第70話 タリスとセレーノ

開店前のオルキデア。

その扉を勢いよく開く。


「姉さん!!」


タリスの叫びに驚く影は三人。

セレーノ、カルパ、それからロセだ。


ロセの姿にアリシヤは目を見開く。


目があった。

ロセはばつが悪そうに目を逸らす。


だが、タリスはそんなものには目もくれず、セレーノに駆け寄る。


「なあ、姉さん。本当のことを教えてくれ!」

「本当の事?」

「そうだ、姉さん」


タリスはセレーノの瞳を見つめる。


「姉さん。俺、姉さんがいてくれてよかった。だから―」

「ちょっと、急にどうしたのよ。タリス」

「聞いてくれ」


茶化そうとするセレーノにタリスは言う。

セレーノが息を呑んだのがわかった。


「母さんも父さんも友達も…皆皆死んだ。どれだけ辛かったか、どれだけ悔しかったか」

「うん…」

「だけど、姉さんがいた。それがどれだけ救いだったか」


タリスがセレーノの手を握る。


「姉さん…姉さんの幸せが俺の幸せなんだ。だから、本当のことを言ってくれ。大切なことを黙っていなくならないでくれ!」


セレーノが唇をかみしめる。

その肩がかすかに震え、目には涙がたまっている。

タリスが俯いた。


「俺、寂しいよ。姉さんがオルキデアを捨てるのが…。でも、それ以上に欲しいものがあるなら俺は―」

「ないよ」


震えた声でセレーノは言った。

タリスが顔を上げる。

セレーノの頬に涙が伝う。


「ないよ!このお店や家族ほど大切なものはなにもない!欲しいものは何もないわ!」

「だったら何で!?」

「だって私は、ずっとそばにいてくれたタリスが、新しくできた家族のアリシヤちゃんが大切なの、大好きなの…」


セレーノが服の袖で、乱暴に涙をぬぐう。


「全て私のためなの!わかって!」


チリン、と小気味よいベルの音が鳴り店の扉が開く。

皆の視線が一斉に扉に向く。


「お、お邪魔します…」


リベルタが申し訳なさそうに扉をくぐった。

そういえば後から来ると言っていた。

妙な沈黙の中、リベルタがひとつ咳払いをする。


「セレーノさん。俺は詳しいことは知りません。だけど、一つ言えることがあります」

「…なんですか?」

「何があろうと、俺は俺の部下、タリスとアリシヤさんを守ります。だから安心してください」


セレーノが目を見開いた。

そして、深呼吸を一つする。

そして小さく頷くと、カルパ、ロセの方を振り返る。


「ごめんなさい」


セレーノが顔を上げた。

そこにはいつもの明るい笑顔が浮かんでいる。


「やっぱり、私、タリスのくれたこのお店が大好きなの。ここに来るお客さん、ここで仕事をする私、この家に帰ってきてくれる二人。だからお嫁には行けません。ごめんなさい」


セレーノが頭を下げた。

ロセが一歩足を前に動かす。

そして、口を開こうとした。


が、それはカルパに制止される。


「分かりました。セレーノさん」

「カルパさん」

「久しぶりに、あなたらしい笑顔を見れた。これでいいんだ」


カルパはそう言った。

緊迫した空気から一転、皆に笑顔が戻る。


そんな中、ロセが静かに店を後にする。

アリシヤはその背を追いかける。


「ロセさん」

「何?」


振り返らずにロセは答える。

聞きたいことがある。


「クレデンテ様に、ロセさんを受け入れてくださいと言われました。私の幸福を祈っていくれているから、と」

「…そう」


さっきの様子を見れば、このことを発案したのはロセかもしれない。

アリシヤとタリスを守るため、セレーノがカルパと結婚する。

このことを。


アリシヤはロセの背に向かって放つ。


「私は、これは受け入れることはできません」


ロセが振り返った。


「あなたならそう言うと思ったわ」


その笑顔はとても綺麗で、そして切なげだった。


ロセはそのまま去っていった。


アリシヤはロセを引き留めることはできなかった。


アリシヤは仕方なくオルキデアに戻る。

中ではなぜかタリスがセレーノの前に立って、カルパを威嚇している。


「お前…何を企んでいる?」

「企んでるも何も、さっきも言った通り、セレーノさんに心を奪われたのは本当だ。セレーノさん」


セレーノが顔を上げる。

カルパがセレーノに手を伸ばす。


「婚約のことを抜きにして、僕とお付き合いしてくれないか?」


タリスが首を横に振る。


「姉さんは、あんたみたいなもやし男好きにならねぇよ!姉さんの好みは筋肉がついていて男らしい男だ」

「ちょっとタリス!」

「だってそうだろ!?」

「う、うん…」


セレーノがふっと顔を逸らす。

その頬がわずかに赤い。

セレーノが口を開く。


「カルパさん。申し出は大変嬉しいのですが、私、今好きな人がいて…」

「え」


タリスが凍り付いた。

カルパが残念そうに眉を下げる。


「そうなんだ。誰かな?その贅沢ものは」


チリンと扉が開いた。


「あ。空いてると思ったんで入っちゃいましたが、まだ準備中でしたか」

「ら、ラーゴさん…!」


セレーノの頬に血が上り真っ赤に染まる。


カルパが、ふっとため息をつく。

リベルタは、なるほど、と深く頷いた。

タリスはセレーノの顔とラーゴの顔を見比べる。


そして叫んだ。


「ラーゴォォォォ!?」


オルキデアにタリスの叫びが響き渡った。


***


チッタの街。


重厚堅牢な教会に響き渡る悲鳴。

目の前に現れた真っ赤な仮面たち。


先頭の人物が声を放つ。


「こんにちは、記録師様。それともイリオスと言った方がいいのかしら」

「あなたは誰?」


仮面を取った彼女は美しかった。


「私はレジーナ。ねえイリオス。この世界は醜いと思わない?」


イリオスは目を閉じた。

何十回何千回頭の中で繰り返したデイリアの死に様。


「思うよ」

「だったら、私たちとともにきて。世界に復讐をしましょう?」


差し出された白い腕。

イリオスはその手を取った。

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