《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》最終話 どこか遠い空の下で

 薄くなった霧の中を、振り返らずに歩く。これで本当に帰れる保証はないけど、今は信じるしかない。

 歩いている間にも、霧は少しずつ収まっていく。そして遂には、すっかり消えてなくなってしまった。


「クーナ! いたら返事をしろ!」


 その時遠くから耳慣れた声が聞こえてきて、私は目を輝かせる。この声は……!


「サーク!」


 大声を上げた私に反応するように、足音が駆け足で近付いてくる。やがて姿を現したのは、私が一番会いたかった人だった。


「クーナっ……お前どこに行ってた!」

「ひゃっ!?」


 その人――サークは私に駆け寄るなり、両肩を強い力で掴んできた。普段見せないその余裕のない様子に、私は嬉しさよりも先に戸惑いを感じてしまう。

 けどよく考えたら、私は一晩中行方不明になってた事になるのだ。サークが焦るのも、無理のない事なのかもしれない。


「ご、ごめんなさい。道に迷っちゃって、仕方なく偶然見つけた山小屋で一晩を……」

「……一晩?」


 けれど私がそう言い訳をした途端、サークが怪訝そうな顔になる。そして、衝撃の一言を口にした。


「お前、何言ってんだ? 夜になるのはこれからだろ?」

「え?」


 言われて、思わず空を見上げる。頭上に広がる空は、茜色と群青色の混ざった宵の口特有の色をしていた。


 ――私があの世界に迷い込んでから、殆ど時間が経ってない?


「……ねえサーク。霧って出てた?」

「いいや? 第一霧なんか出るような天気か?」


 星の瞬き始めた空は、確かに雲一つなく澄み渡っていて。確かに霧なんて、とても出そうにない。


 私は――一体いつからあの世界に迷い込んでいたんだろう?


「お前……本当に大丈夫か? ゴブリン共に頭でも殴られちまったのか?」


 端から見れば怪しい言動にしか見えないんだろう、サークがそう言って心配そうに私を見る。私は首を軽く横に振り、笑って答えた。


「……ううん。ちょっと夢を見てたみたい」

「夢ってお前……」


 そんな私にサークは何か言いたげだったけど、それにただ笑顔だけを返すと、それ以上を私の口から聞き出す事は諦めたみたいだった。代わりに大きく溜息を吐いて、ジト目で私を見る。


「……心配かけてごめんなさいは?」

「ごめんなさい」

「よし」


 私が素直に謝ると、とりあえずは納得してくれたのかサークがポン、と私の頭を軽く叩いた。その時ふと、私はある事に気付く。


「ねえサーク」

「何だよ」

「ちょっとの間しか離れてなかったのに、心配してくれたの?」

「!!」


 その指摘に、サークがしまった、という顔になる。そして露骨に私から目を逸らし、言い訳めいた事を口にする。


「……その、あれだ。この辺りのどの精霊に聞いてもお前を見てない、知らないとか言いやがるから。そりゃ、お前がゴブリン如きに遅れを取るわきゃないとは思ってたが、一応、万が一もあるかと思って……」

「……プッ」


 珍しく焦っているその様子が可笑しくて、私はつい吹き出してしまう。そんな私を、サークは少し赤くなった顔でジロリと睨む。


「笑ってんじゃねーよ。元はと言えば勝手にいなくなったお前が悪いんだろうが」

「それはもう謝ったでしょ。……心配してくれてありがと、サーク」

「……ふん」


 私に笑われて拗ねてしまったのか、サークが盛大にそっぽを向く。百年以上も生きているのに時々こうしてちょっと子供っぽくなるところが、私は密かに好きだった。

 サークのそんな姿を見ていると、しみじみと実感する。ああ、私は、大好きなこの人のいる世界に帰ってきたんだなって。

 もう一度、群青の濃くなった空を見上げる。……姉様とトキさんも、今頃どこか遠い空の下にいるのかな。

 姉様、私は、この世界で大好きな人の隣にいられるように頑張るから。絶対に幸せになるって約束するから。

 だから――。


「――どうか、幸せになってね。こことは違う世界ばしょにいる、私の大好きな姉様」


 そう呟いた瞬間、それに応えるように、流れ星が一つ流れた。






fin

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