43枚目 「地雷」


 髪は一本も生えていない。肥えた腹部に太い鼻っ面。背はあまり高い方では無いものの、黒髪の少女よりは遥かに大柄である。


 ふてぶてしい、執着するものは無いが与えられたものは余すことなく利用する人間――面会室の中で待っていた男に対して抱いた第一印象はそういうものだった。


 顔は見るまで思い出せなかったが、なるほど、確かにあの日夜這いを仕掛けてきた謎のやからである。ラエルの表情は鼠顔の下に秘されているからか、本人はラエルがあの時の少女だと気づいてはいないようだった。


 一応礼をして、ついさっき金髪少年から説明を受けた通りに右手の椅子に座る。


 ハーミットは後から入ってきて、左側の席についた。斜めに座っているので、必然対面する男の視線も左斜めに向くことになる。雑談が始まり、一度だけこちらに目を向けたものの、そのあとはラエルと男の目が合うことはなかった。


 というのも。ラエルは吹き出したくなるのを抑えるのに必死で、同意を求める男の視線に気づかなかったのである。







 金髪少年が正体を明かしたところで、ようやく問答がはじまった。


 彼の名前は「ドゥルマ・ウンエイ」。今年で二十四を数える第一大陸出身の人族。両親が借金をして蒸発したために、家族は弟のみ。


 ラエルは第三大陸の出身でつい最近まで大陸を出たことすらなかったため、過酷極まりない彼の人生の物語はそれなりに面白かったものの所詮は他人ごとである。どれもこれも、今のラエルには関係のない話だった。


「それにしても、あんたも物好きだな。人族の囚人は山ほどいるだろうに、俺ばかり指名してるのか? 仮にも女を襲った男の前に女を連れてきたりなぁ。配慮が足りないとは思わねぇか」


 げらげらと汚らしげに笑って見せるドゥルマ。金髪少年はその言葉に茶化しを入れることもなく、淡々と返す。


「止めたんだけどね。どうしてもっていうからさ」

「へぇ。なあ、そこのところどうなんだよ、レディ?」

「彼女は受け答えしないよ。見学だからな」

「はっ、口説く機会すら与えてくれないってやつか」

「今のところ未成年に手を出そうとした男にそれを許す法はないな」


 一瞬聞き逃しそうなぐらいにさらりと毒を吐いた金髪少年の目は早くも濁り始めている。この男を相手にするのは苦手分野らしい、少年のキャパシティが耐えられそうにない。


 ラエルは発言権を暗に奪われたことに「もやり」としたが、今は話す時ではないということなのだろう。まずは様子を見ることにした。


 というか、初めから一貫して金髪少年の目がすわっているように見えるのは気のせいだろうか。黒髪の少女の預かり知らぬところで難しい事でも考えているのかもしれない。


 鼠顔の少女は無言のまま、金髪少年に話の続きを促した。

 琥珀は瞬きの間にそれを了承する。


「今日はあんたのことを聞きに来たわけじゃあない。情報提供してほしいと思ってね」

「情報? 囚人のか?」

「ああ。今後、あんたの身の振り方にも――ふり幅にも、影響するかもしれない話だ」


 ハーミットは言って、目を伏せた。何を躊躇しているのかと思えば、なるほどそういうことか。情報を引き出すために彼は「取引」めいたことをしようとしているのだ。大方、ラエルにそのような内容を聞かれたくなかったのだろう。


 しかし、ドゥルマは意外な反応をした。


「あぁ? 罪が軽くなるとかそーいうのはいらねえ。つーか、何が知りたい」

「……」

「何呆けてんだ役人よ、普通だろ」


 ドゥルマはそういった。というのも、彼は現状の待遇に非常に満足しているので、別に檻の中から出られなくても、今のコンディションであればどこへでも強制労働に駆り出されても構わないぐらいの元気が余っているのである。最もそれは、彼の運動神経がしっかり機能するようになってからの話なのだが。


 大多数の人間は、それなりに整った環境に身を置かれれば、それなりに心に余裕ができるものなのだ。


「んで、何が聞きたいって?」

「え……っと。少し前に蜘蛛の団体の話をしてただろう、それだよ」

「ああ、アレか……あんたが知らないってことは、魔導王国には広まってないんだな。おっと、俺は入ってないぜ、残念ながら生まれたときに聖樹信仰の洗礼を受けてんだ」


 ドゥルマは腕を組み、椅子に座ったまま足を組む。

 囚人服は上下灰色で襟元だけ青い色がついている。半袖なので、濃い毛が生えた腕の太い筋肉がありありと見て取れた。


「その蜘蛛ってぇのはノット教やポイニクス教みたく一神教の教えなんだが、女子どもを供物として捧げることで祝福を授かるんだか何だか。よく分からんが聞くからにやばいって話だぜ」

「情報の出どころは?」

「今まで世話になったお勤め先で色々と。だなぁ」


 男は、大口を開けてにやつく。白い歯を出すように下唇を噛んだ。


「しかし、それがどうかしたのか? 良いとこの坊ちゃんが殴り込むにゃあ、ちと厄介な組織だとおにーさんは思うがな」

「……おにーさん、ねぇ」


 ハーミットは目を逸らしながらぼやく。読み込んだ資料が正しければ、男と少年は同級生なのだが。いかんせん見た目が年齢詐称しているので、信じてもらうのは難しいかもしれない。黒髪の少女然り、だ。


 仕切り直して、琥珀が結界越しの囚人に向けられる。

 男の向こう側には少女の姿が見えたが鼠顔の表情が読める訳もなく、早々に視線を離した。


「近い内に、挨拶にでも行きたいと思っててね。交流の為にも、事前知識が大いにこしたことはないだろうと思ったんだ」

「はは! 一団体にご挨拶ってぇ、あんた――俺らん時みたく潰すつもりかぁ?」

「まさか。そんなに暇してる様にみえるのか」

「お気楽な様には見えてるさ。それが演技だってこたぁ、嫌でも分かるがなぁ」

「ほう。じゃあ今、俺は何を考えていると思う」

「決まってんだろ。『なんて察しの悪い罪人だ』ってな」


 男は言って、ちらりと鼠顔の少女を視界に入れた。ラエルはその視線に被り物の下で眉を顰めたが、男にとっては少女がその動きをするだけで確かめる材料が揃ったと言わんばかりに、スキンヘッドを掻き乱した。貝爪が焼けた肌に赤い線を引く。


「……と、悪人面してカマをかけてみたんだが。俺のガラじゃあねえなあ」

「カマ、ねえ」


(いや、今のは――)


 黒髪の少女は姿勢を変えることなく思考する。向けられた視線で、何となく分かった。


 この男は、ラエルがあの日の少女だということを覚えている。顔も見ずによく判断できたものだ。となると、金髪少年が鼠顔の獣人と同一人物だと気づかなかったのには違和感があるが……それは、かつて黒髪の少女が金髪少年と針鼠の類似性に気づくまで時間を要したように、少年が見た目を切り替える際に言葉遣いや振る舞いを僅かに変えているからだろう。


 もっとも、少年の顔面がとても目を引く造形をしているので、観察の際にそちらに気を取られてしまうというのも要因の一つなのかもしれないが。


(確証を持ったうえで尚気付かないふりを続ける方を選んだのは、こちらのペースに任せる事を選んだ、ということ?)


 それとも、あの時のことに引け目を感じているのか。ただの乙女ならともかく、残念ながら黒髪の少女は恐怖など微塵も感じなかったのだけれど――まあ、彼女が感情欠損ハートロス患者でなかったとしても、あの強烈なスイングを浴びせることになっていただろうけれど。


(確かに、一度あれを喰らったら、生きてるうちは顔を合わせたくないわよねぇ)


 ……少々ずれた地点に推理が着地したが、顔を合わせたくないという意見だけは一致したようだ。黒髪の少女は今のところ、針頭をパージする気分にはなっていない。


「他には、あるか。どんなに些細な事でもいいんだ――その組織の名称とか、拠点の場所の目処とか」

「ますます攻め込む準備にしか思えないんだが……組織の名称はしらねぇ。拠点の場所も知らねえ。ただ、俺がその類の話を聞いたのは第三大陸に上陸してからのことだな」

「第三大陸」

「ああそうだ。初めてその話を聞いた時の奴がさあ、変な面してたぜ? やけに細い切れ長の目だったんだが、何処の出身だったんだろうなあ」


 そうして大きな欠伸をしてみせた。知っている情報は全て吐いたとでも言わんばかりに。


 ラエルとハーミットは目配せをして、席を立つことにした。時間の制限もあることだし、ここには監視の目もある。金髪少年が鼠顔を被っていなければいけないことは理由までは把握していないもののラエルも知っているので、ここは空気を読もうと考えた。


 一考は、したのだ。


 男に背を向けたラエル・イゥルポテーは、そうしておもむろに鼠顔を取り外した。


「あっ」

「!」

「……いいわ。もう観察は済んだし、気づかれてるのに顔を出さないのは失礼ってものでしょう。隠す理由がないわ」


 そう言って黒髪の少女は男の方に振り返る。檻の中での邂逅を合わせれば三度目。

 表情がはっきりと捉えられる程の距離と明るさの中で対面するのはこれが初めてになる。


 男はといえば、少女の黒髪がお団子になっている事もそうだが、被り物をしていた所為で所々が跳ねているそれを薬指で掻き上げる様子に目を惹かれた様だ。

 

 長袖のジャケットの下、カフスの留まった白いシャツの袖からはみ出る火傷の痕も、可愛らしくない視線も挙動も何もかもが新鮮なものに思えた。

 特に美形という訳でもないが、それは劣っているということではない。埋もれてしまうというだけで、綺麗でないという訳ではない。


 男にはそう見えた。


 ただし、その瞳の色が紫だと気づくまで――一瞬ともかからなかった。


 ふと、空気が変わる。

 なぜだろうか。男二人はそれとなく嫌な予感がしたのだった。




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