第8話 くまさんに出会った。

 僕は、大崎駅から野山産業のある埼玉県にある越谷駅に向かっている。越谷駅に行くには東武伊勢崎線の準急で僕の家のある草加駅を通過して2駅先にある。割と早くに会社を出てきたので、野山産業の担当者とのアポイントまで時間はかなり余裕があった。


 僕は途中、乗り換えの為下車した北千住ルミネ1階のスイーツフロアで手土産を買うと、携帯ショップに立ち寄った。

 電車の中で調べたところ、ちょうどキャンペーンをやっていて携帯の買い替えには良いタイミングであることが判明したからであった。僕はそれを言い訳に、最近スマホの調子が悪かったから買い替えたと、嫁に押し切ろうと心に決めていた。


 色々と手続きを終えて本体を無事に購入すると、移行作業は休みの日にすることにして、購入した本体を家に置いて行こうと思い、草加駅で下車をして家に立ち寄った。嫁がいると何かと面倒であったが、今日の午前中は、お菓子作り教室で留守にしている事は分かっていた。



 そして、約束の時間に野山産業に到着した。今は担当者と面談するためロビーで待っている状態だ。担当でもないのに細かい言い訳をしてもしょうがないので、ひたすら頭を下げて終わらせるつもりであった。


 ロビーから受け付けの女性に来客用の個室に通されて待っていると、不機嫌な様子で僕と同年齢くらいの男性が1人部屋に入ってきた。

 僕はその男性と名刺交換をした後に、

「この度は、お約束の期日までに納めることが出来ずに申し訳ございませんでした」

 と頭を下げる。

「――その前に、安田さんはどうしたんですか? それに……あなたが上司と言う事でいいんですか?」

 と、語気を強めて言ってくる。

「すいません、安田は急な用事で……。一応私が直属の上司になりますので代わりに伺いました。」

 僕は、平身低頭でひたすらに頭を下げ続ける。

「ふーん」

 相手は明らかに疑念を持っている様子だ。これはまずいな、と考えていると……。


 部屋の扉が突然開いて、見覚えのある大柄で恰幅の良い男性が入ってきた。

「あっ、風間係長」

 風間係長と呼んだ男性を見ると、田中は不機嫌な顔を緩めていた。


 へー、風間って言うんだ。『くまごろうさん』は……、と僕は内心思っていた。

 風間係長と呼ばれた男性も、僕を見てすぐに気づいた様子で、一瞬驚いた顔をしたが、

「あっエル……。いや……、ところで田中君」

 と言って、田中の方を見た。

「はい、えっと、今日は安田さんが急に来れなくなったみたいで上司の方が来ています」

「そうか……」

 風間係長は頷くと、少し沈黙してから、

「うん、まぁいいだろう。こうやってわざわざ上司の人が来てくれたんだから……」

 と、田中を横目で見て言った。

「えっもういいんですか?」

 彼は、呆気にとられた様子で言っている。

「うん、後は話しとくから、戻っていい」

「あっ……はい」

 僕は、この度のお詫びにと言って、手土産を渡すと田中はきょとんとした顔をして部屋から出て行った。


 扉が閉まるのを確認すると、風間係長は笑顔になって、

「どうしたの、エルさん。こんな所で……」

 と言った。

「うちも色々あるんですよ」

 僕は、困った顔をしながら話した。


 ――以前、GOCを始めた頃にサイトの掲示板に載っていた「東武伊勢崎線界隈の方、オフ会やりませんか?」という募集に一度だけ参加した事があった。オフ会とはこの場合はGOCをやっている人が実際に会って交流する事で、その時にこの『くまごろう』さんこと風間係長とは、同じ草加市に住んでいるという事もあって意気投合をした。その後、オフ会に行く事はなくなり、直接会う事はなかったが、今でもGOC内ではフレンドとして一緒に遊んでいる。


「そう言えばくまさん、オフ会の時に越谷で飲んだ時、会社この辺だって言ってましたね」

「ははは、でもこんな偶然あるとはね」

 と、彼は笑った。

「そうですね」

「それにしても、今日はエルさんの難題を簡単に終わらせてあげたんだから、ちゃんと借りは返してよ。……まぁ、『バイグラの葉』を50枚で手を打ってあげようかな」

 くまごろうにそう言われ、僕も笑いながら、

「うん、了解です。安いもんですわ」

 と答えた。


「……ところで、今日のアップデート情報見ました?」

「うん、見た、見た。すごいね、スマホで遊べるようになるんだね」

「ねっ、さっき新しいスマホに買い替えてきちゃいましたよ」

「早いね、あっ……てことは今日うちに来るのもそのついでだったと……」

「いや……」

「ちょっと、田中呼んでくるかな……」

 くまごろうは、席を立つ素振りをしながら、僕を見て言った。

「止めてくださいよ」

 僕は、慌てて右手を前に上げた。

「ははは」

 僕の様子に満足したように笑った後、名刺を見て、

「そうか、エルさんは森嶋さんって言うんだね」

 と言った。

「はい」

「お互い名前分かっちゃったんだし、今度また草加駅でオフ会やろうよ」

 そう言うと、くまごろうは時計を見た。

「うん、そうですね。ぜひ」

「じゃあ、これから会議だから……。今日はわざわざありがとうございました。後は穏便に終わらせとくわ」

「すいません、ありがとうございます」


 そう言って僕は野山産業を出た。今日は大ピンチをくまごろうとの出会いによって救われた一日だった。

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