146枚目 「企てを食らわば」
もうすぐ午前が終わる。
教会のパルモが戻ってくるのを待ちながら、話を終えた灰髪の少年は多少声を潜めて黒髪の少女を手招いた。
ラエルは暑さに耐えかねて髪を結び直そうとリリアンを解いたところだったので、髪を編み込む手元ごとキーナの隣に身を寄せる。
「ところで話は変わるんだけどラエルさん」
「なぁに、キーナさん」
「僕が勇者を捜してるって誰からの情報なの」
「?」
持ち歩いている水筒のを口に運びながら首を傾げるラエル・イゥルポテー。キニーネ・スカルペッロ=ラールギロスは眉を顰め、少女と同じ方向に首を傾けた。
「またそんな顔して。さっきとは別の悩みごと?」
「ち、違うよ。話して後に冷静になってみれば、妙だなって思ってさ」
「妙って?」
「僕は基本、ペタと日中行動してることが多いんだけど。ほら、『勇者が生きてるかもしれない』って大声でふれ回るのは控えめに言ってやばい奴だろ? だからパルモさんたちの情報を元に『本当にかもしれない』人にしか勇者探しのことは言わないようにしてきたんだ」
「……でも貴方、私たちに自己紹介した時に『証拠を揃えたら暴きに行くからな、勇者』って言ってたじゃない」
「は?」
「え?」
ラエルはうねる黒髪を編む指を止めた。
どうやらお互いに認識の齟齬があるようだ。キーナは眉を顰めながら金縁ハーフリムのレンズを磨きあげて定位置に添える。色彩変化鏡が要らなくなったとはいえ、染みついたスタイルは簡単には変わらないらしい。
少年は眉間の皺を解しながら、訝し気に少女の目を見る。
「身に覚えがないんだけど」
「ほら、握手した時に『
「握手? 握手は握手だろ? そもそも詠唱無しに上級魔術なんて使えたもんじゃない」
……言われてみれば確かに。と、言いつつ今度はラエルの方が眉根を寄せた。
キーナが指摘した通り、『
「そういえば、ハーミットは聞こえなかったみたいなことを言ってたわね。ノワールちゃんも反応していなかったし。もしかして私だけ……?」
「ハーミットさんとあの蝙蝠は知ってるの」
「知ってるわよ。隠す理由も無かったし」
「へー。それじゃあ知ってて僕らのこと泳がせてたんだ」
「害がないって判断したのよ。というか、本当に私たちの中に勇者がいるなんて思ってるの?」
少女の指先は髪を編む作業を再開し、ある程度の長さになったところでリリアンを巻き付ける。完成した黒髪の三つ編みが胸元に落ちた。
「先に言っておくけれど、私は勇者じゃないわよ」
「そうなんだ?」
「私こそ、勇者に会えるなら会ってみたいものだし」
懸賞金に目が眩んでいるから、とは言い出せる空気ではなかったが。
「――勇者、ですか。面白そうな話題ですね」
「あっ。パルモさん」
教会の奥から戻って来たパルモは、先程渡した手紙とは別の封筒を取り出した。緑色の蔦柄を刻んだ封蝋である。
「お待たせしました。上役と話がつきましたので、こちらを町長さまにお届けしていただけますか」
「ええ、分かったわ。急に訪問したのはこちらなのに、ありがとうございます」
「いえいえ。イシクブールの危機はこの教会の危機ですから。必然、こちらで留めておくべき情報ではないと判断したまでです――蚤の市当日、何事もなければいいのですが」
「……」
灰髪の少年は帽子を被り直しながら俯き、教会の情報通はベールを揺らして苦笑する。
現実へ引き戻された黒髪の少女は相槌を打つに留まり、パルモの憂いを否定できなかった。
片結びされた白黒のリリアンは、無言で背中に回された。
二人が暗い面持ちのまま教会を出ると、縮小版骨竜の彫り物を眺める三人の成人男性と鉢合わせることになった。
一人は頭に角が生えた獣人で、一人は背中をびっしりと針に覆われた黄土色のコートの獣人もどき、一人は額にバンダナを巻き付けたカフス売りだ。大中小の男たちが揃い踏みである。
カフス売りは黒いリュックサックを背負いながら、竜像をあちこちから観察して「ほう」と一人嘆息する。
「なるほどなぁ。中央広場にも似た像があったから気になっていたが……そういうことか」
「めぇ。流石に恥ずかしいです。親の作品なので……めぇ……」
「いやいや、すげぇ精巧だと思うぞ。すげぇ石工なんだな」
「あ。お疲れさま、二人共」
針鼠がラエルとキーナに気付いて茶革の右手を振る。ペンタスがカフス売りと話をしているのをみて顔を膨らませたキーナはさっさと教会の階段を駆け下りて青年にタックルを食らわせた。
ラエルはその後に続こうとして足を止める。パルモはラエルの真後ろに立ち、薄暗い教会の中に居る為にハーミットたちの視界には入っていない。
振り向いた先に居るパルモの黒い瞳は、何故か呆然と見開かれている。
「パルモさん?」
「ふぇ……あぁ、いいえ。少し眩しくて」
「協会の灯りは日の光より優しい色をしているものね。仕方がないわ」
「それでは、改めて宜しくお願いいたします」
「ええ」
ラエルは会釈の後に階段を降りる。一瞬だけ硝子の瞳とパルモの視線が交差した。
彼女は無言のまま少年に深く礼をして――聖樹信仰教会の扉は閉じられた。
後には何も残らない。黒髪の少女が階段を降りて近づいてくるだけ。
「どうかした?」
「いや、何でも。そっちも上手く話が進んだみたいだね。良かった」
「その言い方だと、馬宿の方も問題なかったのね」
「うん。このまま町長宅に一度戻ろうかと思うんだ。あと、この件に関してグリッタさんが協力してくれることになった」
「グリッタさんが?」
少女の口から出たすっとんきょうな声音に、白い骨竜の彫像 (小)をほめちぎっていたカフス売りがずっこける。
「俺が協力しちゃ悪いってのかお嬢ちゃん!?」
「いえ、別に私はいいのだけど。知らない内に彼とそんなに仲良くなってるなんて……もしかして何かあった?」
「あ、あったというか、なかったというか」
「ふうん。そう」
「……もしや怒っていらっしゃる?」
「まさか。そんなに短気じゃないわよ」
そうは口で言うものの、座った目で少年の腕を凝視する黒髪の少女。
言わんとする内容を察したのか悪寒でもしたのか、針鼠の針がぶわわわと逆立った。
「ぐ、グリッタさんは色々な事情があって諱を開示できないらしいけど、君の名前は君の判断で明かして構わないからね!」
「盛大に誤魔化された気がするのだけど。一旦このモヤモヤは持ち帰るわ――改めて宜しくお願いします、グリッタさん。私はラエル・イゥルポテー」
グリッタはラエルの自己紹介にあたふたと両腕を上げ下げして、最終的にポケットに突っ込んだ。「お、おう……宜しくなぁ、ラエル――」と、思わず呼び捨てようとして、針頭の視線が突き刺さる気配に目を逸らして呼び直す。「――いや、レディ・ラエル」と。
当の黒髪の少女はというと、グリッタが自身の呼び方に言葉を濁したことよりも「レディ」呼びされることに抵抗を感じたようだ。顔を歪める。
「レディ呼びはちょっと……あまり好ましくないわ」
「おおう……? じゃあ、『嬢ちゃん』でいいか?」
「それならまぁ……いいけれど」
本心を言うなら「嬢ちゃん」呼びされることも苦手ではあるが、浮島でも一部の人にそう呼ばれていたのでまだ慣れている……どうやら彼女なりの妥協らしい。
自身を襲った男と同じ呼ばれ方をされたくないという、個人的な嫌悪感があるだけだ。
「それで、貴方たちはまだ取っ組み合ってるつもりなの?」
「だ、だって……! ペタが僕に教えてくれなかったことを出会って数日の奴らに教えてるなんてぇえええええ」
「めええええええええ」
「ここまで来ると気遣いを通り越して清々しいほどのすれ違いに見えるわねぇ」
灰髪の少年はハンチング帽が石畳に落ちるのも構わず、ツノ付きの青年の肩を鷲掴みにしてゆっさゆっさと揺さぶっている。人族より首が長い彼の頭は大きく前後していた。ハーミットは腕を組みつつ苦笑する。
「それで、これは何についてもめているのかしら」
「うーん。俺もさっき説明を受けて知ったんだけどさ。キーナくんがコピー彫刻だと思っていたこの像は、亡くなったマーコールさんがアイベックさんの習作を
「へぇ、そうなの。凄いじゃない」
「ああ。彫りの練習にしちゃあ上手過ぎるぐらいだと思うがなぁ」
メインストリートに設置されている像を思い浮かべながら、グリッタも呟く。
目利きに自信がある商人の彼ですら、一目見ただけでは別人が作ったものと見抜けなかった。
目の前の石像は「オリジナルと全く同じような掘り出し方」で作り上げられた代物なのである。
キーナはカフス売りの言葉にぐりんと首をこちらに向けると涙声の最大声量を絞り出す。
「それだよ!! ほんとそれ!! 僕が憤るべきはアイベックの野郎じゃなくてマーコールのばあちゃんじゃんか!! つーか習作って何!? ってああ、金属プレート再発行しないと!!」
「あー、やっぱり名前削ったのキーナだったのか……めぇ……」
「気づいてたんなら言えよ!! 咎めてくれよ!!」
「ごめんごめん。なかなか言い出せなくて、めぇ」
そう言いながら、そろそろキーナが本調子を取り戻す頃だと思ったのだろう。
ペンタスは自分の胸をポカポカ殴る少年の拳を捕まえて、顔を見て、ぎょっとした。
ペンタス・マーコールは、教会の中でキーナとラエルが何を話していたかを知らない。だが彼なりに、目の前の友人に何か心情的な変化があったことを理解した。
「本当に、ごめん……!!」
灰髪の少年は、本気で悪いと思っているのだ。本気で反省して、謝っているのだ。
ペンタスは口の端を緩め、「めぇ」と声を零す。
「……そんなに素直に謝られると調子が狂うよ。キーナ、変なものでも食べた?」
「はぁ!? 変なものなんか食べてないに決まってるだろう!!」
友人として、せめてもの温情として。
ツノつきの青年は灰髪の少年が悔し涙を流しているという体をとることにした。
今日いち見事な弧を描いた、灰髪の少年のアッパーを甘んじて食らうことにした。
雪山でも耐えられる皮下脂肪と毛皮のおかげもあって実はあんまり痛くない、というのは――ペンタスだけが知っている。
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