60枚目 「蝙蝠の正しい使い方」
一方そのころ。
女性は一人、三棟八階の回廊にいた。矢筒を背負っているが、大きくスリッドの入った白い制服は、彼女が白魔術士であるという目印である。
白魔術士ストリング。愛称はストレン。
彼女は白魔導士の血脈であり、魔導王国の中でも腕利きの白魔導士といえば彼女の両親の名が挙げられる。
母親の白魔術は手のひらサイズの欠損部位を修復できる程の精度を有し。父親の白魔術は魔術的損傷の修復、解呪などに長けていた。しかし、残念なことに双方とも魔導戦争が原因で帰らぬ人となっている。
さて、その二人の子どもであるストレンはどうかというと、期待されたほどでもない。
現在魔導王国に奉仕している
そのスフェーンに従事する白魔術師カルツェもまた、ラエルと同年代にも拘らず (魔族界隈では自他共に認める異端児である)治療分野を選ばないオールラウンダー。
だが、同じスフェーンを師に持つストレンは、どの分野にも特化していない。
白魔術の申し子とされた偉大な両親の血は、混ざったことにより薄まった。
彼女が扱う魔術はどんなに鍛錬しようと中程度の精度で、伸びしろを伸ばしつくしたところで中程度の効力しか示せなかったのである。
人が扱う魔術には個人ごとに一定の限界値が存在していて、ある臨界点を越えるとそれ以上は発達しないと言われている。
魔術を発現させるための魔術導線の発達に個人差があること。
一度の魔法発現に使用できる魔力の許容量が、生来の魔力量に左右されること。
それらは避けては通れない生まれの要因だ。
生まれ持った以上のものを手に入れることは、破滅への一歩でもある。
行きつくところまで行って打ち止めになってしまえば、その先にある高位魔術は使用はおろか習得することすらできない。現実は非情だ。結果としてストレンの魔力の器は魔術の中級に留まり、上級に届くものでは無かったのである。
素質の問題なのだ。
遺伝よりも、本人の素養。
加えて、受けるたびに落ちる白魔導士昇格試験。
それらを含めてもストレンは非常に運がなかった――。
そんな何処にでもありそうな小さな不幸を抱えたまま大人になった彼女は、白魔術特化の部署に所属することなく烈火隊の白魔術士枠に収まっている。
福利厚生の行き届いた就職環境で特に生活に苦労するわけでもなく、現在は午前の訓練を終えて自室に向かった獣人の同僚エルメことアルメリアと別れた後だ。特に何も考えず、魔導王国の三棟をぶらぶらと歩いていた。
烈火隊も御用達のモスリーキッチンには七日に二日間の定休日があるが、食堂やラウンジに昼食を持ち込んで食べる分には問題ない。彼女の腕にはパンとジャムが入った弁当箱がある。
吹き抜け側のラウンジで一人食べるのがルーティンだ。あくまで動線として大食堂を横切るのである。
気まぐれに眺めた食堂の人影はまばらで、しかしそのまばらな中に珍しい顔を見つけた。
話かけるべきか迷ったが、挨拶はするべきだ。ストレンは声をかけることにした。
「こんにちは。四天王と魔法具技師の組み合わせを食堂で見るとは思いませんでしたぁ」
「超絶美人のストレンちゃんじゃんか。お久しぶりぃ」
「ベリシードさんは相変わらずのようで――あと、ハーミットさんも」
「ん」
口にパンを頬張る金髪少年を見て、息を呑むストレン。
琥珀を一度閉じ、口に入れた分をすっかり飲み込んだ金髪少年はおもむろに顔をあげた。
黙っている分には美形の少年である。
「どうしたんだ、何かあったか?」
「いいえ。今日も魔導王国は平和そのものですぅ。白魔術師が出張る幕はないですよっ」
「あっはは。それはそうだ! 平和が一番だよねぇ」
ベリシードは視界をクリアにする為にゴーグルを外した。美しい人を目に焼き付けたいという煩悩の現れである。ストレンは魔法具技師と距離を取り、金髪少年の横に辿り着く。
(そうだ、丁度気になっていたことを聞きましょう)
「たまたまお見かけしたので声をかけたまでなのですが。……その、ハーミットさん最近ラエルさんと一緒にいませんけれど、保護観察の件は片付いたのですかぁ?」
「あぁ。それは……」
「ん? そこの獣人もどきと黒髪の乙女が大喧嘩したんだって噂は聞かなかったのかい?」
「えっ」
飲み干そうとしていた水を吐き出しそうになって噎せる金髪少年。
「んばっ、それ何処情報!?」
「違うのかい?」
「ちっ……違わないけどさ、言い方ってものがあるだろう」
口元を拭きつつ鼠顔を被り直すと、少年はすぐに腕を組む。本人なりに気まずさは感じているらしい。ストレンは薄い茶髪を指で遊びつつ、片足に体重を預ける。
「あんなに仲良さそうでしたのに。喧嘩したんですかぁ?」
「意見の相違だよ。お互い引くに引けなかったというか、俺が大人げなかったというか」
「そうだそうだ反省したまえー。大の大人が年端もいかぬ少女を追い詰めるもんじゃないってのー」
「……反省はしてる。でも彼女のわがままばかりを聞いているわけにもいかないんだよ」
女性の扱いは難しい。とぼやきつつ、その場から退散するハーミット。
後を追うこともなく、ベリシードは固形の携帯食を口に放り込む。
白魔術士はというと、去っていく背中を目で追いつつ硬直していた。
「……」
「どうしたんだいストレンちゃん。可愛い顔が固まっているよ?」
「えっ? いえいえいえまさかぁ。……まさかぁ、ですよぅ」
ストレンは言いながら、胸元を握りしめる。
話を聞いて、胸を撫で下ろした自分が確かにいた。
ラエル・イゥルポテーが特別扱いされていないと知って、嬉しいと思った自分がいた。
そのことに驚きはない。寧ろ逆だ。
(
「――ベリシードさん。今度
「構わないよ? 他ならない美女の頼み事だ! 腕が鳴るね!」
「あは。頼もしい限りですぅ」
空返事しながら、脳裏に浮かぶのは近づく試験日。
魔導王国の白魔導士志望者が通る狭き門――本番はすぐそこだ。
白魔導士になることで得られる恩恵は、給金が上がるというだけではない。資格を得るということは、資格を持たぬ者の上に立つことができるということである。
自らを無能だと嘲ってきた後輩たちをも、見返すことができる唯一の手段。
(引っかかっていたことも杞憂だったみたいですし、これで心置きなく自分を追い込めますね。ええ、今回で五回目なんですから、何が何でも今年こそは――)
「目指せ、導士昇格! ですよぅ!」
「ん? おー! よく分かんないけどがんばれー!!」
「頑張りますぅ!!」
細められた赤い瞳は魔法具技師を視界に入れず、悦に入った。
戻って四棟、資料室。
「――目的がずれたから妙な事になったのよ」
『はい? 目的、です?』
「私が知りたいと思った、最初の疑問のこと」
黒髪の少女は、本を棚に戻しながら言う。
「私の当初の目的は『人売りに攫われたであろう両親を探すために浮島の外に出たい』、であって、モスリーキッチンでお世話になる前は
となれば、初めに注意をずらされたのは何時だろう。
もしかすると、カルツェから検査結果を聞いたあの時点で、何らかの布石は済んでいたのかもしれない。ラエル・イゥルポテーはその流れに沿う形で
(
だが。
信じる相手は選んだ方が良い。
ベリシードは確かにそう言っていた。それはその言葉のまま、ラエルに対して謎を提示してくる相手を疑えということだったと考えられないだろうか。
(ハーミット・ヘッジホッグ。獣人の面をした、質問ばかりしてくる人)
話していて嫌だと思った事はない。彼との問当は寧ろ心地いいぐらいだった。
だが彼が、ラエルが望む情報を隠し通そうとしていたというなら、話がつながる。
ラエル・イゥルポテーが魔導王国を出られない理由が、単に
(まさか、こうして勘づくのを待っていてくれた……なんて、私の願望をごっちゃにしちゃいけないわね)
もし推測が正しければ、ラエルが行っていた調査はかえって遠回りになっていたといってもいい。
少女は最後の一冊を棚に戻し、欄干に足を留めた蝙蝠に目を移す。
「ノワールちゃん。資料室って、知る者の味方?」
『法の範囲内では、です』
「そう。じゃあ、法を犯さない程度には味方してくれるのね。実は折り入って相談があるのだけれど」
ラエルは息を吸い込み、口を開く。
この言葉を吐けば、本格的に彼の敵に回ることを宣言する様なものなのだが――生憎、湧いて出た好奇心には勝てそうもなかった。
「第三大陸で起きた殺人事件について、その資料が見たいわ」
『善処します』
「…………冗談よね?」
ラエルが声を返すと、蝙蝠はやれやれと首を回転させる。
『好奇心に満ちた若人は、本当に厄介です……が』
黒髪の少女、ラエル・イゥルポテーは結果として選択を違えなかった。
歯茎を剥いて、蝙蝠は笑う。
『先程よりは私の使い方が分かって来たじゃあないです?』
そう。
魔導王国は、学ぶ者に寛容なのである。
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