第7話 力原(パワハラ)課長

 今日の朝も僕は、自宅のある埼玉県の草加駅から会社のある品川区の大崎駅までの満員電車に乗っている。新聞を大きく開いて読んでいる隣の年配の男性や、前の大学生が背負っているリュックサックの圧迫に耐えながらも、なんとかスマートフォンの場所をキープしてGOCの関連サイトを見ていた。

 

 そうして会社までの1時間の間、明日からの休日の間に何をしようか考えていると、今日の午後からパワハラ気質の上司と同行して、後輩が起こしたクレームで、お客さんの所にお詫びに行かなければならないと言った憂鬱さも忘れられる。


 攻略サイトの次回のアップデート情報を読んでいると、気になる事が書いてあった。そこには、現在スマートフォン用のアプリを開発中で、それと連携して色々な事が出来る機能が実装されるという事であった。

 ゲーム中のチャットがスマートフォンでも出来るようになったり、手工業ギルドの職人に製作のお願いが出来たりするらしい。これはかなり嬉しい機能だ。

 さらに情報を見ると、地図アプリと連動して現実世界の中にドロップされた武器の素材を探し出すことで、これでしか手に入らない貴重な武器を作り出すことが出来るという事だった。今後防具についても実装予定らしい。

 うっひょー。やったぜ! ――僕はそれを読んで、内心飛び跳ねるくらいに喜んでいた。色々なSNSを見ると予想通りGOCプレイヤーからは歓喜の声が上がっている。


 ただ、よくよく読んでみると、スマートフォンの古い機種ではメモリ容量が足りないから出来ないとの事だった。そして、それが僕のスマートフォンも対象になっていた。

 困ったなあ――こんな理由で、10万近くもする物を買い替えるなんて嫁が許してくれる訳がない。ただ、アップデートまでになるべくお金を掛けずに機種を新しく変更をしなければいけない……。アップデートは再来週だ。



 そんな事を考えながら、いつものように会社に出勤すると、クレームを僕に押しつけてきた後輩の安田が申し訳なさそうにデスクにやってきた。

「すいません、今日は本当に……」

 こいつ、内心はホッとしているくせに……、演技しやがって、と思いながら、

「あー、いいよ。俺もしっかりフォローしなければいけなかった立場だし、気にするな」

 と、微笑みながら言った。

「自分も行きたいのは山々なんですが、香山商事さんにどうしても行かなくちゃいけなくて……」

「うんうん、しっかり香山さんとこの大口受注もらってきてくれよ」

 嫌味の一言でも言えれば気分も良いのだろうが、僕はこういう場では悲しい事に心の広い先輩を演じてしまう。

「はい」

 安田は、目をキラッキラに輝かせながら、返事をしている。


 ……元々、香山商事の仕事も僕がやっていた仕事だった。新規開拓から苦労して、なんとか受注確実な状況になった矢先、安田の経験を積ませる為だとかなんとか言って、上司の力原課長に引き継ぎを半ば強制的に命じられた。僕への評価はしっかりするからと言う彼の話であったが、当然信用していない。


 彼が、安田を特に可愛がっているのは周知の事実で『リアルおっさんずラブ』だと会社の女性事務員の間でも話題になっているくらいだった。だから僕もそれ以上は言っても無駄だと思って黙っていた。しかも力原課長が優しいのは安田だけで、他の社員には文字通り、『パワハラ課長』と陰で言われる程で、高低差があり過ぎるのである。そんな人間が僕の直属の上司な訳だ。

 そして、今日の僕はその力原課長と同行して、安田がしでかしたクレームに謝りに行くのである。


 安田が自分のデスクに戻ると、今度はその力原課長がミーティング室から僕を呼んでいる。

「おーい、森嶋君」

 ん? なんで今日は君付け? いつもと違う優しい口調で僕を呼ぶ力原課長に、気持ち悪さと嫌な予感を感じながら、僕はミーティング室へと入っていく。

「はい、なんでしょうか?」

 僕が入ると、彼は周りを見渡しながら、ミーティング室の扉を閉めた。そして、

「俺もさ、昨日の晩考えたんだけど……」

 と切り出した。

 彼は珍しく、僕の様子を窺いながら慎重に話している感じがする。

「はい」

「やっぱり香山商事の仕事の方が大事だと思う訳よ」

「はあ……」

「安田1人じゃ心配だしさ、俺今日は、そっちに行くわ」

「えっ?」

 僕は、信じられない力原課長の発言に愕然とした。そして、……言葉を失う。

「……だから、悪いけど野山産業さん1人で行ってくれる?」

「いや、あの……。安田は上司連れて行くって言ってるんですけど……」


 そもそも安田が今日行けない事すら客には言ってない。全然関係ない僕1人が行ったところで解決するはずがない……。

「――でも、前に一度行ってるだろう? 野山産業さんとこは」

「いや、あれはOJT(先輩社員が新入社員等と同行しながら仕事のスキル向上をさせるのを目的とした)研修の一環で……」

「相手からしたら誰が上司か分からないだろ? お前が出す名刺も一応、主任なんだし」

 一応、と言う言葉も気になったが、その時力原課長の語気が、少しずつ強くなってきているのに僕は気付いていた。

 あー、力原の奴、これはもう少しでキレるな――経験上、僕はこれ以上言っても無駄だと悟った。

 そして、

「分かりました。じゃあ、なんとか行ってきます」

 と観念するように言った。


 すると、眉をひそめ始めていた力原課長の顔は満面の笑みになって、

「悪いな、森嶋。……手土産は1万円まで出して良いから、高価な菓子でも買って、持って行ってくれ」

 と話して、ミーティング室をスキップするような軽い足取りで出て行った。


 今日は力原課長がお詫びしている隣で、特に何も考える事も無く頭を下げてればいいかな、程度で考えていたので、僕はデスクに戻ると、安田を呼んで経緯の説明から現況までを事細かに確認してから会社を出る。


 朝から理不尽な事のオンパレードだが、僕の良い所は、気持ちの切り替えが早い所だ。会社を出て電車に乗る頃にはスマホの買い替えをどうしようかという事が頭の大半を占めていた。


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