第7話 寂しい時に最も手繰り寄せたくなる感情


 僕の田伊豆さんへの印象は昔と大きく変わっていた。


 少しサイボーグになる前の記憶を辿ると、そこにいるのは向上心と好奇心の鬼とでも言うか天才肌の研究者という田伊豆さんだった。


 きっと博士と仲が良かったのも、「博士の父親の弟子であったから」という環境のためだろう。もしも、博士が普通の女の子だったなら、田伊豆さんとの接点はなかっただろうし、あったとしても博士は無視されるだけの存在だったに違いない。

 サイボーグになる以前、田伊豆さんからよく冷たい視線を浴びせられていた。恐らく僕が博士と仲良くしていたからだ。昔の田伊豆さんにとって僕は邪魔者でしかなかったからだろう。もっと将来に向けて勉強するべき時に、僕のような凡人と遊んでいる。果てしない損失に等しかったのだ。

 幼い頃の僕が田伊豆さんの人となりを知ったのは、ほとんどが博士の口を通してであった。


 国際的な学会で発表して、注目すべき議論の中心に躍り出たこと。

 歴史ある海外の研究雑誌に論文が掲載されたこと。

 日本の複数の大学で指導する機会を得たこと。


 拙いながらも博士は田伊豆さんの活躍を嬉々として語り、僕はぼんやりと「頭の良い人なんだなあ」という印象を抱いていた。

 今にして思うに、この頃の二人の関係は幻想ではなかったかと考えてしまう。

 理由は分からないけれど、僕がサイボーグになった頃から博士と田伊豆さんの間には冷たい風が流れ始めた。一方的に博士が田伊豆さんを嫌い始めたのだ。


 そして、この時期からだろう。

 博士が「二流」と田伊豆さんのことを呼び始めたのは。


 その理由を聞いても博士は答えてくれなかった。代わりに僕が知ったのは、田伊豆さんが研究を辞めてしまったこと。そして、家業の喫茶店を継いで二代目の店主になったことだった。

 それから僕は初めて田伊豆さんとまともに会話ができるようになり、喫茶店にも通うようになって、そして今に至る。

 来店するたびに博士と田伊豆さんはいがみ合っているけれど、最後は必ず後腐れなく別れる。そうして次も、今日のように何事もなく来店して、コーヒーを頼むのだ。そんな場にいつも僕は同席していた。

 繰り返されるそんな何気無い、喫茶店「dice」の日々。

 それが今日、僕と博士のケンカという珍事を引き起こしてしまった。


 大きなガラスが二つある店内の、片方だけにカーテンを下ろしていた。それから、入り口の扉の外側のノブに「closed」のプレートを掲げれば、喫茶店「dice」は臨時休業の合図になる。

 まだ午後五時も回っていないのだが、田伊豆さんはお店を閉めてしまい、店内には僕と彼女の二人きりになってしまう。

 新しく持ってこられた特製ドリンクに、博士のために焼いたという新メニューのマフィン。注文した覚えはないのだが、田伊豆さんは「サービス」として持ってきてくれた。


 この特製ドリンクといいマフィンといい、いきなりの休業といい、こんなお客から金を取らないスタイルで店はやっていけているのだろうか。サイボーグながら不安になる。

 僕の向かいの席に田伊豆さんは座る。

 そして、一本結びにしていた髪の毛を解いて、自分で淹れたコーヒーを口に含むのだった。


「でも、コーヒーはおいしいって言ってくれたわよね、そらちゃん」


 静かに田伊豆さんは笑っていた。博士の表情を思い出しているのかもしれない。


「悪くないって呟いていただけですけど、聞こえていたんですか」


 確か博士がコーヒーについての感想を述べた時、田伊豆さんはカウンターでドリンクを作っていたはずだ。


「昔から研究室ではデビルイヤーって呼ばれてたわ。地獄耳。そのせいで傷つくことも多かったけど、今ではお客さんのおしゃべりが聞こえてきて楽しいわ」


 そう述べながら慈愛に満ちた視線でコーヒーカップに視線を注ぐ。

 僕もドリンクを今度は印象に残るようにゆっくりと味わって口に含んでいるのだが、心は気が気ではなかった。博士とケンカをしてしまったのだ。本来ならばここからすぐに飛び出して彼女を追いかけて謝罪したい。だが、せっかく出された飲み物を置いては出られないし、何よりまだ充電が済んでいない。危険領域ではないので途中でケーブルを抜いても良かったのだが、余裕のある時に完全充電までしておかなければまた博士に怒られてしまう。


 常に電源管理には気を配ること。不用意に不正シャットダウンが起きれば、その時、僕の脳にどれだけのダメージがあるのかは計り知れないのだそうだ。博士は僕に口癖のようにして電源のことを注意してくる。


「そらちゃんのことね。でも、私は君が悪いと思うわ。全面的にではないにしても、大元では原因は君にある」

「僕は芳野さんを非難したかったわけではないんです。ただ」

「苛立ちというものがあなたにもあるのかしら」

「違います。僕は『悲しく』なってしまったんです。誰かの頑張りを素直に認められないのは、悲しいです。おかしな感情でしょうか。だから、僕が悪いのでしょうか」

「ふふふ、私の為に苦言を呈してくれるのは嬉しいわ。けれどね、どうかしら。もし、そらちゃんが君のことを好きだとしたら、他の女の人を褒めることって、少し嫉妬しちゃうと思わない? 私も以前はそらちゃんと遊ぶ君に似たような感情を抱いていたわ」

「僕にですか? 確かに気に入られてないなとは思ってましたけど」

「でもね、それは『好き』ってことなのよ。そらちゃんが君のことをどう思っているか分からない訳でもないでしょう? うらやましいわあ」

「理解は……できる気がします。でも、ここの部分が納得してくれないんです。得心という言葉がありますよね。辞書で見ました。心得る……心を獲得する……そう書いて得心です」


 僕は苦い顔をして自分の胸のあたりに拳を当てた。


「僕はきっと博士が好きなのでしょう。そして、博士もきっとそうなのかもしれません。そこまではサイボーグの僕にも分かり得る感情です。理解はできます。けれど、それだけじゃダメなんです」

「さっき話していた『感情のメダル』ね」


 そこまで聞かれているとは分からなかったので、本当に彼女は地獄耳だと思う。もしかして、各席に盗聴器でも仕掛けてあるのではないか。疑って視界をARモードに切り替えて熱源を発見するモード「災害救助サイボーグシステム」、略して「SKS」を作動させる。サーモグラフィーによって青みがかった視界から黄色の熱源体を表示させて……。


「あら、無粋なことをしているわね。その情報補助システムは今のままだと瞳に照り返しが出てしまっているわ。そらちゃんに話して直してもらってごらんなさい」


 おっとりとしているがまるで隙のない田伊豆さんの言葉に、僕はついSKSを解除してしまった。


「……でも、僕はもう博士に何も作ってもらえないような気がしています」


 目線を伏せながらの僕の言葉に、どうして? という視線で田伊豆さんは聞き返してくる。


「ケンカしてしまったからです。怒らせてしまったから」

「心配性さんなのね、君は。大丈夫よ。そらちゃんは君を見捨てない。だって、君のことが大好きで大好きでしょうがないから、今だってケンカになってるんでしょう? そういうの『お似合いの二人』って言うのよ。あ、この前ね、お店に高校生の男女が来てね、最初はアニメとか漫画の話で盛り上がっていたんだけれど、それから徐々に話題が尽きてきてね、そしたら急にどちらかが示し合わせたわけでもないのに、恋話に発展したのよ、これが。すごいと思ってしまったわ。だって、二人ともそういう色恋の話をしようと思ってきたわけではないでしょう? それが私のお店の空気によるものだったら嬉しいなとか、そんなことを思ったり思わなかったり」


 田伊豆さんは体をくねらせながら頬に手を当ててはしゃいでいた。本当にこの人は元国際的な研究者なのだろうか。


「田伊豆さんはどう考えますか。どうして僕に感情のメダルを作ってくれないのでしょうか。『好き』という感情が実装されれば、僕はもっと博士に優しくできるかもしれません。細かいことにも気づけるし、今日みたいな失敗だってしない自信があります。だから」

「私はきっとその高校生のカップルが気まずくなっても、絶対に恋の話をしたら? なんて言わないわ。二人の中から自然に出てくるものだと思っているから。それは無粋ってものなのよ。君も覚えておいて」

「……? はい、記憶はしておきます」

「それでも私ができることは、二人においしい飲み物を出してあげて、静かな雰囲気の中でお互いの距離を手探りで理解しようとするお手伝いよ。喫茶店を継いで良かったわ。だから、君とそらちゃんの間もそんな風に見守らせて欲しいの」


 そう言うと、田伊豆さんはからからと笑った。僕らを手の平に乗せたサイコロに見立てて、いたずらに転がしているようであった。あとは出目を見て楽しみたいと言わんばかりに僕を観察している。

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