第68話 一触即発
目が覚めた。
今日も寝起きが悪く、冬だというのに汗をかいていた。
覚えていないが嫌な夢を見た気がする。
養子の件もやはり、まだ頭では整理がついていない。
自室から一階に向かうと、セレーノが朝ごはんを作ってくれた。
タリスは早くに出かけたらしい。
「セレーノさん、カルパさんとの婚約の事ですが」
アリシヤが話題を切り出すとセレーノは困ったように笑った。
「アリシヤちゃん。これは私の意思よ」
「でも」
「私が望んだこと。誰にも文句は言わせないわ」
優しい緑の瞳。
だが、そこに強い決意が見える。
アリシヤは俯く。
彼女の心を変えることは自分にはできないだろう。
そう悟った。
アリシヤは朝ごはんを食べると立ち上がる。
「お城に行ってきます」
「あら?アリシヤちゃんも?」
セレーノの言葉にアリシヤは頷く。
「勇者様に鍛えなおしてもらってきます」
***
剣を携え、アリシヤは城へ向かう。
納得いかない。
だが、どうすることもできない。
やり場のない気持ちは体を動かして晴らそう。
城の門をくぐる。
今日の門兵はラーゴではなかった。
幾度か見たことのある門兵。
チッタの事件以来明らかに態度が変わった。
以前はアリシヤにいぶかしげな眼を向けていたが、今は背筋を伸ばして敬礼する。
なんだか居心地が悪く、アリシヤは軽く会釈をしてそそくさとその場を後にした。
中庭横の広場に向かう。
兵の訓練は広場で行われる。
いつも威勢のいい声が城の敷地に響き渡っている。
だが、今日は静かだ。
それになんだか人だかりができている。
アリシヤは首をかしげる。
何かあったのだろうか。
「おお、アリシヤ!ちょうどよかった!」
声に振り返ると、ラーゴが慌てた様子でこちらに駆け寄ってくる。
「どうしたんですか、ラーゴさん」
「あんた、タリスさんともロセ様とも仲いいよな」
「はぁ」
アリシヤは曖昧に頷く。
ラーゴが人だかりの方を指さす。
「今、タリスさんとロセ様が喧嘩してんだ」
「え、いつもの事じゃ」
アリシヤの言葉にラーゴは首を横に振る。
「一触即発。あれは、間違ったら流血騒ぎだぜ」
「え⁉」
ラーゴに導かれアリシヤは人だかりをかき分ける。
タリスとロセが向かい合っている。
互いに表情は硬い。
タリスに至っては、剣に手をかけている。
いつもの罵り合いとは訳が違いそうだ。
「お前の謀った通りに事は進んでんだろう?」
「何の話かしら」
タリスの表情を見ればわかる。
怒りをあらわにした表情。
これはきっとセレーノに関係する話だ。
「分からないのか?人の姉を政治の駒のように扱うクズな茶番をやめろって言ってんだよ」
「あら、何を言ってるのかしら。あなたのお姉さまと私の兄は愛し合っている。だから結婚する。それだけの事よ」
「そんな下らない嘘に気づかないと思っているのか?俺はそれほどまで馬鹿じゃない」
アリシヤは息を呑む。
タリスはセレーノの気持ちに気づいていたのだ。
そして、己の鈍さを反省する。
自分はあの偶然の出来事がなければセレーノとカルパは愛し合っているとばかり思っていた。
タリスが続ける。
「アリシヤちゃんを養子にする話も聞いた。あの政治が苦手と言われるカルパ様が考えるようなことじゃないと思うんだがなぁ?」
「人の兄を悪く言わないで頂戴」
「違う。お前を罵ってんだよ。姦計を企てて人の家族を奪うお前をな!」
タリスの叫びにロセの青い目が鋭く尖る。
「あなた、子供ね」
「は?」
「大切な姉と同居人。二人と離れ離れになるのが寂しくて吠えている可哀想な子供。そうとしか見えないわ」
「テメェッ」
掴みにかかろうとしたタリスを鮮やかに回避するロセ。
怒りをにじませたタリスに対して、ロセの表情は動かない。
「あなたとお姉さんのことは聞いたわ。多くの苦労を共にした唯一無二の姉弟だと」
ロセがタリスを見下す。
「だけど、家族は他人。一生を共にすることなんてできないわ」
タリスが言葉を失ったのがわかった。
ロセの言葉がアリシヤにも深く刺さった。
ルーチェのことを思い出した。
タリスは何も返せない。
ロセが口を開こうとした。
と、人ごみの中から二人の間に割り込む者がいる。
「ロセさん。そのあたりにしといてやってくれ」
リベルタが静かな声でそう告げた。
ロセは眉をしかめ、リベルタを一瞥した後、視線をタリスに戻す。
「あなたはあなたの事しか考えていない。それを理解しなさい」
言い放つとロセはその場を後にした。
呆然と立ち尽くすタリス。
周りの人だかりが気まずそうに散っていく。
タリスはふらりと歩み始めた。
追いかけようとしたアリシヤ。
それを見つけたリベルタに行く手を止められる。
「そっとしておいてやってくれ」
「でも―」
アリシヤは一瞬足を止めた。
だが、首を横に振って駆けだす。
「アリシヤさん⁉」
「ごめんなさい、勇者様!私、やっぱり気になるんです」
リベルタに叫んだあと、アリシヤはタリスの姿を探す。
足が速い。
もう見える範囲にはいない。
広場を抜けて、中庭に入る。
天気がいい日はここでお昼ご飯を食べる。
今はまだ寒い。
ベンチにタリスの姿を見つけ、アリシヤはその横に腰を下ろす。
タリスは何も言わない。
アリシヤも余計なことは話さない。
沈黙が訪れる。
やがてタリスが口を開いた。
「アリシヤちゃん、どうしてきたの?あんまり来てほしくなかったんだけど」
「そうだろうとは思いましたし、勇者様にも言われました」
「じゃあ、なんで…?」
俯きながら泣き笑いのような声のタリスに、アリシヤは戸惑いながら返す。
「自分でも、わからないんです」
「え」
「タリスさんがほっておいてほしいならそうするべきだと思います。でも、それ以上に、私、タリスさんのことを知りたくなってしまったんです」
アリシヤは、眉をしかめながら思考をめぐらす。
「この間の言葉が嬉しかったから…?いえ、理由を付けようと思えばいくらでもあるのですが…。タリスさん?」
「やべぇ。今そんな不意打ちする…?」
タリスの言葉の真意が分からない。
アリシヤは首をかしげる。
と、タリスが顔を上げる。
弱ったような笑顔でタリスははにかむ。
「なあ、アリシヤちゃん。俺と姉さんのこと知ってくれる?」
「はい、もちろん」
アリシヤは笑顔で頷いた。
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