第60話 黄金と塵


 ヘルヴィの考えるまでもない、というような拒絶に、悪魔の男は絶句する。


「な、なぜ……? 記憶がお戻りになったのであれば、この世界よりも魔界の方が数段良いとお分かりになるはずです! 人間という下等生物よりも、悪魔の方が生物的に優れているということが!」

「ふむ、そうだな」


 数千年、この人間の世界を見てきた彼女は身に沁みて分かっている。

 人間とは弱い存在だと。


 まず悪魔よりも力が断然弱い。

 ジーナとセリアぐらい強い者もいるが、ほとんどが弱者。

 下級悪魔よりも弱い者が大多数だ。


 そしてまた、愚かな者も多い。

 テオを侮っていた傭兵の雑魚どもも、自己中心的で物事の本質を見抜けない者ばかりだった。


 国という大きな組織も矛盾を抱えていることが多い。

 能力も無いのに血筋だけで人の上に立ち、民を虐げる愚かな者もいる。


 そう考えるとまだ魔界の方が、能力だけで成り上がれる分マシだろう。


 ヘルヴィなら王族や貴族など、一斉にかかってきたとしても皆殺しにできるほどの力がある。


 それなのになぜ、魔界に戻ってこないのか。

 悪魔の男は全く理解できなかった。


「まさか、あの人間の男ですか? 貴女様ほど力がある者が、あんな矮小な――」


 その続きを、男は言えなかった。

 跪いていた男の喉元に、ヘルヴィの足先が突き刺さったからだ。


「人間だったら即死だが、やはり悪魔だから丈夫だな」

「かっ……!?」


 突き刺さったままの足を振るうと、男の首はギリギリ繋がった状態になる。

 だが悪魔なので、死にはしない。

 時間が経てば再生するだろう。


 男の血が付いた足先は、魔法で綺麗にする。

 いつまでもこの男の血など、つけておきたくは無い。


「貴様がどれだけのことを考えて私に魔界に戻って来て欲しいのか、王になって欲しいのかなど、どうでもいい」


 本気でヘルヴィを崇拝していて、本気でヘルヴィのことを王にしたいと思っているようだが……。


「貴様は私の、夫を貶し、傷つけたのだ。絶対に、許さん。ここまで怒りを覚えたのは、長いこと生きてきたが初めてだ」


 ヘルヴィは無表情のまま、男にあらん限りの殺気を叩きつける。

 男は指一本動かせない。

 再生能力も止まってしまい、首や身体から血を流し続けるが、痛みなど感じる暇などなかった。


 男はすでに、説得に失敗しているのだ。

 ヘルヴィの契約者であるテオを攫って殺すという作戦を考えた瞬間に。


 悪魔であるヘルヴィが、あんな男を本気で好きになるはずがないと思い込んだ瞬間に、男の運命は決まった。


「な、なぜあの男に、そこまで……!」


 それでもなお、男は不思議でしょうがなかった。

 何も良いところがないあの男は、どう見ても悪魔の頂点に立つヘルヴィに釣り合っていない。


「良い度胸だ、考えていることが伝わっているというのに、その質問をするとは」


 心の中でも無意識にテオを貶す男に、さらに怒りが増していく。


「確かにテオは弱い。悪魔とは比べものにならず、人間の中でも強さだけだと最下層の位置にいるだろう」

「だ、だったら……!」


 悪魔は力で全てを決める。

 恋愛相手なども、強い相手を選ぶのが普通で、真理である。


 ヘルヴィほどの強さを持っている者なら、魔界に行けばどれだけ強い男たちを囲むことができるか。


「全くと言っていいほど興味がないな。私よりも弱い者を、どれだけ囲んだところで何が楽しいのかわからん」


 ヘルヴィは男の心を覗き、冷めた目でそう答える。


「それだったら、あの男も……!」


 その続きはまた男は喋れない。

 次は魔法で、喉を灼かれた。

 声帯が焼きつき、声も出せなければ息もできない。


「っ……!?」

「もうこれ以上喋るな、耳障りだ。貴様にはもう死ぬまで、一声も発させない」


 喉を抑えて転げ回る男を見下しながら、ヘルヴィは喋る。


「貴様には、いや、私以外の悪魔にはわからんだろう。テオの前では、私はただの……女になってしまうのだから」


 この時だけ、ヘルヴィは怒りが少し収まっていた。

 顔は恥ずかしそうに頰が染まっているが、どこか嬉しそうに優しい笑みを浮かべた。


「テオの可愛さの前じゃ、魔界の王など何の価値も無い。黄金と塵、選ぶまでもなく、比べようにも無い。魔界の王という塵と比べては、黄金以上の価値があるテオが可哀想だ」


 テオがここにいたら、「どこかの世界の王様とか黄金と比べられても困りますよ!」と言うかもしれない。

 もちろんテオだったら、自分が下だと思うだろう。


 だがヘルヴィには、絶対的にテオなのだ。

 相対的に見ても、テオの方がいいに決まっている。


 ヘルヴィも自分の中でテオがこれほど大きい存在になっていることに、少し驚いた。

 しかし全く不快ではなく、好ましいことである。


(魔界にいた頃を含めても、これだけ私が夢中になったものはない。なぁ、テオ……私はお前を――)


 いや、この続きは直接、テオに言おうか。


 そう思い、幸せな気持ちを抑えて、目の前のクズを見る。


 もう少しで喉が再生しそうだったので、もう一度灼く。


「――っ!!」

「静かにしていれば回復できると思ったか? 逃げれると思ったか?」


 悪魔も命ある生物である。

 どれだけ人間よりも強くて、再生能力があるとしても、死ぬ。


 男はヘルヴィが王になるのであれば死を受け入れたが、そうはならなかった。

 ただただ、死という絶望が残っただけだ。


「魔界の記憶を思い出して、魔界の拷問の仕方も思い出したのは好都合だった。貴様には、私が出来得る限りの地獄を見せてやろう。簡単に死ねると思うな」


 男が恐怖に染まった顔で見上げたそこには、まさしく悪魔がいた。


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