《ラクリマの恋人×星空の小夜曲》第3話 トキの疑念

 トキは苛立っていた。今現在己を取り巻く、この現状総てに。

 まず待てど暮らせど、霧が晴れない事。それどころか、この小屋に入る前より濃くなったのではないだろうかと思える。

 そして、何よりも――。


「……」


 口をぽかんと開けた阿呆面でセシリアを見つめる、目の前のこの怪しい女。トキから見て、この女には怪しいところが多すぎた。

 まずこの女、足音も気配もなくいきなり扉を開けて現れた。誰か怪しい者が来たらすぐに対処出来るよう、トキが気を張り続けていたにもかかわらずである。

 服装も怪しい。黒い三角帽子に黒いローブ。まるでお伽噺の魔女のようなその服装は、今時呪い師だって着ようとはしないだろう。

 そして、セシリアの治癒魔法を見た時のあの反応だ。セシリアとの会話からしても、この女は少なくとも治癒魔法の存在を知っている風だった。

 なのに、この女はセシリアの治癒魔法に驚いた。まるで想像していた・・・・・・ものと違った・・・・・・とでも言うように。

 見れば見るほど、女に対する疑念は強くなる。足を挫いた事だけは本当だったようだが、この女の話す事を決して鵜呑みにしてはならない。トキの警戒心が、そう警鐘を鳴らしていた。


「……どうしたんですか? まだ痛むところが……?」

「あっ……ああ、いえ! 大丈夫です! ありがとうございます! あっ私、クーナって言います」

「私はセシリアです。こちらはトキさん」


 しかしそんなトキの疑念とは裏腹に、セシリアはクーナと名乗った女ににこやかに名乗り返す。そのセシリアの危機感のなさに、トキはまた苛々した。


「……ちょっと来い」


 放って置けば何を言い出すか解らない。そう思ったトキは、セシリアの腕を少し強引に引いて呼び寄せた。

 トキの突然の行動にセシリアも、クーナという女も目を丸くしている。だが幸いに、セシリアは大人しくトキの元に戻ってきた。


「どうしたんですか? トキさん」

「……アンタ、くれぐれも余計な事は喋るなよ」

「余計な事?」

「俺達の、旅の目的とかだ」


 小声のトキの警告が要領を得ていないらしく、セシリアが首を傾げる。そんなセシリアに、トキは盛大に溜息を吐いた。


「……もしあいつが、魔女の手先だったらどうする」

「クーナさんが……?」

「俺達が魔女の元を目指してると知ったら、牙を剥くかもしれない」


 それは今、トキが最も懸念している事だった。魔女は気紛れに人の命を奪うという。こちらが来るのを大人しく待っているという保証は、どこにもないのだ。


「大丈夫ですよ、クーナさんは」


 しかしセシリアは、かぶりを振ってそう言った。その顔にはいつもの、柔らかな笑みが浮かんでいる。


「何で言い切れる」

「何となく、そう思うんです。あの人は悪い人じゃないって」


 ――これだ。トキの眉間に、深い皺が寄る。

 根拠もなしに、セシリアは人を信じる。世の中がどれほど悪意に満ちているか、知りもしないで。


 ――何故、アンタはそこまで他人を信じられる?


「……チッ」


 軽く舌打ちをし、トキは立ち上がった。そして二人から離れた所にある壁に、もたれかけるように腰を下ろす。


「……ごめんなさい。少し無愛想ですけど、トキさんは、本当はいい人なんです」


 薄闇の中、クーナという女にそう弁解するセシリアの声が響く。その一言すら、今は無性にトキを苛つかせた。


 他人を信じたって――どうせ裏切られるだけなのに。


「……おい、小僧」


 不意にセシリアのものともあの女のものとも違う声が響き、トキは更に眉間の皺を深める。嫌々ながら視線を落とすと、トキの身に付けた指輪から青く小さな火の玉がふわりと浮かび上がり離れた場所にいる二人からは見えない位置へと移動した。


「何の用だ……ドグマ」

「フン、相変わらず不敬な輩よ。いつもなら殴ってやるところだが、まあいい。今回は忠告に出向いてやったのよ。どうやらなかなか面白い事になっているようだからな」


 火の玉――ドグマは不機嫌さを露にするトキなど意にも介さぬ様子で、クツクツと笑い声を上げる。その反応に、トキはまた小さく舌打ちをした。

 ドグマはトキの持つ指輪――〈魔女の遺品グラン・マグリア〉と呼ばれる宝物ほうもつに宿る古代の魔女である。いや、〈魔女の遺品グラン・マグリア〉そのものだと言っていい。

 その成り立ちにおいては、説明にかなりの時間を有する事になるが――。


「忠告だと?」

「そうだ。この場の異常さには、貴様もそろそろ気付いているだろう? ……この場には、魔力が満ちている。それも、酷く不安定な魔力がな」


 ドグマの言う魔力については解らないものの、この場が異常である事自体はトキも感じ取っていた。いつまでも収まらない霧。まるで外界から遮断されたようなこの空間。総てが異様だった。


「なら、早くここから出た方がいいって事か」

「お勧めはせんな。この場に満ちる魔力は外の方が濃密だ。何が起こるか保証はせんぞ」


 ならばその魔力とやらが落ち着くまで、この小屋から外には出られないという事になる。その事実に、トキはますます苛立った。


「……それに、あの黒いローブの小娘だ」


 話題が切り替わり、トキもまたクーナという女の方を見る。彼女は今はセシリアと、楽しそうに談笑していた。


「あの娘、かなりの魔力の持ち主だぞ。今時珍しいくらいにな。何より……属性が一つもない・・・・・・・・

「……何だと?」


 ドグマの発した信じられない言葉に、トキの眉がぴくりと跳ねる。属性がない。そんな事は本来、まず有り得ない筈だった。

 シズニアで現在魔力を身に宿す者は、多かれ少なかれ何かの属性を持っている。治癒魔法を使うセシリアならば、光属性といった風にだ。

 魔力はあるのに、属性がない。その事実は、ただでさえ魔術に聡くないトキの理解を超えていた。


「……どういう事だ?」

「さてな。我にも解らぬ事が貴様に解る筈もあるまいよ。この世にこの我が理解出来ぬ事がまだあったとは、全くもって愉快な事よ」


 どこか上機嫌なドグマの言葉とは裏腹に、トキの不機嫌さは増す一方だった。こちらには笑えるような要素など、一つもないと言うのに。


「精々あの小娘の機嫌を損ねない事だな、小僧。我の力も満足に扱えぬ貴様程度の魔力では、敵うべくもないだろうよ」


 最後にそう告げると、ドグマの姿は掻き消えた。静けさの戻った空間で、トキはポツリと呟く。


「……誰がご機嫌取りなんてするかよ」


 霧は未だ、収まる気配はない。

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