第66話 セレーノの覚悟

「あれ?」


オルキデアに戻ったアリシヤは首をかしげる。

扉の前には『臨時休業』の看板が立っている。


そんなことは、セレーノは言っていなかったが。


不審に思いながらも鍵を開け、アリシヤは中に入る。


「ただいま帰りました」


そういっても誰も出てこない。

中はがらんとしている。


いささかの寂しさを覚えながら二階の自室に上がろと、カウンターの横を通るとそこに置き書きを見つける。


置き書きは二つ。


『城で訓練してくる。 タリス』

『夕ご飯までには帰ってくる。 セレーノ』


アリシヤは納得して二階に上がった。

タリスはそのもやもやを晴らすためにでも城に行っているのだろう。

アリシヤは自室に入り、ベッドに腰を下ろした。


休みの間に何かすることはないか。


アリシヤはあたりを見渡す。

アリシヤの視線は自然と引き出しの方に向かった。


デイリアが遺したノート。

そしてアリシヤへの手紙。


「あ」


アリシヤは声を漏らす。


ラナ爺。

彼だったら、デイリアの事、そして彼が知っていたエレフセリアについての噂を知っているのではないか。


アリシヤはベッドから勢いよく腰を上げる。


幸い、王都に来てから稼いだお金はほとんど使っていない。

セレーノへの家賃の支払いとロセと出かける時に少し使っただけだ。


アリシヤはお金を、カバンの奥底にいれる。

そして剣を携える。


あの名無しの街に行くのだ。

昼とはいえある程度の警戒は必要だろう。


アリシヤは家を飛び出し、先を急いだ。


***


名無しの街に入る。


昼間だからだろう。

この前のような恐ろしさはない。

それでも、視線は感じる。


あたりを注意深く見渡しながら、アリシヤは目的の地へ向かう。


狭い路地をくぐり、薄暗い階段を駆け上り、また下がって、ついに目的の廃墟のようなラナ爺の家にたどり着く。


白いもこもことした塊のラナ爺。

その前に人がいる。

どうやら先客のようだ。


アリシヤは、壁を背に、そちらをうかがう。


「―!」


アリシヤは口を押さえる。

思わず漏れそうになった声を喉元で止めた。


ラナ爺の前にいる先客。

あれはどう見てもセレーノだ。


セレーノの明るい声が聞こえる。


「いやあ、ラナ爺助かった!おかげでタリスも諦めてくれそうだよ」

「なぁに、セレーノちゃんの頼みならお安い御用じゃよ」


ラナ爺の声がにやけている。

孫の相手をする祖父のようだ。

だが、ラナ爺がふっと声を落とす。


「だけど、いいのかい?セレーノちゃん」

「いいの。私が一番大事なのは家族。タリスとアリシヤちゃんだから」


なんだか妙に引っかかる。


アリシヤは高鳴る心臓を抑える。


タリスが諦める。

それはきっと婚約の話。


アリシヤは勇気を出して壁から飛び出る。


「あ、アリシヤちゃん!?」


セレーノがものの見事に驚いている。


「セレーノさん。婚約のお話、何か隠していますね」

「そ、そんなことはないよ」


セレーノの目が泳ぐ。


これは絶対隠している。

タリスと同じく、セレーノも嘘をつくのが苦手なのかもしれない。


「セレーノさん。ぜひ、お話願います」


アリシヤはセレーノをじっと見つめる。


逃げることもできずにおろおろとしているセレーノ。

だが、一つ深呼吸すると首を横に振る。


「駄目、話せない」


緑の瞳がアリシヤを見据える。


「私のためなの」


強くて真直ぐな瞳だ。

だが、ここで引き下がるアリシヤではない。


「でも―」

「やめい、アリシヤ君」


ラナ爺がアリシヤの言葉を遮る。

そして、後ろから大きな袋を取り出す。

アリシヤは眉をしかめる。


「なんですか?」

「タリスへの口止め料」

「ちょっとラナ爺!」


セレーノが声を上げる。

ラナ爺はかまわず続ける。


「セレーノちゃんは、タリス坊を納得させるため、わしに嘘をつかせた。カルパに噂はないと。これだけの大金を使ってな」


アリシヤは息を呑む。


セレーノはタリスがラナ爺にカルパの噂を聞きに来ることを見越していたのだ。


ラナ爺が視線を伏せる。


「アリシヤ君。セレーノちゃんとタリス坊は唯一無二の肉親だ。二人はなんでも話せるとても仲のいい姉弟だ。だが、カルパの件に関してセレーノちゃんはタリスを欺いた。なぜかは…わしからは言わない」


アリシヤは考える。


タリスを欺く理由。

先ほどのセレーノの言葉。

一番大切なのは家族。


「アリシヤ君」


ラナ爺の声にアリシヤは我に返る。

ラナ爺は寂しげに呟いた。


「セレーノちゃんの覚悟を無にしないでやってくれんか」

「でも」

「アリシヤちゃん」


セレーノの声に振り返る。


「お願い」


先ほどとは違う、必死なその瞳にアリシヤは言葉を失う。

だが、頷くことはできない。


「やっぱり…なんだか納得いきません」

「うん、ならそれでいいよ」


そう言ってセレーノは笑った。


「そういえば、アリシヤ君、何をしに来たんだ?」


ラナ爺に聞かれてアリシヤは用件を思い出す。


デイリアのことを訊きに来たんだった。


だが、アリシヤは首を横に振る。


今、セレーノとここで別れる気はない。


「また来ます」

「そうか。近いうちに来なさい」


ラナ爺は笑って頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る