124枚目 「策謀ハンチング」
曲がり角の向こうから連れて来られたイシクブールの少年は竜の彫刻を背に腕を組んだ。
昨夜見かけた際は黒い服を着ていたが、今はフード付きの半袖パーカーに七分のパンツスタイルである。
ハーフリムの金縁の先には新緑を思わせる黄緑の瞳。白い肌にはセンター分けされた前髪と、ハンチング帽の影が落ちる。頭の後ろに無造作にまとめられた灰髪が不機嫌そうに揺れた。
「……どうして分かったんだよ、僕たちが尾行してるって」
「いや、追いかける間も会話してたよね。足跡もしてたし、あの近距離で気づかない方がおかしいと思うよ」
「ちっ」
綺麗な顔が歪み、舌打ちが飛ぶ。針鼠と灰髪の彼のやり取りを前にしたラエル・イゥルポテーはセンチュアリッジでの金髪小僧の姿を重ねて苦笑する。
「こ、言葉遣いが荒いよキーナ! すみません、お忙しいのに迷惑をおかけしてしまって」
ラエルの隣で黒い塊を腕に抱く青年はぺこぺこと頭を下げている。もこもこしたクリーム色の髪から生えた黒い角が妙に小さく感じられた。目の下の隈も酷いのに、更に涙を溜めてしまっていた。
因みに彼が抱いている黒い塊は何かというと、昼寝を邪魔されて頬を膨らませた蝙蝠だ。
「いいのよペタさん。丁度町を見て回っているところだったし、せっかくだから色々教えてもらえると助かるわ」
「めぇっ! ガイド役ならいくらでもさせて下さい!」
「そ、そんなに意気込まなくてもいいのよ?」
慌てるラエルの様子をつまらなそうに眺め、視線を針鼠に戻した灰髪眼鏡は足を組んだ。
「俺たちを尾行してた理由は、何かあるのか?」
「いいや別に? そもそも僕はあんたたちのこと碌に知らないし、魔導王国から来たってしか聞いてないんだけどさ。何、去年みたいにどっちかが四天王だったりするわけ?」
「キーナぁあああああああ!?」
「っふ」
遂にこらえきれなかった針鼠が腹を抱えて笑い出したので、黒髪少女は溜め息混じりに針まみれの背中を小突く。「ごめんごめん」と、ハーミットは笑顔を隠すそぶりも見せずに顔を上げた。
鼠顔の下、隙間から覗き見た口元で朱色の唇が弧を描く。
ラエルはその表情に口を結ぶ。演技の為の笑顔だと分かったからだ。
「ああ。俺がその四天王だよ、魔導王国の五番目『強欲』とも呼ばれているね」
「えぇ……そーなんだ。てっきり、そっちの人が四天王なのかと思ってたんだけど」
「えっ」
ラエルが振り向くと目が合った黄緑が歪められた。笑わない目元と反して口角が上がる。
「だって、
「ちょ、馬鹿は君だキーナ、この人は君が思っているよりよっぽど」
「……んなこと分かってるよペタ。僕が言ってるのは実力じゃなくて体内保有の魔力量のことだ。彼女、人族にしては多いみたいだからさ」
魔導王国って言えば、やっぱり魔術士だろう――と。組んでいた足を反対に組み直し、背を着いていた彫像から距離を取る。ラエルとハーミットはその様子を目で追うが、特に何をするわけでもなく、灰髪はペタの隣に立った。
「やっぱり分かる人には分かるものなのね」
「……まあ、僕はダブルだからね。人の魔力量は一目見れば大体分かる」
ダブル。ラエルにとっては浮島でも耳にした言葉だ。赤魔術士となったストレン曰く、異種族間に産まれた子どものことを言うらしい。
ストレンは魔族と人族のダブルだったらしいが――目の前にいる灰髪眼鏡も、そうした事情があって魔力を見る力に長けているのだろう。
ラエルが色々と考えていると、その視界にペンタスが割って入る。
「そういえば、めぇ。何か聞きたいことがあるって言っていましたよね?」
「え、えぇ。町中にある像と、この像について興味が湧いて……」
「……骨竜の像が二つある理由とか、ですか?」
「…………」
「どうかしましたか? めぇ?」
「いいえ。何がモチーフなんだろうって思って――やっぱり、
「めぇ。そこの聖樹教会の真向かいにある山脈がモデルで……元は真っ白の作品なので、明日には原色の竜像を見ることができると思います」
「そうなの。楽しみにしておくわ」
ラエルは手元の手帳にチェックを入れる。
言い淀んだことを踏まえると、昨日の今日で疲れ切っている彼に問うのは辞めておいた方がよさそうだ。
ハーミットはその場が膠着状態になったと確認して肩の力を抜く。ペンタスの腕に抱かれていたノワールが身を捩って飛び立ち、鼠頭の腕に留まった。
『お話もいいですがそろそろ夕方です』
「は!? 蝙蝠が喋った!?」
「めぇ!?」
『何です、蝙蝠と意思疎通できたら駄目なんです? ……それより、魔法具を試す時間を捻出するのであれば、そろそろ町長宅へ戻った方がよろしいかと思われますです』
「町を巡ってた間にもうそんな時間になってたのか。町の端までは距離があるし、ぼちぼち行くことにしよう」
「そうね。今日はありがとうペタさん、ペタさんのお友達も」
なるべく当たり障りない笑顔をもって会話を終了させた二人は、今後のことを話し合うためにもと踵を返し――
「僕の名前はキニーネ・スカルペッロ=ラールギロス。キーナと呼んでくれ」
ラエルは背後からかけられた言葉に足を止めた。ぞわりと身体に走る感覚が、相手の魔力が流れ込んだ故だと認識して振り返る。
「……こっちの名前を知っておいて、呼び名の一つも名乗らない奴は世間知らずとしかいえないよなぁ。あんたらの名前は何だ。僕はあんたたちを何て呼べばいい」
声を張り上げた灰髪眼鏡――キーナの顔は至って真剣そのもので、先程までへらへらと笑顔を張り付けていたようにはとても見えない。
隣で顔面蒼白 (人より毛深いので肌の色がはっきりと分かる訳ではないのだが)になっているペンタスの反応からしても、どうやら予想外の行動だったようだ。
二人と一匹は顔を見合わせて、今しがた取った距離を詰め直した。
再び、黒い竜の像の前で顔を合わせることになる。
しばしの沈黙を挟んで、先に口を開いたのは針鼠だった。
「納得した……ペタくんの妙な行動力のモデルケースは君か」
「は?」
「その名乗り方、悪い大人相手だとあっという間にカモにされるぞ。辞めた方が良い」
「そっ、そうでもしないと足を止めなかっただろ。あんたらは……」
キーナは言って口をもごもごさせる。
どうやら考えるより先に行動してしまう質のようだ。
ラエルはその様子にくすりと笑う。
「私はラエル・イゥルポテー。諱は事情があって知らないの、ごめんなさいね」
あっさりと名を明かした黒髪の少女に、キーナは黄緑の目を丸くした。
紫目は隣の鼠顔へと向けられる。ハーミットは行き場のない手でろくろを回す。
「……き、君も、もうちょっと考え……あーもういいや面倒臭い。俺はハーミット。ハーミット・ヘッジホッグ! 名前でも種族名でも適当に呼んでくれて構わない!」
『そしてやけくそになった針鼠もどきの肩に居るのがノワールです』
「よろしくね。キーナさん」
そうしてラエルが手袋を外して握手を求めると、キーナは慌てて手を出し――それから少女の手をぎゅっと握り返した。伝わる握力は男性のものである。ラエルはここでようやく、キーナという中性的な顔立ちの少年が男性だと確信することになった。
離された手を呆然と見つめ、灰髪の少年は皮肉交じりの笑みを浮かべる。
「そっか。ラエルさんにハーミットさん、ね。覚えた」
「?」
「四日後の蚤の市、楽しみにしててよ。町を上げてのお祭りなんだ」
「え、ええ。……?」
最後の一言は、ラエルの耳にしか届かなかった。
魔力子を流し込まれたことによる『
その内容は、少女の思考を一時停止させるには十分だった。
キーナは針鼠とも握手する。ハーミットは手袋越しだが大して気にする様子はなかった。
その次に挨拶したノワールも無反応だ。
(言葉を流し込まれたのは、私だけ?)
自問するラエルを置いて、キーナはペタの隣に戻って行った。
「それじゃあ、行くぞペタ。探してる商人が居るんだろう?」
「え、あっうん。その、えっとごめんなさい……!!」
「いいよ、構わない。探している商人ってカフス売りの?」
「め、めぇ! そうです!」
「彼なら数時間前に会ったよ。蔦囲いの宿に問い合わせるといい」
「わ、分かりました! 何から何まで……ありがとうございます! めぇ!」
「それじゃあ、またの機会に町の案内でも頼むよ」
「うん、約束しよう。それじゃあまたね、魔導王国の役人さん」
後ろ手を振って帽子を被り直したキーナを追いかけ、ペンタスも大通りの方へ走っていく。
教会前の広場は、ラエルとハーミットが訪れた時のように静まり返った。
「俺たちも町長さんの所へ戻ろうか」
『ですー』
「ねぇ、ハーミット。貴方、さっき握手した時に何か言われた?」
「いいや。何か言われたのか?」
「……ええ」
――証拠を揃えたら暴きに行くからな、『勇者』――
「って、私には聞こえたのだけど」
「――キーナ、キーナ!」
「何だ、ペタ」
「いくらなんでも礼儀が無さ過ぎだって! あんなに無理矢理名乗らせたりして……彼らは魔導王国から派遣された役人さまだよ? もし悪い評判が本国に伝わったりしたら」
「あーもー、お前は心配性だな……。大丈夫だって。去年の赤三つ編みに話かけても何も起きなかったじゃないか。
「そういう問題!?」
ツノつきの獣人の言葉を聞き流しながら、灰髪の少年は金縁眼鏡の高さを調節する。
蔦囲いの宿まで距離は無い。……さて。彼と彼女、どちらが勇者なのだろうか?
「……ふふっ」
ペンタスには悪いが、キーナには確固たる目的があった。
彼に話したような表向きの理由ではなく非常に個人的な。人間臭い理由が。
(僕は、必ず勇者を見つけ出す)
黄緑の瞳は閉じられ、キーナはにこやかに無遠慮な子どもを演じる。
「まあ、いいじゃないかペタ! 明日からまた、忙しくなるだけさ」
「めぇ……先が思いやられる……」
頭を抱えながらも着いて来てくれるペタに、キーナは心の底から感謝している。
彼の存在は人との関係性を保つために重要な潤滑油そのものだ。
彼が隣に居ることで、キーナは思う存分人の秘密を探ることができるのだから。
(母さまを置き去りにした男の行方を。あの日、あの場所に居た勇者なら知っている筈なんだ)
何が何でも探し出してみせる。
殺してでもこの町に連れ戻すには、それしかないと思った。
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