第16話 離れれば離れるほど増幅していく感情

 左端から右端へ。


 僕は目を動かして絵と文字を読んでいく。

 自分の部屋にある漫画だ。僕はサイボーグになる前も後も漫画が好きで、特に悲しいことや耐えられない現実に直面した時はよく漫画の単行本を取り出して開いていた。

 博士と本格的にケンカをしてしまったその夜、僕は自室でベッドに座って俯きながら漫画本をひたすら読んでいた。本棚にあるものを床に積んで次々と読みふけっていく。


 好きな漫画は、ちょっと古いけれど、石ノ森章太郎先生の『サイボーグ009』。これは僕のサイボーグチョイスだ。というのはジョークで、僕はサイボーグ化以前も以後も相変わらずこの漫画が好きだった。


 息詰まるバトルや、人ならざるものの悲しみを描いているのがいい。けれどもそれだけではなく、僕がこの漫画を読んでいて安心するのは、001から009までの九体のサイボーグにそれぞれ固有の能力があることだった。

 誰も除け者にならず、皆が活躍を期待されている。

 こういう風に尊重しあえる関係で結ばれた仲間がいるのは幸せだ。


 もしも、主人公の「加速能力」をヒロインも使えたとしたら、能力を二つ持っているヒロインの方が注目されるしチーム内でも一目置かれるだろう。次第に主人公の居場所はなくなっていく……。

 そんなことを想像するだけで涙が出そうになる。

『オズの魔法使い』の時もそうだったが、僕は創作物に対して感情移入しすぎる。


 きりのいいところで本を閉じて、二階の窓から博士の家を眺めた。

 例え漫画の中のようにたくさんのサイボーグたちに認められなくても、僕は博士に好かれていればそれでよかった。


 宵椿になんて気に入られなくても認められなくても、博士が僕を改造してくれて一緒に色々なことを検討してくれる、それだけで胸の辺りがじんわり温かくなり「嬉しい」という感情とそれに近しい未確認の気持ちが入り乱れる。


 博士はもう家にいないようだった。

 少し罪悪感はあったが、SKSを作動させて博士の家の熱源を調べてみた。本当はこんなストーカーまがいの行為のためではなく、災害の時に生き埋めになっている人を探せるように博士が改造してくれたのである。

 建物の中の熱源を感知して視界にその情報を写す。

 それによると家の中の地上にも地下にも人の姿は一つとしてない。

 今あらゆる災害がこの家を襲っても、博士は無事で済むだろう。

 しかしながら、僕の心の悲しみは増すばかりだった。

 既に博士は出立してしまったのだろうか。


 暗号通信があってから、僕は出来る限り一番早いバスに乗り無駄なく電車に乗り換えて帰宅した。それでも彼女には追いつけなかった。


 それはそうだろう。

 バスと電車でかかる一時間十七分二十六秒の時を、博士が僕に与えてくれるとは思わなかった。

 その間にきっと旅立ちの準備をして、父親の元へと行ってしまったのだ。


 どこへ向かったのかなんて分かるはずもない。

 蒼穹博士は待ち合わせ場所なんてビデオの中では指示していなかったから、きっとあれから独自にコンタクトをとったのだろう。


 もう博士には会えない。


 その実感は、悲しみを幾重にも悲しみで巻きつけた感情と共に僕に襲い掛かった。

「もう、感情が欲しいなんて言わないから、戻って来てくれよ」

 つい言葉となって出て来たのは今胸に沸いた本音だった。

 感情なんてなくても、博士のいる日々の方が何倍もいい。決まっている。


 そうは言っても無力な僕は何も手が打てなくて、逃げるように『サイボーグ009』に再び手を伸ばそうとした。

 すると、その行為を諌めるようにインターフォンが鳴った。


 部屋を出て、廊下の窓から玄関を見下ろす。

 髪の毛を一つ結びにした田伊豆さんと目が合った。



「いきなりのことだったから、こっちも驚いちゃった。もう電話なんてそらちゃん何年もしてきてないのに、突然携帯にかけてきて、あなたのことを頼むって本当にそれだけ手短に告げてきてね、それから私のパソコンのメールアドレスに、メールをしてきてあなたの体の仕様とかメンテナンスの方法とかを記したファイルが送られてきて」


 相変わらず田伊豆さんの舌は弾む。

 機嫌が良いとかそういう訳ではないのだ。

 状況がどうあっても話し好きな田伊豆さんはこうして言葉を発し続けるだろう。


「……博士は、もう戻るつもりはないんでしょうか」


 僕は力なく呟いて、田伊豆さんの用意してくれた特別のドリンクを口に含んだ。

 あれから僕は田伊豆さんの店に付いていく流れになり、そこで博士とのやり取りについてを教えてもらうことになった。どうやら、博士の動きは迅速であったようで、しかもどこにも慌てた様子はなかったらしい。


「そらちゃんは何もかも準備が済んでいたように振る舞っていたわね。少なくとも場当たり的に私に物事を頼んでいる風ではなかったわよ。そうでなかったら、こんなもの用意できはしないわよね」


 田伊豆さんはノートパソコンを僕の前に持ってきた。画面を見せてくる。メール本文は短く、「電話で話した件」としか書かれていない。添付されているファイルは圧縮されたPDFであった。それを田伊豆さんは開いて見せてくれる。


 事細かに僕のことが書かれた、取扱説明書だ。


「質問に答えるとしたら、答えは限りなくイエスに近いわね。そらちゃんは、もう、きっと君の前にはもう姿を現さないと思うわ」


 はっきりとした物言いだった。


 悲しさが胸をかけずり回る。それだけではなく数々の未知の感情が、僕の心の門を突き破ろうと必死になって駆け回っているのだが、あいにくその感情たちを迎え入れるための部屋が用意されていないのである。だから、僕は未確認の気持ちは未確認のまま放置することになった。


 博士とはもう会えない。


 このままでは今生の別れになってしまう。


 そんな現実が僕の前に確かに立ちはだかっていて、いくら思考を変えても回り道してくるように感じられた。


 どうにかしようにもどうしようもない。こんな危機に対しての対処法なんて用意されてはいなかった。プログラムもされていない。


 困っている様子が恐らく顔に出ていたのだろう。

 田伊豆さんは僕の向かいに座った。そして、僕に見せていたノートパソコンを取り上げるようにして画面を閉じると回収して、真剣な眼差しを向けてくるのだった。


「聞いて。私は大前提として一つの立場を取るわ。君とそらちゃんはいつまでも一緒にいるべきよ。それは何もお隣同士に住んでいるとか幼なじみだとかサイボーグと博士の関係だからとか、そういったものとは関係がないわ。ただ単純に二人はお似合いだと思うから。二人で私の店に来て、楽しく言い争いをしてくれる、あの日常が好きだから言うの」


 僕は言葉の一つ一つと向き合えないような気がして逃げるように視線を外す。


「ドリンクのおかわりはいかがかしら。本当はこれに蜂蜜の味を混ぜた改良版を出せれば良かったんだけれど、時間がなくて」


 申し訳なさそうに田伊豆さんは言い、僕におかわりが必要かどうかを尋ねて答えを引き出すことによって、視線を自分の元へと引き戻していた。

 遠慮無く僕は追加のドリンクを注文する。少し色の悪い液体が出てくる。仕切り直しといった風に僕と田伊豆さんの会話が始まった。


「この大前提は私の希望。あくまで希望よ。でも、進むべき道は君が決めて。もちろん君がどんな選択をしても、私は私が成すべきことをきちんと成すわ。それでも、決めるのは君よ」


 いつになく切羽詰まったような顔の田伊豆さんに、僕は頷いてみせた。


「私が研究から退いた理由。知っているのは私の両親だけなの。でも、君には話すべきだと思うから話すわ。ちょっとだけ恥ずかしい話も混ざるから……他言は無用でお願いしたいわ」

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