第9話 恋敵の存在によって金色に燃え上がる感情

 分からないことだらけであった。


 まずは宵椿 初音が僕と同じサイボーグだということ。芳野博士と彼女は言っていたが、それは恐らく博士……芳野 そらの父親だろう。


 僕は一から博士に作られたサイボーグではなく、元となる基本的な部分は博士の父親によって作られていた。


 芳野 蒼穹。それが博士の父親の名前である。


 恰幅が良く、常に白のポロシャツを着ている印象があった。第一印象は優しそうというものであり、事実僕は改造されてサイボーグになったあの日を迎えるまで単に蒼穹博士を「友人の優しそうな父親」としか思っていなかった。大学の教授であることは小学生ながらに知っていたので、ただ柔和な性格だけの人ではないのだと思ってはいたが、改造処置を受けてから彼の印象は大きく変わっていた。


 恐ろしい人物だ。


 躊躇なく人体と機械を接合させて、それで顔色ひとつ変えようとしない。

 人間である時の僕はこの人に頭を撫でてもらったり、優しい言葉をかけてもらったり、日常に潜む科学の謎を教わったりしていた。


 しかし、僕が一度人間でなくなると、扱いはがらりと変わった。

 僕の痛みなどおかまいなしに機械と神経を繋ぎ、何度も叫び声を上げて恐怖を表現しても、向こうは無言で脳にメスを入れてきた。そうして僕はサイボーグとなった。


 人間には誰でも表と裏があるらしい。

 感情にそれが備わっているように。


 だから、蒼穹博士が娘のそら……芳野さん……博士を置いて海外に赴任したと聞いた時、僕には驚きがなかった。

 それどころか安堵さえしていた。あの笑顔で人の体を改造する蒼穹博士が身の回りにいないことで、随分と僕のストレスレベルは低下したものだった。

 しかし、娘の方の博士はそんな僕を見て「体のメンテナンスをしてくれる人が居なくなって僕が不安になっている」と感じてくれたらしい。

「あんたの面倒はこれからあたしが見るわ。平気よ平気! 不自由はさせないし、どんな不具合もすぐに直してあげるから! 何たって、何たって私は」


 ……天才だから。


 そんな博士だから僕は好きになったのだ。


 だからこそ、今、こうして博士とケンカしてしまっているのがつらい。

 本当はその打開策を考えるのに全力を傾けたいのだが、事態はそうもいかなくなっていた。


 僕の眼前に現れたサイボーグ、宵椿 初音は聞き慣れぬ言葉を口にしていた。


「外側(アウター)? 人ならざるもの、ならず者、人ではない、つまり『アウトロー』ってことか?」

「サイボーグジョークね。全然微塵も面白くない」


 散々と博士に言われてきた辛辣な言葉だが、言われる人間でこうも違うのかと感じた。

 その感情の名は分からないが、胸がピリピリしてどこかへ走り出したくなる。


「でも、うふふ、何故かしら。ちょっとだけ、アタリ、なのよね。人ならざるもの。そうよ。私たちのような世間の『外側』にいる存在を、まとめてアウターと呼ぶの。あなたもアウター、私も。うふふ」


 目を細めながら笑う宵椿は、自分を「アウター」と称することに喜びを持っているように理解できた。


「僕の他にサイボーグがいること、まずはそれに驚いた。それに……他にもいるのか、サイボーグが」

「いいえ。私たち二人きりなの。他の『外側』(アウター)の人たちは異世界人だったり、過去からタイムスリップしてきた人だったり、獣と人間の混血だったりするわ」

「そんな話、信じられるものか。漫画やアニメやアメコミ映画じゃあるまいし」

「本人たちに会えば納得するのかしら、うふふ」


 間髪入れずに切り出してくる宵椿に対して、僕は背中のあたりに痺れのような感覚を得ていた。

 ここに、恐らく超えてはならぬラインがある。僕の足元にあるのは境界線だ。いきなり現れた彼女は僕の前に新しい世界を示してみせた。

 もしも僕が日々に退屈するサイボーグだったのならば、迷わずにこの線を踏み越えて、新たな展開へとこのサイボーグ人生を転換させていただろう。

 しかしながら、今の僕は違う。

 博士への感情を手に入れるという、地球よりも重いミッションを課せられたサイボーグなのである。


「満月は綺麗かもしれないが、四月の雨は冷たそうだ。僕はもう帰るよ。外側(アウター)が何なのか、それがどういう世界に繋がっているのかは分からないけれど、今の僕には興味がないな」

「それはジョーク抜きで?」

「もちろん真面目な答えだ」


 宵椿は月夜の中でも分かる、潤んだ唇に指を当てて「ふぅん」と呟いた。


 瞬間。


 桜の花を撫でるような薫風の如く、柔らかな風を起こしながら、宵椿は跳躍する。

 足裏から青白いブースターを、発雷のような僅かな時間のみ動かして、僕の側に着陸した。


 仰け反る僕に彼女は接近する。

 そして、すっとほろ苦いような薫り……もちろん嗅覚が苦味を感じることなどありはしないのだろうが、何せ僕はサイボーグだ。それくらいの比喩抜きの表現はジョークの範囲で勘弁してもらいたい。

 ともかく、そんな不可解な感覚と共に僕の至近距離にまで到達した宵椿。

 本能的な危機を感じて仰け反るように半歩下がる。


 宵椿はその距離を一瞬で詰めると、僕の唇を奪った。


 唇と唇とをぶつけるような、乱暴なキスだった。


 愛情や親愛を示すために行われるのが口づけだと理解していた。だが、この宵椿のいきなりのキスは何を意味しているのかまるで見当がつかない。


 視界に様々なエラーメッセージが表示されては消えていく。


 しかも、宵椿は唇を重ねるだけではなく、僕の口内に舌をねじ込んできていた。


 まるで独立した外部モジュールのように、滑らかな感触が僕の口を侵略してくる。深く深く、まるで僕の舌を引っこ抜こうとするかのように絡んできた。


 蠱惑的な接触に目を回しそうになる。舌のざらつきが伝わり、彼女の唾液が口中に広がってきて……。


 そこでようやく僕のシステムは「異物感知」のアラートを鳴らした。

 片足のブースターを微小な出力で発動させる。滑るように屋根の端へと僕は逃れた。


 口元を必死にぬぐいながら、胸の小型ファンを回して熱を排気していった。


「何の真似だ。くっ、唾液が……何かの化学物質になっているのか」

「傷つくわあ。でも、あえて言うならばこれは『愛情』という感情のおすそ分けよ。あなたにそれを感じる心があるかしらね」


 宵椿はべえと舌を出して笑った。

 問いには答えられない。きっと彼女は僕に搭載されているあらゆる機能について把握ができていて、僕にそんな感情が実装されていないこともお見通しであろうからだ。自分の欠陥を認めるのは避けたかった。


 あらゆる行動の意図が見抜けない。


 僕はすっかり困惑しきってしまっていたのだが、今だに彼女がその細い舌を見せびらかすように出しているのを見ていると、今回ばかりは「口の中に舌をねじ込んでくるディープキス」と呼ばれる行為の意味が分かってしまった。


 そして、アラームの「異物感知」が何を知らせているのかも理解できた。


「嫁入り前の娘が夜間に外出することは、あまり淑女としれは好ましくないわよね。うふふ。それに、殿方と一緒だったと他の人に知られれば、恥ずかしくて表を歩けないわ。それに……」


 風でなびいて宵椿の髪が乱れる。絡まってしまうのではないかと思われるような複雑な動きを見せた後で、彼女は耳元の髪をかき上げるように直した。


「私たちのこの逢引を覗き見している好奇心旺盛な女もいるものね」


 宵椿のわずかに動いた視線を追いかける。


 すると、その先には僕の隣家……博士の家があった。


 二階の窓からこちらを確実に見つめていた。


 今こうして宵椿と顔を合わせているのを目撃されてしまった。


 それから僕の頭の中で素早く推理の歯車が噛み合った。


 きっと博士は僕と宵椿のキスの場面も見ているに違いない。


「あ……」


 僅かでも弁解しようとコールサインを鳴らしながら、体を動かした瞬間。

 博士は慌てるようにしてカーテンを閉めて、完全にこちらをシャットアウトした。


「それでは失礼するわね、ブリキ男さん。もしも『愛情』の感情のメダルが手に入ったなら、今夜のキスの感想を聞かせてちょうだい?」


 ささやきながら笑うと、足元を発光させて夜空へと彼女は飛び上がる。舞うように回転して月明かりを浴びると、背中からパラグライダーのような翼を展開させて滑空を開始していた。

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