《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》2 第12話 彼女の選んだ道

 その男の姿は、苦々しすぎる記憶と共にマルクの脳裏にこびり付いていた。


 五年前。当時のマルクは、とある研究に没頭していた。


 永遠に眠り続ける事と引き換えに、対象の肉体の時を止める研究。


 考えて考えて考えて、やっと見つけた『彼女』を救う方法だった。例えそれでもう二度と『彼女』が微笑まないのだとしても、ただ生きていてくれさえいれば、それで構わないと思った。


 しかしそのささやかな願いは、呆気なく絶たれた。そして、『彼女』はマルクの前から消え、二度と帰ってくる事はなかった。

 彼の望みを絶ち、『彼女』を奪っていった張本人。そう、それこそが――。



「……まさか、テメェとここで会う事になるとはな」


 憎い男が、五年前と全く変わらぬ姿で言う。その悪びれた様子一つ見せない姿に、マルクの中で抑えられていた怒りや憎悪が急激に膨れ上がっていく。

 ――トキ。この男さえいなければ、総てが上手くいったのだ。誰よりも大切な『彼女』を、理不尽な死の運命から救う事が出来たのだ。

 『彼女』が、この男と行く事を選んだ故に。自分の死の運命を、受け入れると決めたが故に。

 だから自分は、『彼女』の死に目にも遭えずに。


 五年間、ずっと後悔し続けていた。『彼女』の意思を尊重し、この男と共に行かせてしまった事を。

 あの時、誰に反対されてでも『彼女』を止めていれば。『彼女』の意思などお構いなしに縛り付けていれば。


 ――そうすれば、こんな、消えない後悔を抱えたまま生きずに済んだんだ。


「何? トキお前、アイツと知り合い?」


 トキと共にいる赤毛の男が、そう言って隣のトキを見遣る。今すぐにでもトキに斬りかかりたいマルクだったが、銃口を向けられたままである以上、下手を打てば死ぬのは自分だと衝動を何とか抑えた。


「思い出したくもねえ相手だ、コイツは前に……」

「――満足か」

「あ?」


 代わりに口を突いて出たのは呪詛の言葉。五年間、積もりに積もったトキへの憎しみ。


「いきなり何言ってやがる、テメ……」

「セシリアを引きずり回して、殺して、満足出来たのかと聞いている」

「……んだと?」


 マルクの糾弾に、トキの目にも一気に剣呑な色が宿る。それを見た赤毛の男が冷や汗を流すが、思ったより用心深いと言うべきか、銃口はマルクに向いたまま全くブレていない。


「シスターが貴様を赦そうが。セシリアが貴様を赦そうが。俺だけは、貴様を赦さない」


 赤毛の男に気付かれぬように気を付けながら、マルクはゆっくりと腰の剣に手を伸ばす。最悪、相討ちになっても良かった。憎いこの男さえ殺せれば、それで良かった。


「セシリアを殺したのは、貴様だ。――恥知らずのドブネズミが」

「オイ……もう一回言ってみろよ、テメェ……!」


 トキの目に満ちる殺気。だがそれすらも、マルクには生温い。マルクが抱え続けてきた、後悔に比べれば。

 そして、マルクの手が剣の柄に触れた、その時だった。


「だーからちょっと待てってお前ら! そもそもセシリアは生きてんだろ!?」

「――え?」


 赤毛の男が、信じられない台詞を吐いた。その衝撃に、マルクの思考が一瞬止まる。


「生き返ったセシリアを助ける為に、この夢の世界まで来た。とか何とか、さっき言ってたじゃねえか、お前!」

「セシリアが……生きて、いる? ……生き返った?」


 体が、細かく震え出す。まさか。まさか、そんな事が。


「……ドブネズミ。正直に答えろ。セシリアは……どうなった?」


 問い質す、マルクの声が震えた。信じたい思いと信じたくない思い、その二つを乗せて。

 マルクの問いに、トキは眉間の皺を深め。そして、こう告げた。


「あいつは、生きてる。ただの、普通の女として」

「――!」


 全身を、衝撃が駆け抜けた。生きている。『彼女』が――セシリアが、生きている。

 それも、ただの女として。死の運命に縛られぬ、普通の女として。

 それは、かつてマルクが何よりも夢見て――夢見て、諦めた、セシリアの理想のカタチ。


「……嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ」


 かつて夢見た最高のカタチを、しかしマルクは否定する。だって、それを受け入れてしまったら、思い知らされてしまう。


 セシリアが幸せに生きる未来を諦め、永遠の眠りに閉ざそうとした自分こそが愚かだったのだと、突きつけられてしまう。


「……テメェはあの時言ったな。俺がいずれ、自分のした事を後悔するって」


 動揺するマルクに、トキが一歩歩み出る。赤毛の男は、それを止めようとはしなかった。


「したさ、何度も。セシリアとまた出会うまで、俺の為に死を受け入れたアイツを止められなかった事を、繰り返し繰り返し責め続けてきた」


 一歩、また一歩、トキがマルクに近付く。それでも、マルクは動けない。


「でもな――クソ野郎」


 マルクの目前で、トキは止まる。その瞳に、確かな意志を携えて。


「アイツが、自分のしたい事を全部したから――だからアイツは、ある筈のなかった未来いまを手に入れたんだ」

「――っ!」


 全身の虚脱感に従い、マルクは膝を着いた。理解した。理解してしまった。

 憎いこの男が告げた事が、総て真実である事も。自分のした事が、誤りだった事も。

 そして。そして何よりも。


 ――自分はこの男に、恐らくは最後までセシリアの生を諦めなかったであろうこの男に、完全に敗北したのだという事も。


「ぁ……あ……!」


 とめどなく、涙が溢れた。セシリアが生きていた喜び。セシリアを傷付ける事しか出来なかった無力感。セシリアの未来を諦めてしまった事への後悔。その総てが、ぐるぐると混ざった。

 自分が何故泣いているかも最早曖昧になるくらい、マルクの感情はぐちゃぐちゃだった。


「あ……あああああ――!」


 そんなマルクの涙が枯れるまで。トキは静かに、静かにマルクを見下ろしていた。

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