《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》第7話 霧の中の幻

「――おい。起きろ」


 トキの呼び掛ける声で、セシリアは目を覚ます。目を開けると、いつもの不機嫌そうなトキの顔があった。


「ん……おはようございます、トキさん……」

「いつもの事だが、本当に寝相悪ぃな、アンタ。これで起きないアイツもアイツだが」


 言われてセシリアは身を起こし、辺りを見回す。するとすぐ側にあった筈のクーナの体は壁の隅に追いやられ、かけていた毛布も離れたところで丸まっていた。


「す、すみません……」

「まあそれより、だ。……霧が大分薄まってきてる。今なら出発出来そうだ」

「え!?」


 トキの言葉に、寝ていた筈のクーナがセシリアよりも先に反応しガバッと跳ね起きる。そんなクーナを見て、トキはチッ、と小さく舌打ちをした。


「起きたのかよ。折角寝てる間に出ていけると思ったのに」

「ひっどーい! トキさんって姉様以外にはホント大人気ない!」


 忌々しげに言うトキと、それに頬を膨らませるクーナ。そんな二人を見て、セシリアは微笑ましげにクスッと笑った。


「ア? 何笑ってんだアンタ」

「いえ……二人とも、すっかり仲良くなったなって」

「は?」


 セシリアがそう言うと、トキとクーナは同時に怪訝そうな顔になる。そしてトキは呆れたように、クーナはジト目になってそれぞれ言った。


「アンタ……脳みそお花畑にも程があんだろ……」

「今のが仲良く見えるのは流石にちょっとおかしいよ姉様……」

「え、ええ?」


 セシリアとしては思ったままを言っただけだったのだが、どうやら二人にはそれが不満だったようだ。本当に仲良く見えたのにな、と思いながらも、セシリアはそれ以上言わない事にした。


「っと、それより本当に霧が薄くなってるのか確認しなきゃ!」


 気を取り直したらしいクーナが、ぱたぱたと入口の扉に駆け寄る。そして外を確認すると、喜びの声を上げた。


「良かった! これなら帰れそう!」

「帰る……?」

「あ、あー……そう! 連れのところに帰れるって意味!」


 首を傾げたセシリアに、クーナは妙に慌てたように付け加える。それをセシリアは、それほどまでに連れと早く会いたいのだと解釈した。


「……俺達も行くぞ、セシリア。霧がないなら、もうここに長居する理由はない」

「そう……ですね」


 素っ気なく告げるトキに頷き返しながら、セシリアはクーナを見つめる。たった一晩を共にしただけだと言うのに、彼女と離れがたいと思う自分がセシリアは不思議だった。

 明るく、逞しく、真っ直ぐな。自分にはないものだらけの彼女。

 けれど彼女は、セシリアを自分と同じだと言ってくれた。大切な人を想う者同士だと。

 それがセシリアには――年の近い誰かと想いを共有した経験の乏しい彼女には、たまらなく嬉しかったのだ。

 クーナを見れば、既に出立の支度を整え終わったようで立ち上がり入口を見据えている。――こんな思いを持っているのは自分だけなのだろうかと、セシリアは不安になる。


「姉様」


 その時、クーナがセシリアの方を振り向いた。そして太陽のような、明るい笑顔を浮かべる。


「離ればなれになっても、私達ずっと姉妹だからね、姉様!」

「……!」


 セシリアの目が、大きく見開かれる。抱えていた不安が、溶けてなくなるのをセシリアは感じた。

 この先、進む道は違っても――ここで得た絆は決してなくなりはしない。クーナの笑顔は、そう言っている気がした。


「……はい! クーナちゃんは、ずっと私の妹です!」

「それじゃあ先に行くね。トキさん、ちゃんと姉様を守ってあげてね! じゃあね!」


 最後にそう言い残し、クーナは扉を開いて出ていった。後にはセシリアとトキ、二人だけが残される。


「……さっさと行くぞ」

「はい、トキさん」


 心なしかいつも以上の渋面を湛えたトキの横顔を見ながら、セシリアは微笑む。そして二人は、まだ薄く霧の残る外へと足を踏み出した。

 二人が外に出ると、既にクーナの姿はなかった。その事を少し寂しく思いながら、セシリアは今来た小屋の方を振り返る。


「……え?」


 そこには――小屋はなかった。ただ霧に包まれた森だけが、眼前に広がっていた。

 まるで、総てが幻だったかのように――。あまり物事を深く考えない方であるセシリアですら、これには俄かに混乱した。


「……考えたって、どうしようもねえ事はあるだろ」


 いつの間にか同じように振り返っていたトキが、呆然とするセシリアに言う。最初はあれだけ小屋に対して警戒していた彼だったが、今はこの現実を受け入れるしかないと思考を切り替えたようだ。


「アイツが霧の見せた幻だろうと……アンタには確かに現実だったんだろうが」


 そう続けられたトキの不器用な言葉が、自分を励ます為のものだとセシリアは理解していた。彼がこういう態度を取る度、セシリアは思うのだ。彼は本当は優しい人なのだと。


「……ありがとうございます、トキさん」


 微笑み感謝を述べたセシリアに、トキは応えなかった。代わりに無言で、スッと手を差し出す。

 恐らく霧が完全に晴れるまでは、手を繋いでくれるという事だろう。その気遣いが、セシリアには嬉しかった。


「――行きましょう」


 そして二人は手を繋ぎ、今度こそ振り返らずに歩き出した。

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