《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》2 第34話 蛇としてうまれたもの

 短剣を構え、床を蹴る。目指すアルマは、そんなトキに嘲笑うような笑みを向ける。


「さぁて、この五年でどこまでやれるようになったか見せてもらうとするかね」

「アルマ……今度こそ殺す!」


 アルマに接近すると、トキはアルマの心臓めがけて短剣を振り下ろす。しかしアルマは、少し体を捻るだけでそれをかわした。


「そら!」


 そのままアルマが蹴りをカウンターとして放つ。大振りの攻撃を放ったばかりのトキにそれをかわす事は出来ず、腹を蹴られて後方へと吹き飛ばされた。


「がはっ……!」

「オイオイ、そこまで平和ボケか? 完全に退化してんじゃねえか」

「うる……せえ……!」


 二度もダメージを受けた腹を押さえ、それでもトキは立ち上がる。幸いにと言うべきか、短剣が手から離れる事はなかった。

 逆流した胃液とよだれが混じり合い、トキの顎をつたう。それを手の甲で乱暴に拭い去ると、トキは再びアルマに向かっていった。


「ったく、学習しねえな……!?」


 失望したように言ったアルマの目が、直後、僅かに見開かれる。トキが短剣を、唯一の武器をアルマに向けて投擲とうてきしたからだ。


「チッ……!」


 打ち落とすのはリスクが高い、そう考えたアルマは己の頭へと真っ直ぐに飛来するそれを左に大きく動いてかわした。だが。


「アルマぁっ!」


 短剣を投げると同時に全速力で接近していたトキが、そのアルマに体当たりをぶちかます。そして自分の体ごと、アルマを床に押し倒した。


「ハッ……捨て身の覚悟は立派だが、こっからどうする気だ? トキ」


 そのままトキに馬乗りになられ、見下ろされながらも、アルマから余裕の表情が消える事はない。自分の隙を突く為とは言え武器を手放したトキに出来る事などほぼないと、解っていたからだ。

 事実、トキはアルマを見つめたまま何もしようとはしない。その事にますます失望し、トキを振り落とそうとアルマが腕に力を込めた時だ。


「……んで、だよ」


 俯いたトキが、ぼそりと何かを呟いた。思わずアルマが手を止めた瞬間、その呟きは叫びへと変わった。


「何で! アンタ! ……本気じゃねえんだ!」

「……あ?」


 アルマの肩が。微かに、本当に微かに、震えた。


「さっきの蹴りも……今だってそうだ! 前のアンタなら、簡単に避けられただろ!」


 見下ろすトキの目に、もう憎しみの色はない。あるのはただ悔しげな、それでいて泣きそうな、まるで初めてアルマと出会った時のような――。


「俺は、もうガキじゃない。あの頃は解らなかったアンタの気持ちが、少しだけ解る」


 言って、トキの手がアルマの胸倉を掴んだ。そして、自分の間近にぐい、と引き寄せる。


「アンタ――俺に殺されようとしたな」

「……」


 長い、長い息が、アルマの口から漏れた。取り繕っても無駄だと、そうトキの表情が告げていた。


「……参ったね。いつまでも成長しないガキだと、ただ俺が思いたかっただけらしい」

「答えろよ、アルマ。何で、アンタは――」

「――俺は、蛇としてしか生きられない」


 トキの問いに。被せるように、アルマは言った。


「だが、どうせなら……死に方くらいは、自分で決めたかった。それだけだ」

「だから、俺にわざわざ言ったのか。セシリアの居場所を」

「そこまで解っちまったのかよ。見た目は昔に戻っても、中身はそうじゃねえって事か」


 自嘲気味に笑うアルマに、トキの顔がまた歪む。あの頃の、ただの兄貴分と弟分だった頃の二人が、そこにはいた。


「……何で、セシリアをさらった」

「そこまで素直に言うと思うか?」

「思わねえ。だから当てる。……目当てはセシリアの体だろ」


 アルマは、それに何も言葉を返さない。それを肯定だと、トキは受け取ったようだ。


「ドルチェのやった事と一緒だ。人の夢を渡り、セシリアまで辿り着く。『眠り病』は、その副産物だ」

「……」

「今のセシリアは、〈万物の魔導書オムニア・グリム〉の存在を示す唯一の存在だ。アンタはだから、魔女に言われてセシリアをさらったんだろう?」


 言い切って、トキがアルマの目を真っ直ぐに見る。アルマはそんな弟分の成長を、どこか遠い目で見つめた。


「……解ったところでどうする。俺はお姫様を渡す気はねえし、お前も奪還を諦めない。殺し合うしかないんだよ、俺達は」

「……アルマ」

「殺せ。今度こそしっかり、お前の手でトドメを刺せ。そうすりゃ少しは……アイツに、ジュリアに近いところに行けそうな気がする」


 アルマの言葉に、一層、トキの顔が歪んだ。本当にそれしかないのか、そう言いたげな顔だった。

 そんなトキを、アルマは静かに見つめ返す。「そうだ」と、肯定の意味を込めて。


「アルマ……それでも、俺は……」


 胸倉を掴むトキの手が緩み、ひとしずく、涙が零れ落ちる。――その、次の瞬間。


「――! トキ!」


 アルマの手が、上にいるトキを全力で突き飛ばす。バランスを崩したトキの体は床に投げ出され、落ちていた短剣の元まで滑った。


「アル――」


 そして、起き上がったトキが見たものは。


 首から上をきれいに失った、アルマの体だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る