9枚目 「曇天の霹靂」


「出番です、心の用意はいいですか――さ、舞台に上げますよ」


 促されて指定の位置まで移動すると、若い人売りは構えを取った。


「『旋風ワールウィンド』」


 詠唱と共に足元に風が湧く。私は着ているワンピースのすそを下方に引っ張った。人売りはそんなことを気にせず、私の隣に立つ。


「一気に昇りますから、くれぐれも頭を打たないで下さいね」

「?」


 昇るとは。どういう――そこまで考えて、私は上を見上げた。


 するとそこに、今まで暗くて見えていなかった穴がぽっかりとある。足元にある楕円だえんの板がぴったりと収まりそうな形状だ。穴の先には赤と黒が混ざり合ったテントの天井が見える――いや、待ってくれ。目視距離を考えても大人四人分ぐらいありそうな高さなんだけど。


「えい」


 ドバシュッ。


 掛け声と共に一瞬内臓が浮き上がる感覚がして、気づいたら舞台の上だった。私と人売りの身体は、舞台の上につま先から拳一つ分の高さを保って上昇を辞める。


「………………」


 一拍置いて、ようやく鼻から息を吸い込めた。

 危ないなあ、もう。


 一緒に昇って来た人売りに「降りて下さい」と小突かれて舞台に足をつくと (若い人売りは私を舞台に降ろすと進行役に鎖の端を手渡し、また穴の底に戻って行った)、客席からは大きな歓声が上がる。


 異様な空気に、思わず息を呑んだ。


 天井に張り巡らされた固定魔術式が、赤と黒のストライプを豪華な印象に仕上げている。

 テント内を飛び回る、おびただしい数のカンテラが橙の灯りを散らしている。

 すり鉢状になった会場の外側には、四方八方に空席なく埋まった席。


 観客達の動きはさながら虫の群れ。

 そして頭上には、これまた大量のカンテラを束ねて吊るした巨大照明。


「……っ」


 これは凄い。まるで御伽話の舞踏会だ。湯水のように金を無駄遣いしている。


 すり鉢状の客席に囲まれて、その中心にある逆すり鉢状の少しだけ盛り上がった部分が、競りを行うメインの舞台らしい。


 真円状の舞台だけが、私が想像していたよりも小さいものだった。


「――さあ、本日一番目を飾る商品はこちら! 人族の娘っ子、齢は十六、ピッチピチ!」


 誰がピッチピチだ、否定はしない。


 持ち上げる為とはいえ、乙女をそういう風に表現するセンスは嫌いではない。一時代遅れた感じがいい味を出している。進行役に興味を持った私は、予定通りおどおどする演技をしつつ、横目でその姿を確認した。


 私より一回り低い背。


 細い金の長髪が肩に付かないくらいの高さまでストンと一直線に落ちている。

 横顔を見るだけで将来に期待できる整った顔立ち。


 そして、黒と赤のインナーに、灰色のケープ。

 目元に仮面を着けているが、それが誰なのかは一目瞭然だった。


「……」


 先程の発言は取り消そう、あの紹介の仕方は実に趣味が悪い。

 こちらが見ていることに気づいた金髪小僧は口の端を歪め、実に楽し気だった。


 仮面は変装のつもりだろうか? だとすればこいつは相当の馬鹿である。


「おやおや、随分と余裕そうな表情だね。反骨精神は嫌いじゃないよ?」


 違う、状況に呆れているだけだ。


 頭を抱えようにも、ここは「競売」という舞台の上。

 私は板枷を持ち上げて顔を覆うことも叶わず、場の空気に溶け込むように流されながら昨夜のことを思い出していた。







 ハーミット。

 とある国の言葉で、直訳すると「隠者」。世捨て人を指す名称なのだという。


 獣人はそう私に説明すると、硝子玉のような瞳をこちらに向けた。


 成程、確かに全てを見通すような目をしている。

 こちらからは何も読み取れないが、彼が自ら隠者を名乗る以上、それなりに場数を踏んで来た人間なのだろう。


「このテントに張られた固定魔術式には、ほつれがあるんだ」

「ええ、知っているわ……確証はなかったけど」

「そうそう。なんだ、知っているなら話は早い。俺達が君に頼みたいのは、首輪が装着される前に客席に張られた防御壁を破壊することだ。君は見つけた天井の固定魔術式の穴を利用しても構わないし、内から燃やしてもいい」


 まるで何処かで耳にしたようなフレーズを使いながら、ヘッジホッグは言った。


「内から燃やしたら貴方の仲間まで巻き添えを食って息ができなくなるわよ」

「……外から破壊したとしても結果はあまり変わらないだろう。衝撃で固定魔術が解けたら、あの天井が降ってくるんだからな」


 しかし、背中に針を背負った獣人は私たちの反応を余所に、首を傾けた。


「……何言ってるの二人とも――?」


 ――と。

 実に当たり前で、さも全ての前提であるかのように、耳を疑うような要求を口にした。


「はあ?」

「俺は『利用して』とは言ったけど、『壊して良い』とは一言も言ってないよ」


 できるでしょ? 外からでもあの穴を通して、穴が開いているにも関わらず、発動している固定魔術の式を破壊することなく、客席に張られた防御壁のみを破壊する荒業――と、ことも無さげに口にされて、言葉が詰まった。


「いや、できるでしょ? って言われても……そもそも、私、魔力のコントロール良い方じゃないんだけど」

「協力して貰うにはそれくらいできて貰わないと非常に困るんだけど」

「……スフェーンさん、この獣人……」


 冷や汗が背を伝うが、今の私には白魔術士という味方が!


「いや、理には適ってるんだ。只、魔術に関してこいつは他人事だからな……。それで、どうだ、できるのか」


 途中まで味方だった白魔術士まで手のひらを返す始末だった。


「そう。結局その結論に至るのね。もの凄く高度な要求をうら若き乙女一人に押し付けるのね、何となく知ってたわ……分かった、好きにやらせて貰うけれど。万が一、魔術式に傷を入れちゃったらごめんなさいね」

「その場合は俺達が支援するよ……うん。主にドクター達が」

「煽るだけ煽って我々に丸投げか。良い度胸をしているなハーミット」

「魔術に関して俺はノータッチだからね!!」


 口論を開始した二人を横目に私はどの魔術を使用するべきか頭を悩ませることとなった。


 私に課せられた役目は一つ、「客席に張り巡らされた防御壁を破壊すること」だ。


 それ以上は求められないどころか、他はどうにかするからそれだけに集中してくれと釘を刺された。まるで見透かされているようで気分が悪かったものである。


 え? いやいや、別に変なことをするつもりはない。私がしようとしているのは個人的な憂さ晴らしに他ならないのだから。あくまでことの「ついで」である。







 魔術を使ってりを行うらしい。


 舞台と客席の間にある溝では、金髪小僧と同じ灰色のケープを着た六人が魔法陣の上に立ち、指を組んでいる。


 金髪小僧はというと、試しに腕枷を引っ張ってみるもののびくとも動かない。


「あっははは、さっすが若い! 元気が良いですね! 人族で黒い髪、しかも天然癖毛というのも珍しい! 本会の最初を彩るには十分でしょう!」


 あははじゃないよ! 見た目に反した馬鹿力めっ!


「それでは始値百万スカーロから」


 人が百面相している横で淡々と進めるんじゃない!


「始め!」


 は、始めやがった……!


 良く知らない魔術で構成された半透明の板。舞台を取り囲むように出現したそれに、赤文字で客の番号と値段が表示されると、目まぐるしく入れ替わっていく。


 百万スカーロから始まって、十万スカーロずつ上がっていくのだが。


「おお、これは開始早々良い値が付きそうだ。やったね、おねーさん」


 おねーさんって呼ぶな。


 二六十万スカーロ、二八十万スカーロ、三百万スカーロ。


 三百万スカーロっていうと、新品のパーソナルサンドクラフト (砂上バイクとも言う)が新品で一台手に入る金額だ。小娘一人買うのにそんなに大金を積んでどうする!


 会場の金銭感覚に悶々とする私の様子を見た金髪小僧は、増音器から口を離した。


「……人が人を買うのは、大半は娯楽や愛玩だったり、労働力として使い切る為だけど」


 鎖の端を握ったまま、彼は舞台裏やあの空き家で会話をした時のような軽い口調で、しかし確かな自虐と嫌悪感を隠そうともせず。


「自分だって人間の癖してさ、同じ人間を物として扱うって、本当、最悪だよ。腐ってる」

「……」

「でもなあ、こういう悪って、多分必要なんだよ。社会が健全に回る上で、落ちない染みはどうしても必要なんだ。俺らみたいな外道は、こうでもしなきゃ生き残れないんだからさ――悪いと分かってはいても、辞められないのは酒と同じってね」


 そう小声で、彼は私にそう言うとクスリとわらった。


「救えないなぁ」


 私はつい、口にしてしまった。犯してしまった取り返しの付かない過ちに思わず口元を抑えようとしたが、金髪小僧の腕の力で手枷が動かない。一方、彼は焦るそぶりもなく続けた。


「うん。救えない男だよ、俺は」


 彼は至って普通の様子で、私が声を発したことに動揺する気配もない。


「……っ!?」

「はは、俺が気付いていないとでも? 浅はかだねぇ、そして実に詰めが甘い。まぁ君が何かしでかすつもりであっても、俺からは何もしないよ。俺にはこのこぶしと良く回る舌しかない――それに。魔力値の高い君に、魔術を使えない俺が敵う筈がない。だからこうして鎖という手綱を握らせて貰っているんだけど」


 金髪小僧はそう言って、こちらに目配せする。

 私は目を合わせないように逆の方を向く。


「無理だろうね。君が本気になれば、俺一人ぐらいどうにでもできる。今だって、俺の命を握っているのは君だ――だが、させないよ。この即売会は俺の命の結晶だ。血反吐ちへどを吐きながら作り上げた舞台だ。最高の品質の商品を、最高の演出の元に買って貰う。購入者には笑顔で家に帰って貰うんだ。だから、させないさ……結果的に、君が死のうと、ね」

「……」

「怖い顔しないの。変な気を起こさなければ誰も何もしないさ」


 耳に良く通る優しげな声音とは裏腹に、手綱のように握られた鎖が鈍い音を立てた。同時に、今まで以上に腕枷がピクリともしなくなる。


「さて、楽しいお喋りもこれでお終いかな。どうやら君の落札価格が固まったようだ」


 そう言われて板を見ると、表示式パネルの落札価格は大変なことになっていた。

 百万スカーロから始まった筈なのに、今は五百万スカーロである。大陸跨ぎで旅行に行けるのでは!?


「五百万スカーロかぁ。ま、君程の素質を見抜けたなら、本来二千万スカーロはくだらないだろうけど。一人目としては妥当かな?」


 二千万っていやいやいや、家が建つ気がする。


 それにしても人族の娘にそんな大金、誰が払うのかと板の端を見ると、二十五番の数字が踊っている。少し見回してみると、居た。最後尾列の席に居る苔色のフードを被った人物である。……うーん、人相までは分からないか。栄養が足りないので視力も下がっているらしい。


「……まさかこの距離で見えてるの? 君、二十五番の人を見つけたって?」


 何だその目は。


「その顔、見つけたんだ……俺でも無理なのに……」


 だから、人を超人みたいに言わないで欲しい。言いがかりもいい所だ。


 本来の目的を忘れそうになるそんなやり取りをしていると、観客席の方でどよめきが起こった。

 私の様子が不自然に見えたのだろうか。声が上がった方を振り向くと、一人の太った獣人がもの凄い剣幕で札を上げているようだった。


「――六百! 六百万スカーロだ!」

「ちょ、侯爵様! 予算ぎりぎりですよ! 彼女を買ったら他の奴隷が買えませんって!」

「それがどうした! 私はあの女の眼が気に入ったんだ! あの眼は良い、何者にも屈しない確固たる意志を感じる。それを私の元に手に入れずにどうする!」

「し、しかし」

「ほれ! 六百万スカーロだ! 他に居るか!」

「ああああ!」


 金髪小僧はその様子に頭をポリポリと掻くと、下に控えている魔術士に目配せする。透明な板に表示される金額は六百万スカーロに繰り上がり、表示される番号は百十八番に変更された。


 何だろう。先日私を襲おうとした男もそうだが、私は少しふくよかな体系の方に好かれる顔でもしているのだろうか……。


「良かったねー、おねーさん。どうやらあの御仁が君のご主人になりそうだ」


 あまりの押しの強さに、金髪小僧が珍しく棒読みになった。

 私もどういう顔をすればいいのか分からず、口元をへの字にして視線を宙に泳がせる。


「でも、いいね。その嫌そうな顔は真実味がある」


 人のことを言うな。

 金髪小僧は睨まれたことに苦笑いしつつ、客席に向き直って手を広げる。


「六百十万スカーロ出すというお客様はいらっしゃいますか?」


 彼の言葉に観衆は湧くものの手は上がらない。

 十五秒沈黙した後、金髪小僧はにっこり笑った。


「百十八番様、六百万スカーロで落札になります!」


 会場が震える程に湧く。私の足は少しふらついた。あまりの轟音に目眩がしたのだ。


 対して金髪小僧は涼しい顔を通り越して得意げだ。

 本当に救えない男。


「さて、即時引き渡しが希望らしい。首輪を授与するとしよう」


 金髪小僧は軽く言うと、私が昇って来た場所を通って現れた人売りの手から重たげな金色の首輪を受け取る。


 正面には豚の顔。どうやら私を落札した侯爵とやらの家紋のようだ。乱雑に大粒の宝石がギラギラと光っている。とてもじゃないがセンスが無い。可愛くも格好良くも無い。


 あれだけのお金があるというのに、もっと良いデザイナーは居なかったのだろうか。


「ははは、ここだけの話、これは主人候補が自ら設計したらしい」


 そこはせめて腕の良い彫刻士とかに任せてくれ!


「ま、裏話はさて置き、時間稼ぎもお終いだ。」ぐい、と鎖を手繰られ、金髪小僧と同じ目線の高さに引き寄せられる。「さっさと済ませるよ」


 顔が近くなったことで、仮面の隙間から除いた琥珀の瞳に吸い込まれるような錯覚に襲われた――そう言えば、この男は結局最後まで私の意思を無視しなかった。その一点に関しては、私はこいつを認めよう。


 だが、私が売られることと、私以外の誰かが売られるかもしれないことと、その状況を生み出したことに関しては話が別だ。この人は――絶対的に悪なのである。


「さあ、奴隷契約といこう。首を捧げな」

「……」

「……はは、最後くらい何か喋ってくれよ。恨み言でもいいからさ」

「じゃあ、一言だけ」

「どうぞ」


 彼は首輪の開閉部分をこちらに向ける。


 私は一歩踏み込んだ。

 遠ざかるのではなく、踏み込んだ。


「……!」


 ほんの、一瞬のことである。彼が不意を突かれたと言わんばかりに目を見開いたのは。


 ふふ、その顔、気味がいいわね。


 私が微笑むと、彼の目元がピクリと跳ねた。

 枷の付いた手で、彼の腕を手袋越しに掴む――放してやりはしない。


 覚悟しろ。


「『霹靂フルミネート』!」


 歓声に紛れた詠唱、轟くは雷鳴。

 瞬く間も与えず、会場に槍のような雷雨が閃いた。




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