第64話 姓


 食事をし終わり、二人で皿洗いをする。


「そういえばあの悪魔の人、名前は何て言うんですか?」


 テオは少し気になってそう問いかけた。

 悪魔の人、というとヘルヴィもそうなので、分けるために名前を知りたかったのだ。


「おそらく名前はなかったぞ」

「えっ、ないんですか?」

「ああ、悪魔にも階級というものがあり、あの弱さなら名前は無かっただろう」

「そうなんですか」


 ヘルヴィは悪魔の中でも最強なので、もちろん名前がある。


「ヘルヴィさんって、姓の名前はないんですか?」

「ああ、ない。悪魔はほとんど無い者が多いだろう」


 ヘルヴィがそう答えると、テオは皿を洗う手を止めて。


「だったら――」


 そして、耳まで赤く染めながら言う。


「僕の、アスペルっていう姓を、名乗りませんか……?」


 その言葉に、ヘルヴィも皿を洗っていた手を止めた。


「その、夫婦ですし、ヘルヴィさんがいいなら、ですけど……」


 下を俯きながらそう言って、ヘルヴィの反応を待つ。

 しかし少し待っても反応がないので、隣にいる彼女の顔をチラッと見上げ――ようとしたのだが。


 いつの間にか目の前の景色が変わって、テオは一瞬の浮遊感と共に柔らかい何かに倒れ込んだ。


「えっ、あれ? べ、ベッド……?」


 背中に当たる感触や目に見える家具などで、自分の部屋のベッドだと理解する。


 自分が仰向けに倒れていて、上には覆いかぶさるようにヘルヴィがいた。


「ふふっ、ふふふふ……」


 明かりがついてないので、ヘルヴィの顔は見えない。


「へ、ヘルヴィさん……?」

「ああ、もう……ダメじゃないか、テオ」


 ようやく目が暗闇に慣れて見えた、ヘルヴィの顔は――赤く染まっていて、目は肉食動物のようにギラついていた。


「もう、無理だな……我慢の限界だ。お前が悪いんだぞ、テオ……昼間にあんなものを見せてから、ずっと我慢していたというのに」


 家にいるからか、それとも興奮しているからなのか、漆黒のツノと翼が現れていた。

 その翼がテオの身体を撫でるように、纏わりつく。


「あんなことを言われたら、もうダメだ……」


 ヘルヴィが指をパチンと鳴らすと――豊満な身体を隠していた服が、全て消える。

 瞬間、テオの顔は炎がついたかのように赤くなった。


「えっ!? へ、ヘルヴィさん、何を……!?」

「するぞ、テオ。もう私は我慢できんからな」


 ヘルヴィの細くて長い指が、テオの股間に軽く添えられる。


「あっ……!」

「まだ早いと思っていたが、もうダメだ……すまないな、テオ……大丈夫だ、私が気持ち良くしてやるから」


 テオの耳元で淫らに荒れた息を出しながら、そう囁く。

 さすがのテオも、そういうことだと理解する。


「悪魔と契約する際に、大切なものを、代償を頂くと前に言ったな……今、お前の貞操を頂くぞ」


 耳元で自分の好きな人にそう囁かれ、誰が拒めようか。

 確かに大切なものだろうが、それを渡すのは全く躊躇もない。


「その……僕、初めてなので……優しく、お願いします……!」


 顔を真っ赤に染め、涙目ながらヘルヴィを見上げてそう言った。


「テオ……」

「ヘルヴィさん……」


 名前を呼び合い、そしてキスをする――それが、始まりの合図だった。



 ◇ ◇ ◇



 全部終わる頃には……日が明けようとしていた。


 二人はお互いに何も着ていない状態で、同じベッドの毛布に包まっていた。

 さっきまで乱れていたことが嘘のように、穏やかな空気が流れている。


 お互いに顔を見合わせ、笑う。


「長いことしていたな」

「そ、そうですね……夢中に、なっちゃいました」


 毛布では鼻まで隠して恥ずかしがりながらも、目は合わせているテオ。

 一線を超えたことで、恥ずかしさの耐性は多少ついたのかもしれない。


「私も夢中になりすぎてしまった。テオは辛くなかったか? 無理をさせてしまった」

「い、いえ、無理なんて! 僕もその……とても、気持ちよかったです」

「……ふふっ、そうか、私もとても気持ち良かったよ」


 今の言葉で疼いてしまったのを我慢して、テオの腰を抱いて身体を寄せる。


「へ、ヘルヴィさん、その、胸が、当たって……!」

「さっきまで触っていたのだから、そのくらい大丈夫だろう?」

「あ、あれはその……無我夢中で……」


 やはりまだ恥ずかしいようだ。

 しているときはとても気持ち良さそうに触って、吸っていたというのに。


 顔を赤くして胸を見ないように、ヘルヴィの顔に視線を固定している。


 一線を超えたというのに、なんとも初心な反応か。

 悪魔であるヘルヴィを心底惚れさせてしまうなんて、どっちが悪魔なのかわかったものじゃない。。


「ヘルヴィさん……あの言葉、また言ってくれませんか?」

「ん? なんのことだ?」


 ヘルヴィは心当たりがあるが、わざと惚ける。


 するとヘルヴィの期待通り、テオは顔を赤くさせたまま少し怒ったような、それでまた不安なような表情を浮かべる。


「……あれ、嘘だったんですか? 僕のことを、その……!」


 言葉に出すのは恥ずかしいのか、またどもるテオ。


 さすがに意地悪をしすぎたと思い、不安を取るように慈愛に満ちたキスを落とす。

 驚いたテオだが、すぐに受け入れて返してくれる。


 今まではほとんど受け身だったが、少しずつテオからも積極的にしてくれるようになったのは嬉しいことである。


 そして唇が離れ、ヘルヴィは告げる。

 ずっと恥ずかしくて言えなかった、ずっと心の中で思っていたことを。


「私、ヘルヴィ・アスペルは――テオ・アスペルのことを、愛してる」


 その言葉を聞いて涙目になりながらも、とても嬉しそうに顔を綻ばせながら、テオも伝える。


「僕も……愛してます、ヘルヴィさん」


 どちらからともなく、顔を近づけ唇を重ねる。


 ――二人はこうして、愛を確かめ合った。


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