61枚目 「白魔術士は虚空へ嗤う」


 十を知るつもりなら、一を知らなければ本末転倒だ。

 黒髪の少女は資料室を後にし、この日の半分を部屋で過ごすことにした。


 流石に殺人事件の情報は資料室に置いていない。そもそも一か月前の書きたてほやほやの捜査資料など早々手に入る筈がないのだが……蝙蝠のノワールが言うには、半日で資料収集と整理をしてくれるという。入手方法などについてはあまり考えないことにした。


 あの使い魔が『任せろ』というのだからこなすのだろう。なんだか某四天王と似ている。

 ともかく、ラエルが知りたいあれこれについては明日にならなければ分からないのである。


 さて。待っている間にできる事として、黒髪の少女が借りてきたのはここ二か月の情報雑誌だった。冊数制限はあるが、雑誌の貸し出しに制限はない。ラエルは引き出しの箱ドロワーボックス搭載の、すっかり腰になじんだポーチに収納して資料室を後にする。


 見慣れてしまった大掛かりな扉仕掛けを潜って、それから硝子玉と目が合った。


 相手は三棟から歩いてきたようだ。挨拶を躱すそぶりも無く、こちらに気付いていないかのようにラエルの横につく。


 絡繰り仕掛けの扉が施錠される。

 こげ茶の手袋が扉に向けられる。ブレスレットの魔石が光った。

 扉がまた開き始める。


「こんにちは」

「ん。こんにちは」

「今日もお仕事お疲れさま」

「うん。……何か借りたのか?」

「雑誌をね。ほら私、世俗に疎い所があるから」

「そうか」

「ええ」


 扉が開閉する僅かな間に交わされた会話。

 閉まっていく扉を見送って、ラエルは一人踵をかえした。


 資料室がある四棟四階から部屋がある三棟十階に戻るまでの間、ラエルは昇降機を使わず階段を利用する。


 休日だからか行き交う人々に張り詰めた気配は感じられない。それでも昇降機を使用しないのは、浮島に住んでいる魔族や獣人と乗り合わせた時の対処法が彼女の中でまだ確立されていないからだった。


 四棟五階の廊下を三棟へ渡り、部屋がある十階へ向かう。


「あら」

「あ、お疲れ様ですストレンさん」


 八階に差しかかってようやく見つけた知り合いは烈火隊の白魔術士、ストレンだった。

 彼女は階段の踊り場にて白いローブの端を摘まみ、簡略したお辞儀を返した。


「こんにちはラエルさん、今日も資料室ですか?」

「ええ、そうよ。今日はもう部屋に戻るつもりなのだけど」

「そうですかぁ」


 赤い垂れた瞳が細められる。色の濃い木の実を甘く煮詰めたみたいな怪しい色だ。


「ストレンさんって、白魔術士だったわよね」

「はい。そうですよぅ、明後日魔導士昇格の試験がありますけどぅ」

「そうなの! 少し前にカルツェも受けるって聞いていたから気になっていたの。私は応援しかできないけれど、とにかく武運を祈っているわ!」

「武運って、あは。命がけの戦いに行くんじゃあないんですから! ラエルさんも、調べ物頑張ってくださいね」

「ええ」


 黒髪の少女は階を上り、白魔術士の射手は階を降りる。


「……あは」


 最後の声はどうやら、届かなかったようだ。







 三棟十階、借り部屋。

 靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。


 毛足の短い絨毯の上を滑るようにして、まずは髪を留めていたリリアンで回線硝子ラインビードロの近くに蜷局とぐろを巻いた。


 下ろした髪ごと頭を左右に振る。

 辛うじて纏まりを作っていた癖の強い黒髪はそれだけで雑な末広がりを形成する。


 絡めた指は途中で止まり、満足に梳く事ができない。

 そのまま重力に従って腕を下ろすと頭皮に鈍い痛みが走った。諦める。


 引き出しの箱ドロワーボックス搭載ポーチを棚の上に置いたあと、指を組んで伸びをしたラエルは、そのままシャワー室へと向かった。


 スリッパを揃え、素足でタイルへ踏み込む。


 左腕の二の腕のカフス、右腕も同じように外し、うなじに手をかけると首回りが支えを失い、胸元が僅かに型を崩した。


 一体型のワンピースから足を抜く。そうして、すっかり着慣れた下着を指でなぞる。。


 水道のレバーを魔力で操作して、降り注ぐ大粒のぬるま湯を受け止める。

 鏡の無いシャワー室は、あっという間に水蒸気で満たされた。


 俯いた体制で頭頂部に流水を受けつつ、長い髪が水に浸されていく。


 青みを帯びた黒が含んだ重みでうねりを失って、束の間だけ真っ直ぐに矯正される。支給の薬剤で揉むように洗うと、泡を伴った汗が排水口へ流れ落ちた。


 黒髪の少女の背姿は、サバイバル生活をしていたとは思えないほど綺麗なものである。無論彼女は背後から砂魚の奇襲を受けたこともあるし、住み着いたオアシスで炭樹トレントと交戦した際も怪我をした。それらは白魔術師だった父親が治療を施してくれたおかげで、痕も残らず完治しているのだ。


 両腕に施された角柱粉状痕隠しプリズムコンシーラーの効果が切れ、唯一残る赤黒い腕輪が露わとなる。


(……休日は節約しなきゃね、手袋の方が気も楽だし)


 熱傷痕に触れ、端の雷模様をなぞる。苦い思い出を想起させるそれは、室内生活で多少白くなった少女の肌の上に赤い根を張っている。しかし、醜い傷痕も毎日見ていると、不思議と愛着が湧くものである。


(白魔術治療か――凄まじい発展ね。何が原因なのかなんて、考えたくもないけれど)


 医療技術が急激に発展する背景には、災害や戦争の存在がある。


 知りたい事を知るために遠回りをしたラエルは、魔導戦争の大筋を暗唱できるほど頭に染み込ませていた。今となっては必要なかったかもしれない情報だが、知識として記憶しておかなければならないのは確かである。


(……魔導戦争の終結。勇者がどうなったのかは記述されてなかった。鍵付きの本に書かれているのか、後世に記録を残すべきでないと判断されたのか)


 身体を洗って流し、髪を絞る。魔力駆動の温風装置で全身を乾かし、脱衣所に移動する。


(まあいいや、今知りたいのは魔導戦争のことじゃなくて第三大陸の事件について。そもそも私に疑いをかけていた事件がどんなものだったのか、だものね)


 黒髪の少女はスリッパに足をのせながら、支給されている部屋着に袖を通した。

 柔らかくて薄手生地のブラウスに、厚手のガウチョパンツ。


 乾いた髪を簡単に纏め、素足でベッドに胡坐をかく。

 部屋の中には服を収納する棚はあるものの机がないので、枕元に備え付けられた棚を移動して書見台しょけんだいの代わりにする。


(さて――やれるだけのことをしましょうか)


 手袋を嵌めてポーチの中に腕を突っ込む。雑誌を横に積み、まずは一冊手にとった。







 第三大陸の船都市、サンドクォーツクが発行している情報誌の七月刊。これは、ラエルが攫われる前に発行された情報誌である。


(船都市の情報が多いけれど「人死には白砂漠の呪いだ!」的なネタが多いわね……ああ、あの山に開けられた洞窟に入るには船都市で許可を取る必要があるのだっけ)


 闇雲に母国の件を調べる内に第三大陸に詳しくなったラエルは、西部にあるサンドクォーツクの観光案内に白砂漠ツアーがあることを知っていた。


 ツアーと言っても、ラエル一家がサバイバルをしていたような砂魚の巣に向かうようなことはせず、洞窟の中の舗装道を使用して岸壁の穴から砂漠を覗き見るといったものがほとんどだったが。


(あの白砂漠には、あんまり近づいてほしくないみたいな紹介の仕方だったし。何か厄介な生物が住み着いてるっていう表記もあったけれど……)


 辺境の村にあるパン屋の特集に目移りしそうになって渋々閉じ、次は八月刊を手に取る。


 八月刊に関してもサンドクォーツクの話題がほとんどだが、こちらには例のセンチュアリッジ島の騒ぎについても取り上げられていた。


 どうやら闇の即売会が開かれたことよりも、島に封印 (?)されていた怪魚の行方を報じる傾向がみられる。魔道王国国民の手によって捌かれた例の怪魚は実の所それはそれは美味しくいただかれたのだが、その辺りは伝わっていないようだった。


(……前提として、私にかけられている疑いは第三大陸での殺害疑惑、つまり私が第三大陸側に居た時の話。なら、海を渡る前に起きたはずだから……)


 必要な情報を求めて、視線が斜めに下りては上に、斜めに下りては上に、を繰り返す。


 一か月分の情報誌とあって、載っている記事は穏やかなものばかりではない。盗賊が出たとか、毒のある虫が出たとか、贋作騒ぎだとか。


 その中のほんの小さなスペースに画付きの記事があった。


 鋭利な長物で切断されたらしい馬車の車輪と、吹き飛ばされた貨物部分。――「荷を狙った夜盗か」の文字。


 殺人事件に関する記事である。死亡推定の日付は、少女がテントにたどり着いた前々日だ。


「……林道」


 比較的温暖な気候とはいえ、北には白砂漠、山脈を挟んで南側半分に草原が広がっている第三大陸には樹海と呼べるほど大きな森がない。


 あるとすれば山のふもとにある小規模な森や、人の手で管理された林道である。


 記事に載せられた画は、草原というよりは林の中を想起させた。道が舗装されているのも人の手が入っている証拠だと考えられる。


「第三大陸の地図、一緒に借りてきて正解ね」


 地図というキーワードが脳内に染みついてしまっていたので思わず借りていたそれを、情報誌の横に広げる。


(そもそも第三大陸には林が少ないから、場所は絞られる)


 第三大陸中央にある巨大な湖の周囲を囲う、南の丘陵林地帯。

 東部、山脈から南側の村を超えた海側に小規模な森。

 西部、山脈から南側にある船都市のさらに南に位置した林地帯。


 黒髪の少女は、記事と地図を照らし合わせ、指で辿る。


 水色がたどり着いたのは、二つの月が満月、もしくは新月にならなければ通れない砂道に下りることができる岬のすぐ近く――第三大陸南西にある林道だった。




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