第11話 心通わす大事な一瞬があれば小躍りしたくなる感情

 サイボーグの体に睡眠は必要がないが、脳だけは人間のものを使っているので、眠らなければ思考が疲弊してきてしまう。その為、僕は問題を一度棚上げして休眠モードに入り、博士が大学に出発する前に起きることにした。


 ひとまず昨晩の誤解を払拭し、博士の父親からのメッセージを伝えなくてはならない。


 夜が明ける頃に行動を開始する。冷蔵庫から昨日のマフィンを取り出して、博士の家の前で立ち尽くしていた。そうしていると玄関の扉がゆっくりと開き、真っ白なカーディガンを着た博士が二本のおさげを揺らしながら登場した。


「……あんた、いつから居るのよ。不審者に間違えられても知らないわよ」

「平気だよ。植え込みの陰でスリープモードになっていたから、もし見つかってもリアルな人形にしか見られなかったよ」

「面白くもないジョーク。不愉快な朝。何の用よ。今日は一限から流体力学の講義で準備があるから忙しいの。話している時間はないわ。どきなさい」


 そうぶっきらぼうに言うと、僕の横を乱暴に通過しようとする。

 僕もそれに立ち塞がるほど身の程知らずという訳ではない。

 足早に歩く彼女の横に付いて歩きながら、マフィンを掲げて話しかけ続ける。


「き、昨日の夜のことなんだけど、あの、ちょっと驚くかもしれないことがあって」

「何かしら。クラスメイトの宵椿 初音さんに告白でもされて勢いでオッケーして付き合うことになっていきなりのキスをしたってことかしら。別に。全然、ぜんっぜん! 驚かないんだけど。どうでもいいんだけれど」


 取り返しがつかないほど怒っている。

 それに博士はどうして僕のクラスメイトのフルネームを記憶しているのだろうか。全くもって理解できない。


「あたしとのキスだって……まだ……だったじゃない」

「ん、僕と博士は小さい頃に十二回位、キスしてるだろう。記録は完璧なんだ」


 誇らしげに言うと、顔を赤くした博士が「聞かなくてもいいことは聞くんじゃないわよ」と究極の自分勝手な発言をして僕を置いていこうと早歩きをし続ける。


「とにかく! お幸せにっ! 体の修理はあの年増の二流にやってもらえばいいでしょ。お休みの日は高校生らしく、女子高生と楽しく遊んだらいいじゃない。こんな役立たずで『感情』一個も付けてあげられないドケチな女と一緒にいても不幸になるだけ」

「それはできない。僕の体は博士にしか分からないし、博士にしか知られたくない」


 僕は食い下がった。道のりは駅前に続いていたので、通行人が多くなってきており、この僕の発言に少なからずの人が振り向いて驚きを表していた。

 しまった。サイボーグだと誤解されるようなことは漏らしてはならないんだった。


「は、博士は生物や遺伝子の研究に長けていて、僕は研究サンプルとして日々肉体を提供しているからな」


 すれ違ったサラリーマンが怪訝そうな顔を隠そうともせずに向けてくる。


「もうあんた……黙れーー! そして帰れーー!」


 こんこんこんと僕の腕を殴りつけてくる博士だったが、その行為に僕は何となく胸の辺りが楽になるのを感じていた。いつもの調子が戻ってきてくれたからだ。


 駅構内にまで付いて行ってしまえば、博士の大学まで同伴することになる。そうなれば僕は学校を欠席することになってしまう。

 それでも僕は一向に構わなかった。高校の勉強なんかより、今は博士との関係回復と、博士の父親の要求を伝えることが大切だった。


「……あんたは高校に行くのよ。サイボーグだってバレたら、解体して、明日から転校したことにするからね」


 彼女に立ち止まる気配はない。このまま改札を通る気だ。

 もっと言葉を交わしたいのに、それが叶わぬことが苦しかった。

 けれど、僕のそんな私情よりも優先するべきことがある。今は少なくとも、一つだけ。


「これだけ持っていってくれないか。博士にとってはすごく大切なことだと思うから」


 顔面をぶん殴られるのを承知で、僕は手にしていたSDカードとチョコレートのマフィンを彼女に押しつけた。


「スキャンは済ませてる。ただ、そっちでもやってみてくれ。宵椿たちは僕らの技術を、ほとんど理解している」


 そう告げると、博士はマフィンとSDカードを交互に見てからため息をついた。


「それくらい、天才のあたしが気づいていないとでも思っているのかしらね。……このマフィンも、まあ、お昼のデザートにはちょうどいいわ」


 どうやら博士は宵椿のことを言っているらしかった。流石にあのサイボーグのことを彼女も理解はしているのだろう。子細はどうか分からないが、予感のようなもので概要は掴んでいるのだ。


 あんなサイボーグを作れるのは、父親の芳野 蒼穹の他にはいないこと。それに加えてあのキスのことも分かってくれていたら良いんだけど……。


「あとね、あんた、外ではあたしのことを呼ぶ時は」

「ごめん、芳野さん。いってらっしゃい。遅刻しないで。それから、出来れば本屋とか図書館とかジャンクパーツ屋とか寄らないで、早く帰ってきてくれ」

「……ちっ、また『芳野さん』の方なのね。うー」

「……? 何のことだ。音声ファイルに不正があったか」


 僕はジョークを忘れない。

 その自分でもつまらないと分かっている軽口に、博士はまるで僕とケンカしていたことなんてなかったことのように、可憐に笑ってみせた。


「あんたはあたしの母親か何かなのかしら。でも、お見送りありがと。じゃね」


 それだけ言うと改札まで走って行ってしまう。

 そうして僕のたった一人の大切な人は、駅に流れ込んだ大勢の人に混ざり込んで、大きな流れとなって去って行ってしまった。


 何かを失った気がして僕は悲しくなる。


 例えば、僕にもっと感情が、宵椿のようにたくさんの感情があれば、博士のことをもっと大切にできるのだろうか。

 宵椿の話していた「愛情」のメダルがあれば、キスなんかをしてこの別れの悲しさを少しでも軽減できるのだろうか。


 そんな風に博士のことを考えながら、僕は駅に背を向ける。


 いつか。


 博士と僕が別々の道を歩むようになったとしたら、その時の別れはもっとずっと「悲しく」なるだろう。


 そう考えてどこか物悲しくなりながら、春の朝日の中を僕は歩いていく。

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