩が第三大陸の重要な貿易資源として挙げられているのは、スカルペッロ家が管理している石の余りが流通にのるから、らしい。


 平静を装いながらペンタスは気まずいながらに会話を繋ぐ。


 ラエルはベルトを締め、姿見の前でターンした。普段より幾分か長いスカートが翻り、光沢のある深緑が波打つ。若干重めの生地だと聞いていたが、普段身に着けている装備よりは遥かに軽い。


 特に、灰色のケープに使われているのは刺繍で成立する特殊な魔術陣だ。刺繍糸の重みは、陣の強度と比例している。


 ラエルは少し悩んだが、結局はケープを手に取った。


 衝立を外し、ペンタスの前に出たラエルの姿はスカルペッロ家で働く使用人たちと同じ装いだった。普段は腰骨辺りで締めているベルトが胸の下にあるために足の長さを錯覚させる。深緑のキャミソールワンピースが膝下で揺れる。


 スカルペッロ家の使用人たちと違う点といえば、その肩に魔導王国製のケープを羽織っていることだろうか。


 一方ペンタスは、町長の夫であるレーテが普段着ているようなサスペンダーにスラックスである。ラエルと同じなのはインナーにしている灰色のシャツぐらいのもので、首回りがきついのか二番目のカフスまで開けられていた。


 ペンタスはいきなり衝立の向こうから出て来た黒髪の少女に驚き目元を覆うも、恐る恐る確認する。


 青年に任された仕事は、ただ彼女の周囲を警戒するだけではない。


「少し直す、めぇ」

「うっ……分かったわ……」


 ――着こなしを直すため、だ。


 ラエル・イゥルポテーは二か月前まで着こなしと無縁のサバイバル生活を送っていたので「服は着られたら十分」という考えが中々抜けない。


 肩のラインが合っていなかったり、背中の中心に縫い合わせが来ないなど、目につく細かい部分を調整していくペンタス。ラエルはケープを外して腕に持ち、されるがままに直される。


 浮島でもカルツェや針鼠に同じようなことをされたなぁと回想しながら、ペンタスの「いいですよ」の声と共に腕を降ろした。


「ありがとうペタさん」

「いえいえ。この程度のことで良ければいくらでも手伝わせてください、めぇ」

「そ、そう」


 ラエルが厚意をありがたく受け取っていると、屋敷の外から歓声が聞こえた。

 どうやら開会式が終わったらしい。屋敷の中が、次第に足音で満たされていく。


 しばらくすると、ラエルとペンタスが居る部屋の扉がノックもなく開かれた。

 伊達眼鏡に青灰の瞳。先日葬送の儀をした際に着ていたものと同じ詰襟姿で現れたのはキーナだった。


「めぇぇ。お疲れさま、キーナ」

「おう。でも、ここからが本番だろ」


 てきぱきと装飾品を用意して籠にのせ、後ろ手で色彩変化鏡を手渡す。

 ラエルがそれを借り受けると、紫目は金縁ハーフリムの内側に隠された。


 キーナはぶつくさ何かを言いながら二人を視界に納めると、口をすぼめる。


「……物足りない」

「物足りない?」

「ちょっと待っててよ。良い物あるから」


 キーナはそれだけ言うと、先程ラエルが入っていた衝立の向こうに消えた。


 早着替えに慣れているのか、ものの十数秒で戻って来る。着こなしからは育ちの良さが漂っていた。ペンタスと同じようなサスペンダー付きスラックスに、灰色のシャツはお揃いだ。


 灰髪の少年を目で追えば、彼はドレッサーの前に立って引き出しを開く。


「合いそうなのは……これと、これかな」


 「あとは僕のを適当に選んで」と、言葉の意味通りに時と所と場合をわきまえて選択されたらしい紐付きのチャームをそれぞれペンタスとラエルに差し出す。


「スカルペッロ家の関係者は、行事がある度にこれを身に着けるんだ」


 ペンタスの手元には彫刻士が使う幾つかの道具を模した物、ラエルの手元には魔導王国の国花を模った物が置かれている。それぞれ裏に革で編まれた紐が一本、輪っかを作るように通されていた。


「キーナ、これ……ループタイ?」

「そう。他の使用人も祭りの間は身に着けるだろうと思ってさ。悪目立ちを避けるなら、僕たちも着けてた方が良いと思ったんだ」


 キーナの胸元には既に、二人とは違うデザインのチャームが飾られていた。

 晶砂岩で作られた石座に、飾り気のない銀色が嵌め込まれている。


「……まあ、少なくとも二人は信用してるってことだよ」

「え?」

「へ?」

「何でもない。それじゃあ使用人たちの仕事を手伝おうか。盗賊の件が無かったとしても、今日一日は忙しくなるだろうし」

「えっ、ちょっと待ってキーナ、今、とても珍しいこと言わなかった!? めぇ!!」

「あー、あー、聞こえなーい! 身に覚えもなーい!」

「……はっ!! ちょっと二人共!? 置いて行かないで頂戴!?」


 部屋を飛び出していった二人を追いかけ、水色の手袋が扉を閉める。

 はためいたロングスカートの内側には、ガーターベルトで固定されたナイフの柄が見えた。







 白い石畳に広げた敷物に小さな椅子を置き、一人の商人が腰を下ろす。


 物売りにしては商品を並べる気配がない彼は、額にバンダナを巻きつけて零れた黒髪を隠していた。濃いもみあげを指で弄るその様子は、見た目通りのおっさんである。


「……イシクブールの蚤の市で取引される商品は、その殆どが服飾や家具を含めた日用品、或いは雑貨だが、たまに掘り出し物が出品されることがある。その手のコレクターがこぞって探している美術品や、名のある職人が作った魔法具なんかがそうだなぁ」


 商人――グリッタは、下ろしていたリュックを漁って色とりどりのカフスを手にのせた。

 硝子や陶器、生物の角や牙に彫られた彫刻、骨や貝が材料になった物もある。


「お兄さんが扱っているのはカフスだ。たかが洋服の留め具と侮るなかれ! 気分で帽子や靴を変えるのと同じように、手軽に替えの利くおしゃれとして大変重宝されるものなのさ」


 カフスにこだわる習慣は、第二大陸や第四大陸に浸透している文化である。元々、第三大陸ではカフスを売る商人が居なかったので、彼はこの周辺の市場を独占しているも同然なのだった。


 ……ただしそれは、かの商人が今回の蚤の市に参加していた場合の話でもある。


「普通はこうやって客を呼び込んで買ってもらうんだがなぁ――流石に砦の上に観光客は来ないだろう。そしておそらく、ここには衛兵も来ない。お前さん、謀ったな?」


 カフス売りのお兄さんを路頭に迷わせるつもりか? と、意気消沈しながら声をかけた先には鼠顔を被った針頭の少年がいる。


 鼠顔は商人の言い分を一通り聞いた後に硝子のつぶらな目を向ける。

 赤手袋が嵌められた腕には黒い皮膜を舌でつつく蝙蝠が居た。


 針鼠もどきの少年ハーミットと、伝書蝙蝠のノワールである。


 彼らが居るのはイシクブールの入り口、関所の真上にある砦の一室だ。

 ハーミットは青々と茂る丘陵を注視したまま、コートの立て襟に隠した口を動かす。


「謀るも何も、仕事を手伝うって名乗りを上げてくれたのはグリッタさんだからね。まさかこの状況で蚤の市に出店する気満々だったとは思わなくて」

「蚤の市なんて千載一遇の稼ぎ時を!! 商人の俺が見逃すわけがないだろう!?」

「そんなに言うなら、町長さんと交渉して蚤の市で得られるはずだった収入分の報酬を請求したらどう?」

「んなことができるなら最初からやってるんだよなぁ……!」


 針鼠はグリッタの言葉に肩をすくめる。


 一介の旅する商人にとって収入のあるなしは一大事かもしれないが、グリッタが旅をするに至った経緯を知っているハーミットは同情の余地がないと判断したようだ。


『人間は難儀です、食べ物があるだけで満足できないとは』

「ははは。蝙蝠に蝙蝠関係があるように、人間関係もまた複雑なんだよノワール」

『知ってるです。だからこそ難儀だといってるです』


 薄目で商人と針鼠を流し見て、心底面倒臭いと言わんばかりに欠伸をするノワール。ハーミットはその口に管理食を突っ込んだ。『同調リンク』の効果が上書きされ、蝙蝠は眉間に皺を寄せる。


 針鼠は苦笑して、その額を手袋越しに撫でた。


「それじゃあノワール。今日も一日よろしくね」

『……大変不服ですが仕事です。では、手筈通りに』

「うん。頼むよ」


 蝙蝠が飛び立ち明後日の方角へ消えていく。

 針鼠は遠くに行った蝙蝠を目で追って、壁に背をついた。


 グリッタはハーミットのその様子にふと違和感を覚える。震えがみられなくなった両腕をどうやって誤魔化しているのかも気になったが、それよりも気になることがあった。


 いうなれば、重心が少しばかりずれているような。


「ハーミットくんさぁ、何か重いものでも持ってたり?」

「……はは。まあ、大人数を相手に素手でやり合うのは危険だからね」


 針鼠はグリッタに明かしておくことにした。


 自分が何を持っていて、どういった目的でそれを使用するつもりなのか。

 共闘相手の性質を知っていた方が立ち回りも楽になるだろうと考えてのことだった。


 商人は一通り聞いて、腕を組んだ。頷く。


「あんた、俺より質悪ぃじゃねぇかよ」

「ははははは」


 針鼠はグリッタの言葉を受けて、ケラケラ笑う。

 否定はしなかった。




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