41枚目 「匙上のカラメル」


 五棟、鼠の巣。

 一時間程度で戻って来た針鼠は、足元もおぼつかずに席に着いた。


 先程はあれだけ元気だったというのに何があったのだろうか。事情を知らないラエルは反応を首を傾げるだけにとどめた。理解していない事に首を突っ込むのは野暮である。


「お疲れ様。とだけ言っておくわ」

「……はは」


 その言葉に頭部を外し、腰の上に置くハーミット。晒された金髪が手袋越しの指に掻き乱される。今まで見たことがない位に目が座っていて、実に不機嫌だった。


「ハーミットさん、何か足しますか」

「いや、大丈夫。そのかわり砂糖をくれ」

「どうぞ」

「ありがとう」


 彼にしては珍しく砂糖を使うのか。ラエルが観察していると、カルツェは開いている砂糖の瓶を持って戻って来た。手のひらサイズの瓶には半分ほど茶色の粉が積もっている。白魔術士はそこにスプーンを一つ差し込んだ。左手に持っていた新しいコーフィーを差し出し、金髪少年はそれを受け取って礼を言う。


 コーフィーはそのまま口に運ばれた。なんだ、じゃあその砂糖は――。


 さくっ。ひょいぱくっ。


「単体で食べるの!?」

「ん? あぁ。うん」


 空返事と適当な相槌の後、少年の口にまた砂糖がひと匙吸い込まれた。


「始めて見ると驚きますよね、それ。仕方がありませんよ、ハーミットさんが隠れ甘党だって知ってる人はそう多くないですし」

「隠れ甘党ってなんだ、俺は別に隠れてなんかいないぞ」

「外ではブラックコーフィーしか飲まないじゃあないですか」

「コーフィーに砂糖を混ぜたら不味くなるじゃないか」


 さくさくさく、と止まらない指先が毎秒口の中に砂糖を放り込む。


「体壊すわよ」

「真顔で言わないでくれ。心配になるから」


 あっという間に瓶の砂糖は底をつき、代わりに金髪少年は元気になった。

 瞳は琥珀に輝き、心なしか肌つやも良くなっている気がする。


「――復活! で、どうだったイゥルポテーさん! ジャケットのできあがりは!」

「調子が上がりすぎて五月蝿いシャイターンが戻って来たわね」

「僕もあのキャラはあまり好きではありませんでした。徹夜でハイになったハーミットさんに近いものがあります」

「うっそ、この人徹夜したらこんな感じになるんだ」

「なりますね。僕じゃあ気絶させられないので、ほとほと困っています」

「……あのさ君たち。仲良くなったのは喜ぶけど、いくらなんでも傷つくぞ」


 渾身のボケに対して返って来た辛辣な感想に肩を竦めると、金髪少年は瓶のふたを閉めてコーフィーを口に運んだ。金糸の髪が琥珀に絡まるようにサラリと揺れる。それを耳にかけて不敵な笑みを浮かべた。


「それで?」

「はい。直すのは丈とカフスだけだったので、左程針は入っていませんが」

「最高じゃん、流石カルツェ」

「い、いいえ、それほどでも」


 不意打ちのスマイルに目をやられたのか、のけ反る白魔術士。普段の様子から忘れてしまいそうになるが、金髪少年の顔の素材は一級品なのである。中身を知らなければさぞやイケメン予備軍に見える事だろう。


 ラエルはその様子を横目に、話題に上がっている「じゃけっと」に袖を通す。


 ジャケットが何を表しているのかはついさっきまで知らなかったが、主にシャツに羽織る形式的な厚手の上着のことを言っていたらしい。ラエルの故郷では女性がこのような背広風の服に袖を通すことはなかったので、名称まで覚えていなかったのである。


 白シャツの上に、ロングスカートと同系色の上質な生地が躍る。まるで服に着られているようとまではいわないものの、浮いていることに変わりはない。黒髪の少女は鏡を見つつそう思った。


 一方、きっちりとした様相になったラエルを見て金髪少年は一言。


「馬子にも衣裳」

「よくわかんないけど思いっきり馬鹿にされた気がするわ」

「馬鹿にはしてない。着るものをちゃんとしたら、それなりに見えるって話だ」


 ハーミットは言いながらラエルの周囲をくるくる回り、肩の部分と手首周りを見ると後ろみごろを引っ張って姿勢を正させ、曲がった襟を直す。


「ばっちり」


 白い歯がきらりと笑った。


(いうわりには直しまくったわね……)


 ラエルは素直に喜んでいいものか悩んだ末に、ここは喜ばないでおくことにした。

 笑顔にやられたカルツェはというと、最後の力を振り絞って親指を立てていた。







 「鼠の巣」を出て一棟に戻った二人は受付の女性の案内で、さっそくこの国の「檻」に向かう事になった。向かう先は、罪を犯した者を収監する牢獄である。


 女性が灯したカンテラが照らし出す石の階段を地下へ降りると、舗装されていた壁はあっという間に岩肌へと変わり、トンネルの様に周囲を囲んだ天井は徐々に上がっていき、遂にはむきだしの岩盤の横に手すりのない階段がついているだけの道のりになった。


 カンテラは五つ浮いていて、受付の女性はそれを各々の足元と通路の外側に配置し、二人が道を踏み外さないようにしている。降りるごとに気温も下がり、ここまで来てラエルはジャケットが必要とされる理由を理解した。


 ラエルには昨晩羽織ったローブ以上の耐寒性がある衣服は支給されていないのである。魔法陣が編まれているのか、周囲が冷えてきたと感じた頃からポカポカと暖かい。


 鼠顔になったハーミットはというと、ラエルと出会った際に着用していた黄土色のコートに身を包んでいる。


 革手袋は通常装備とはいえ首元が冷えるのだろう、時折襟を立ててはちぢこまっていた。

 こうして観察していると本当に獣人のように見えるのだから不思議なものだ。


 そうして何度目かの踊り場を越えて廊下を行くと、城内に似た回廊が現れた。

 道中もそうだったが、壁はともかく天井は洞窟のそれのままである。


 受付係はある扉の前で立ち止まり、カンテラを揺らして振り向いた。

 赤と黒の斑髪まだらがみ。黒服に真赤な巻きスカートが揺れた。


「……こちらの部屋で面会になります」


 壁にある扉には空間魔術の陣が刻まれている。


 何かあった時には真っ先に切り捨てるという覚悟からなのか、部屋を増設する意図からなのか。ラエルには判断がつかなかった。


「何か問題が起きましたら、こちらのベルを鳴らして下さい。城内に待機している衛兵が向かいますので」

「便利な魔法具があったものねぇ」

「……あなた方が話す内容についても、異常を検知いたしましたらこちらから取り押さえさせて貰います。あっという間に衛兵の詰所と扉がつながりますので、ご了承下さい」

「あぁ、面会する側にも監視がつくのね。安心したわ」


 管理の行き届いた組織は嫌いではない――ラエルは自らの待遇に満足したし、嘘を吐く気配もない魔族の女性に好感を抱いた。


 受付係はそんなラエルを一瞥すると、次に針鼠の方を向く。


「ハーミットさんは、お分かりでしょうが」

「大丈夫。鎖付きだよ」


 金髪少年は言って、革手袋をひらひらと振る。彼の手首には、革の上からきつく締められた銅の輪があった。「鼠の巣」を出る際にカルツェが施したものである。


 肌を隠して行動していることも含め、ここでも制約があるのだろう。


「……それでは。面会が終了次第、お呼び出し下さい」


 浅いお辞儀をして、受付の女性は廊下を戻って行った。

 廊下から踊り場へ出ると、あっという間に背中を追えなくなる。


「そうだ、カンテラは?」

「帰りも彼女に送ってもらうから、その時に持って来てもらうんだ。間違っても暗闇の中を駆けのぼろうとはしないでね。足を滑らせたらお終いだよ」

「しないわよ。あんな暗闇の中を明かり無しで走るなんて自殺行為じゃない」


 もっとも、魔術が使える彼女からすれば制御の利かない火魔術辺りを適当に発現させれば済む話だろうが……この場では口には出さないでおく。


「それで、面会相手はこの扉の向こうらしいけれど、どうして名指しなの? まるで誰が情報を持っているのか知っていたみたいじゃない」

「……できることなら、会わせたくはないんだ」


 ハーミットは扉に手を掛けようとしたラエルを制して言う。まだ行くなということだろうか。黒髪の少女がジャケットのポケットに手を突っ込む。こうしていると暖かい。


「一応、話を聞く権利があると思ったからここまで連れて来たけれど、実際に会うかどうかは君が決めて欲しい。俺が一人で情報を聞き出して良いって言うなら、その通りにする。上に戻りたいっていうならそれでも構わない」


 ラエルが受けた予言の内容に出てきた「檻」というキーワード。


 彼女が連想したものは「人が入るサイズの檻」だったわけだが、実をいうとその種類は様々である。過剰な魔力暴走による錯乱状態にある患者も檻のある部屋に入ることはあるし、人の身の丈ほどある怪鳥を入れる檻なら、それこそ魔法具倉庫を探せばいい話だ。

 

 だのになぜ、ハーミット・ヘッジホッグがラエルを連れて行く場所としてこの場所に目星をつけたのかといえば、それは彼の直観である。


 彼もまた、「檻」と聞いて思い浮かんだのは人が入る程巨大な鉄格子――「牢獄」だった。別に、鉄の床の味が懐かしい訳じゃあない。彼にとってはそもそも、「牢」の中に居ることが苦痛であったことはないのだ。ただ、立場上出入りが多かったというだけの話で。


 少年に『強欲』の名称をつけたその人の命令で、人族と多種族の仲立ちを買って出たこともあった。故に、因縁深い。そして、あまりいい思い出はない。


 しかしそれとは別件で、少年はつい二日前もここにきている。


 この扉を越えた向こう側に居る人間から、とやらの話を耳にしている。故に、直観と確かな情報に基づいて、ラエルをこの場所まで連れてきたのだ。


 ただ、その内容をラエルに明かさなかったのには、理由があった。

 少女から視線を外したまま、扉を見据える琥珀は青い濁りを伴う。


「この先に居るのはドゥルマ・ウンエイ――あのテントで、君を襲った内の一人だ」




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