98枚目 「帳の落ちた空のように」


 帳の落ちた空のように、様々な色が混ざった紫だった。


「話半分に来てみれば……本当に屋上に居たのね」

「……」

「こんばんは。お邪魔ならすぐ帰るから、少しだけ時間をくれない?」

「あ、ああ。構わないけど」


 三棟屋上、城壁からこちら側へ飛び降りた鼠顔は、月明りにさらされてなお針衣を揺らす。

 頭の天辺から背中まである棘の動きが騒がしい。


 針鼠の頭を被り、両腕には手袋。足元には武骨な黒のブーツ。肌をなるべく隠すような組み合わせの着こなしは相変わらずというのか、プライベートな時間すらそうなのか。


 少年は屋上に侵入者が現れたことに驚いているようだが、探し人が鋸壁のこかべの上に座っているのを見て驚かされたのは少女の方であった。


「貴方、周囲の心臓に悪い場所に座るのが趣味なの?」

「それ、何の話?」

「城壁に座っていたから、反対側に落ちる気なのかと」

「……幾ら俺でも空から海に落ちたら死ぬからね?」


 ツッコミを入れつつ、睡魔と縁のなさそうな鼠顔の少年は久しぶりになるやり取りを嬉しそうに受け入れる。

 ただ、現在時刻は時計の針が天辺を向く頃合いだろう。そんな時間に少女が一人ここまで来たことに苦言を呈さない程、少年は子どもでは無かった。


「こんな夜更けにどうしたんだ? 報告によれば、君の不眠症は落ち着いていた筈だけど」

「不眠症って……前のあれは、そんなに大層なものじゃないわよ。遅くなってしまったのは、そうね。工房の親子にギリギリまで引き留められたせいで部屋に戻ったのが半時間前なのよ」

「あー、彼らは夜型の人間だから、夜が深くなるにつれて元気になってくんだよね……」

「そうそう。話に聞いていた持ち運べる家についても、明日の夜明けに取りに来てほしいって。細かい部分で気に食わないところがあるんですって」


 ベリシードさんもフランさんも、良い人なのは確かなんだけれど。と、少女は首を傾げ神妙な顔つきになる。


 ハーミットも同意しつつ、良い人が変人じゃないとは限らない。と呟いた。


「そうだ。用事って?」

「ああそうだった」


 話の方向を修正した針鼠は、少女が腰元を何やら探って紙袋を取り出すのを目撃する。


 薄茶色の再生紙を四辺閉じた正方形の封筒型で、あけくちには赤いリボン。

 まるでプレゼントのような包装に、思わず少年は二度見した。


「……これは?」

「『これは?』じゃないわよ。さぁ、ぼーっとしてないで受け取って頂戴。貴方で最後なんだから」

「え、あっ……最後。なるほど」


 ほんの少しのやり取りの間に、何かに敗北したように落ち込んだ少年はしかし、丁寧に包みを開封する。


 月明りしかない暗さでは硝子越しに贈られたものをしっかり見ることができないと判断した少年は、右手のひらで鼠頭を外して背中に回し、金の髪を夜風に晒した。


 革手袋越しに受けとめたリリアンを見て、少年は琥珀の目をぱちくりとする。


「……?」

「あっ、受け取れないなら受け取れないで言ってもらえれば、私がどうにか処分するから」

「ど、どうして俺が君にこれを突き返す前提で話が進んでいるのかな」

「えっ、だってリリアンだもの。貴方だって二十四にもなるんだから、好きな人とか付き合ってる人とか居るのかと思って。もしそうなら悪いし、念のため聞いたのよ、念のため」


 居心地が悪いのか、壁の方まで行って背をつくラエル。


 目の前で贈った物を検分されるのはどうやら苦手な様子。ただ、少女は先程アネモネに同じようにリリアンを手渡しているので――実際、その行動の矛盾に気づいているかといえば、そうではなかった。


「……特に深い意味はないわよ。カルツェと交換した時に糸が沢山余っているって話をしたら、お世話になった人に配ったらどうかって意見が出て。まあ、お礼を兼ねたものだし良いかなって思ったのよ」

「お守り的な?」

「そうなるかしら。それに、魔導王国の赤に黄色の糸は映えるでしょう?」


 黄色。


 その言葉に少年は目を丸くした。黄色と言えば、少年の髪の色に他ならない。普段鼠顔を被っている時間の方が長い少年にとって、少女の発言は意外なものだった。


 紫の瞳が視界に入る。そうしてゆっくり思い出してみれば、確かに。初めて顔を合わせたあの瓦礫だらけの空き家の中、少年は素顔を晒していた訳だし、その後も比較的長い期間顔を合わせての交流があった。


 最近、緊急事態でなくてもこの被り物を外す機会が増えたのは、少女の信頼を勝ち取るために表情をなるべく見せる、という狙いがあってのこと。


 しかし、驚いた事に今現在に至っても、少年は少女の前で鼠顔を外している――信用、している。


(ああ、違和感の正体はこれだったのか)


 月明りだけでは判別できないリリアンの糸。

 夜、景色は赤はより暗く、青はより鮮やかに目に映る。

 黄色はその中でどう見えるかと言えば。白く、見えるのだ。


 奇しくもそれは、黒と白で編まれている、少女の髪をまとめたそれと同じような色。月のある夜にだけ、お揃いのような色になる組み合わせ。


(夜にどう見えるのかなんて、考えてなかったんだろうなぁ)


 当たらずとも遠からずの結論に落ち着きながらも、少年は送られたリリアンに目を細めてみせた。


「ありがとう。大切にさせてもらうよ」

「そ、そう。よかった」


 遠慮がちに笑うその姿を見てハーミットは、先程アネモネに相談したあることを思い出した。


「イゥルポテーさん、お礼ついでに俺から提案が一つあ」

「あっ、そうだ。出立前の準備も済んでないし、貴方も瞑想の途中だったのよね!? 私の要件は済んだから、もう大丈夫よ!」

「…………」


 笑顔のまま固まったハーミットは、逃げるようにその場から離れようとした黒髪の少女の腕をひっつかむ。恐怖を感じない筈の少女が逃げ出そうとは何事だろうか。


「待って、人の話を」

「わ、分かってるわ! あのスターリングって人を逃した時のこと、まだ許してくれてないんでしょう!? 私にだって分かるわよ!」


 どうやらラエルは「禁術にかかっていたふりをしていた」あの一件を怒られると思っているらしい。


 そんなことは既に忘れていたし、今の金髪少年にとってはどうでもいいことであった。


「いや、分かってないし的外れだから」

「目が笑ってないの!」


 人族としては並外れた筋力、というよりは単に男女の筋力差である。


 びくともしない二の腕に、ラエルは抵抗するのを諦めて琥珀の目を覗き込む。下方にあるその宝石は、濁っているわけもなく笑っているだけだ。いや、勿論傍目から見ればの話だが。


「そりゃあ、人の話も聞かないでさっさと帰ろうとするんだから、笑うもんも笑えないよ。あの件に関しては既に王様との謁見という罰を喰らったばかりだろう?」

「あれは罰だったの!?」

「罰以外のなんだっていうんだよ……許可なく会話と顔を晒されるって、普通は辛いよ?」

「……後から聞いて驚いたけれど、あれ、毎度恒例って本当?」

「残念ながら」

「そうなのね」


 会話が途切れたその一瞬、足の爪先を動かした少女だが、退路に少年の足が伸びていることに気が付いて空を仰いだ。壁側に居たことが結果的に追い詰められるこの状況を産み出したといっても過言ではない。


「逃げないで聞いて欲しいんだけど」

「うぐっ!?」


 久々の美少年スマイルに目を潰されるラエル。暗がりとはいえ、その破壊力は凄まじいものがある。

 暗がりだからこそ、見えそうで見えない細部の表情が脳内で補完され凄まじい熱量を産み出す。この少年、魔術を使えないくせに魅了は使えるのだろうか!?


 ラエルは暫く仰け反って抵抗していたが、結局疲れて脱力する。

 怪力少年に抵抗したところで時間の無駄なのは、その身を持って知っていた。


「……か、観念するわよ……なに?」

「……いや、今思い返せばこんなに必死に足止めする必要があったのかどうかも怪しい、超個人的な頼みなんだけどさ……」


 がっちり固定してしまっていた少女の腕を解放し、一歩後退する。


「君のこと、名前で呼んでもいいかな」


 ハーミットはそれだけ言って、何だか申し訳なさそうに笑った。

 どんな無理難題が降って来るのかと身構えていたラエルにすれば、その申し出はあまりにも意外だった。


「名前? それなら別に、構わないけど」

「そっか。じゃあ、できればでいいから俺のこともハーミットって呼んでほしいな」

「へ……あ、ハーミット、さん?」

「『さん』は、なるべく無しで」

「良いの? 呼び捨てになっちゃうわよ?」

「信頼している同僚に、さん付けや獣人の種族名で呼ばれるのも、なんだかむず痒いし――出遅れた感満載で気になってただけから」

「?」


 急に頭を抱えて俯いた金髪少年は琥珀の下に色をつけて首を振る。

 どうやら照れているらしい。耳のコントラストが変わったのを見て、少女がそう判断できたことは秘密である。


「そっ、それじゃあ。明日からいよいよ第三大陸だ。現地は海風が強いだろうから、体力はしっかり温存しておくように!」

「あっ、はい!」

「元気がよろしい! その調子で、君の目的が果たされる為の旅にしようじゃないか!」


 茶番を挟んで、通常運転に戻った少年は鼠顔を被り直す。どうやら、この後も暫く屋上に残るつもりらしい。


 ラエルは出入り口の扉を開き、それから振り返る。


「おやすみなさい。ハーミット」

「ああ。いい夢を、ラエル」


 屋上の扉は閉じられる。少女は階を下り、少年は城壁に残った。


 星が落ちる。二つの月が並ぶ。

 辺り一面の雲海は消え失せていた。


 ラエル・イゥルポテーが浮島に来てから二か月と少し経った今日。

 夜明けと共に少女は、第三大陸に降り立つこととなる。







 再び一人になった少年は、城壁に寝転がり思いにふける。


 帳の落ちた空のように、澄んだ紫色。

 辺り一面に散らばるその原風景。

 鋭利な結晶体が岩壁を埋め尽くすその様。

 一際大きいその魔晶石と、その隣に寝かされた二人分の青い棺桶。

 かつてその中に閉じ込めた、白い衣を纏った女性の――二度と閉じられることのない、その双眸。


「……」


 閉じていた目を開ける。


 飛び込んでくるのは、変わらない天球。故郷と変わらない雲の流れ。

 瞼に焼き付くのは、一刻前に言葉を交わした無垢な少女の笑顔。


「どうか、杞憂であってくれよ」


 そう、彼にしては柄もなく。願いをかけた。




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