136枚目 「釣鐘の白を携えて」


 町長夫妻との約束通り、ラエルは午後から町長宅に残る事になっていた。

 偵察を終えたノワールを彼女のサポートに回し、ハーミットは情報収集のために町へ戻る。


 通りに出た鼠顔の少年は、行商の一人から釣鐘のような形をした白い切り花を購入した。

 昼下がり、日差しに焼かれながら西地区へさしかかり、それから通り過ぎる。


 茹る頭部を抑えつつ、町の真西に用があるらしい。

 鼠顔が僅かに上下する。


「……増えてるなぁ」


 感慨を抱くような歳でもないが、そのような言葉が零れた――黒い石で造られた塔のようなオブジェ。蔦が絡まるように装飾が施されているそれらは、この地域のお墓だ。


 一つ一つ確認しながら、見覚えがある名前が掘られた石碑せきひの前に膝をつく。

 供える花は、本来なら編んだ蔦の輪を塔にひっさげるのが通例だ。しかし残念ながら、蔦を編み上げるような時間の余裕はなかった。


 幾つかの墓に祈り、それぞれ切り花を供えると。少年は一番新しい墓の前に立った。


 アルストロ・マーコール。

 ペンタスの祖母、彫刻士の墓である。


「……」


 ハーミットには、彼女との接点が無い。

 六年と少し前――勇者だった頃にイシクブールを訪れた際も、全く関わりが無かった。


(けれどあの時には既に、町の中心に骨竜の彫刻が設置されていた)


 町の背後にそびえ立つ真っ白な山脈。竜の尾に例えられるその雄々しき峰をモデルに掘り出されたという、武骨で威厳ある骨竜。


 ……だからこそ、彼は分からない。


 第三大陸の南側、歴史では覆い隠せない災害と破壊が行われたシンビオージの一件。

 あの日イシクブールの町に居た人々の中には、きっと彼女も居たのだろう。


 だとしたら、あの時シンビオージで起きた異変について明確な答えを持っていた筈である。第二大陸出身の獣人なら、あの国で何が起きたのか理解できた筈。


(……だから、勇者を探すのがペタくんならともかく。どうしてキーナくんが勇者を探す必要があるんだろう、ってとこなんだよなぁ……)


 あの灰髪の少年も、勇者時代には直接接触した覚えのない住民である。


 魔導王国で町長らについてまとめている際にちらりと目にした程度だ。その生い立ちや生育環境が特殊であることは知っている。だが、彼が言う目的に、元勇者の自分がどう関係しているというのだろうか。


 蝙蝠が言った「既に終わってしまっていること」とは、一体。


 白い花を添えて腰を上げる。思考を止める必要はない、考え続ける必要がある。

 だからまずは、今の自分にできる最大限を――。


「……魔導王国の役人が、どうして墓参りなんかしてるんだ」

「……貴方こそ、どうしてここに?」


 少年は質問を質問で返し、振り返る。

 もみあげが濃い商人は苦笑して、少年が供えた花の横に第二大陸産の酒瓶を置いた。







 酒屋がこの辺りまで来ててよかった。

 カフス売りの商人はそう言って、バンダナを巻き直した。


「ツノつきくんをこの町に送り届けたあと、あっという間だったもんでなぁ。今際いまわきわにしか関わりのない立場でどう弔ったものかと……まあ結局、俺には酒のことしか分からなかった。あのばあちゃんの横にあった酒瓶の銘柄ぐらいしか、な」


 腰を庇いながら荷物を背負うとグリッタは黒い髪をかきあげる。

 ハーミットは鼠顔を揺らしながらその隣をすり抜けた。


 イシクブール西地区。

 木造建築と陸橋の影を潜り、踏みしめた小石が音を立てる。


「そうそう。今朝なんか塗り直しに仰天しちまった。スカルペッロ家も優秀な跡継ぎが生まれて安泰だろう」

「……うん。それで、どうして貴方は着いて来るんだ?」

「面白そうだからに決まってるだろう。あんたら、朝も歩き回ってたみたいだしな」


 目をわざとらしく輝かせたカフス売りに、針鼠は曇った硝子の瞳を向ける。


「……俺が、ラールギロス家の嫡男の居場所を把握しているとでも思ったのかな?」

「ははは。察しが良くて助かるぞ、まあ大体そうだ」

「残念だったね。午前中は外出していたはずだけど、今は屋敷に戻っている筈だよ」

「把握してんじゃねぇか」

「してないよ」


 息をするように嘘を吐く針鼠である。


 蝙蝠をスカルペッロ家に置いてきたのにはラエルのサポート以外にも、スカルペッロ家の町長夫妻とラールギロス家の動向――特に、キーナとペンタスの動きを把握する為だ。


(彼らが屋敷を出た場合、回線ラインが入る手筈にはなっているけど)


 それこそ、隠し通路でも使われたらどうしようもないのだ。彼らがそこまでお転婆でないことを祈るしかなかった。


 ハーミットは背中に注がれる視線に観念したのか、歩幅を狭めて商人の隣に立つ。


「……グリッタさんは、魔導王国についてどんな印象を持ってる?」

「ん? 何だ、流れの商人まで調査対象かよ」

「町の人の意見が一致してて変わり映えしないんだ。第三大陸に度々来る商人さんの言葉なら、データにはならなくても参考にはなるかなって」

「ほー、カフス売りのグリッタさんを頼ってくれるとは! まあいい俺と君の仲だ、他言無用ってんなら半分程度本音で喋ってやらないこともない!」

「別に頼っているつもりはないんだけどな……?」


 ばしばしと力強く肩を叩かれて (器用な事に棘は避けていた)つんのめる針鼠。

 踏ん張った革靴の周囲に土煙が立つ。


「それに他言無用って。この町で話そうとしている時点で何もかも筒抜けだとは思うけどな」

「んー、ああ。まあそりゃあそうだがな。俺が言いたいのは他の魔導王国の人間に言うなってことだよ。察しろよなぁ」

「……」


 今、目の前に立つ相手が四天王だと言ったら、彼はどういう反応をするのだろうか。


 少年は好奇心を抑えつつ、溜め息をついた。もとよりデータにしないと決めた情報は彼の脳内のみに保管されるもので、書き留めることもない。魔術が原因で漏えいする心配もないのだが。


(俺が常に王様に監視されてるって知ったらずっこけるだろうなぁ……)


 ハーミットは顔見知りになった商人への温情として右手の手袋を外すと、持っていた青い回線硝子ラインビードロに素手で触れた。


「うん、それじゃあ双方合意の上ってことで話を聞かせてもらおうかな」

「――第三大陸は、魔導戦争以前よりずっと、治安が良くなったと思うぞ」


 商人の呟きに、少年は足を止めた。

 その隣をのんびりと追い越して、グリッタは振り向く。


「国が一つ消し飛んで、残った二国が合併。そうしてクァリィ共和国は生まれた。勿論、それまであやふやだった世界法が戦後に改定されたことも要因の一つだろうが……あの国がなくなったことも治安が改善した要因の一つだったんじゃねぇかと、お兄さんは思うのさ」

「うん。グリッタさん、何が言いたいのかな」

「魔導王国がシンビオージを沈めたのは偶然じゃねぇと思ってる、って話だ。あの国は第三大陸中の酒屋と賭博としとねの宿を一緒くたにしたようなところだったからなぁ」

「……」

「おっと、痛い所を突いちまったか?」


 針鼠は口を噤んだまま、ぽりぽりと額をかくだけだ。


「この辺りは戦争以前から魔導王国と親交があった地域だ。それだけに魔族が人族の国を配下に置きたがっていたことを身に染みて知っている。確かに併合後は都市が豊かになり、町の飢えも多少は改善されたが――それがどうしたよ。スカルペッロがいい例だが、第三の上層には必ず魔族の重役が食い込むようになったじゃあないか。北部の件もそうだ、俺たちは理由を聞かされることなく緘口令で口を塞がれて、思い出話を一つするにも気を張らなきゃいけなくなっちまった。入国審査でも故郷の土地を選べねぇんだぞ。ふざけていると思わないか?」


 へらへらとした声音から読み取れるのは、自虐と怒りだった。

 ハーミットは足を止めたまま、何も答えない。


「なぁ。あんたは獣人の姿で魔導王国に勤めてるんだろう。魔力の気配が薄いことを考えりゃあ俺と同じ人族じゃねえの? どうしてあの国を選んだんだ。あの国が正しいって、お前さんも思っているのか?」


 商人は硝子の目を射るように茶黒の目を向けた。

 針鼠の少年は黙ったまま、革靴の先をとんとんと鳴らす。数歩先の商人をゆったりと追い越し、ようやく口を開いた。


「少なくとも俺は、俺個人よりあの国のことを信用しているよ。意味もなく第三の人間の信用を落とすような悪手を打つほど、頭が回らない国じゃあないとも知っている」

「そりゃあ、どういう意味だ」

「そのままの意味だよ。……因みに、誰にそう聞くようにそそのかされたのか。教えてくれる気はあったりする?」


 そこでぴたりと。グリッタの責め立てるような軽口が止んだ。

 針鼠が振り向くと、徐にバンダナ頭が視線を逸らす。


「うおっとぉー? 埃が目に入ったみてぇだなぁー」

「うん。キーナくんとペタくんなんだね」

「ぶはっ!?」

「分かりやすい反応で助かるよ。因みにどっちがその内容を提示したのかが知りたいかな」

「いつの間にかこっちが問い詰められる側になってるんだが!?」

「ははは。答えてくれると助かるかなぁ、これでも魔導王国の役人なんでね」


 身体に巻きつけたショルダーバッグの回線硝子ラインビードロをちゃりちゃりと鳴らして見せる針鼠。グリッタは非常に嫌そうに顔をひきつらせたものの観念して歩き出す。


「……獣人の商人見習いの方だよ」


 どうやら昨日、馬にのせて貰ったお礼を言うついでにお願いされたのだという。

 キーナの目が届かないタイミングを見計らって、何度も申し訳なさそうに頭を下げたとも。


 ハーミットはそれを聞くと、回線硝子ラインビードロから指を放した。どうやら想定していたよりも事情が入り組んでいるらしい。


「そっか」

「んあ? それだけか?」

「うん。寧ろ納得がいったというか」

「いったというか?」

「……」

「無言になってくれるな、気になるだろうが」


 針鼠の顔色を窺おうとしたカフス売りは、明らかに自分と視線を合わせていない少年の黒い瞳を覗きこむ。瞳のようでいてその実、硝子なのだが。


 少年は商人の呼びかけに答えないまま、身体に巻きつけたショルダーバッグのベルトを締め、革手袋を嵌め直した。


「ごめん、話が変わるけど。グリッタさんって、人に恨まれる覚えとかある?」

「は?」


 嵌め直した革手袋の金属輪が鈍く光る。


 逆光に紛れて飛来した弓矢が目の前で叩き落されたのは、グリッタが腕にした長剣の柄に手を伸ばすのとほぼ同時だった。


 土の地面に突き刺さったそれを流し見て、どうやら薬品が塗られている事を確認する。


(初撃で俺とグリッタさんを引き離そうとしたんだろうが)


 身元を探られないように既製品と統一しがちな夜盗のものとは違って所属を示す羽の色。カムメの羽が使用された矢羽である。


 ハーミットはその色に心当たりがある。数日前にも同じものを目にしたばかりだ。


 物陰から一人、襲撃者が姿を現した。鉈のような得物が透明な液体を纏っている。

 褐色の肌、黒い髪をドレッドに纏め上げた特徴的な風貌の少年だ。弓矢が飛来した事を考えても、もう一人は町の何処かに潜んでいるのだろう。


(それはどうでもいい。この町は彼らにとってホームグラウンドに等しいだろう。


「どうして君たちが、俺の知り合いに手を出すんだ?」


 ――呟きは風に攫われ、黄土色の懐に入った刺客の耳には届かない。




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