第6話 ちょっとした言葉に翻弄されてしまうような感情


 僕は右の人差し指と親指をくっつけて三秒待ち、それから離して二本の指を平行になるように保った。目の前に四角いモニターが表示されて、古めかしい字体のアルファベットが並び始める。目線でカーソルを操作して、バッテリーの充電容量を確認すると、第三バッテリーを主電源にバイパスさせた。


 これにより主電源として使用されている第一バッテリーを第三バッテリーでリカバーする構成になる。


 これでどこかのバッテリーが接触不良等を起こしても僕の主電源は落ちない。


「あら、そちらはお腹が空いていたのね。気がつかなくてごめんなさいね。充電中にドリンクをとっても平気なのかしら」


 お湯を沸かし始めた田伊豆さんが遠くから話しかけてくる。


「うるさいわよ、年増! コーヒーを淹れなさい! あと、充電している間は万が一を考えて飲み食いは禁止よ」

「大丈夫です、田伊豆さん。エラーの心配はほとんどありませんから」


 丁寧な分析による回答であった。そもそも僕の胃の機関は食べ物を分解したり吸収したりするものではない。僕の機能に影響のある物質がもし食べ物や飲み物に含まれていたとしても、そこまでのものは口にする前にチェックすることができる。

 と言うか、その機能を付けたのは博士に他ならないのだから、田伊豆さんのドリンクを飲むのに支障がないくらい分かりそうなものだけれど。

 疑念を抱きながら博士を見やるが、つまらなさそうな顔を窓の外に向けるばかりでだんまりを決め込んでいた。


 田伊豆さんが飲み物を持ってきてくれる間、特に会話はなかったのだが、こうしている時間で僕は落ち着きを得ていた。博士と顔を合わせているだけで、僕の感情は活性化される。それを実感するだけの機能がないのが本当に惜しまれるのであるが。

 どことなく物憂げな博士の横顔を眺めているうちに、田伊豆さんがやってくる。


「お待たせしてますね。コーヒーと、それからスペシャルドリンクです。どうぞ、ごゆっくり。あ、それからもしお腹が空いているならマフィンはいかがかしら。チョコレートを使ったマフィンにバナナチップを初めて使ってみたのよ。このアイデアはふと点けてみたテレビに……」

「結構よ」


 博士は素っ気なく言って、コーヒーに手を伸ばした。きっとこの田伊豆さんの余分な(僕はちっとも余分とは思わないが)セールストークは、来店した客の心を掴むのだろう。これでこの店内にお客が僕たちだけというのは不思議だ。さっき田伊豆さんは他の客の話をしていたので、少しは客足があるらしいが、それにしてももっと流行ってもいいものだとは思う。

 ただ、もしも田伊豆さんの店が入店何時間待ちとかの超人気店になってしまったら、それはそれで悲しくはなるだろう。

 その辺りの割り切りはバッテリーの切り替えのようにスムーズにはいかない。これも一つのサイボーグジョークだ。


「これ、私なりに研究してみた飲み物なのだけど、どうかしら。ちょっと見た目をもう少し可愛くしたかったけれど」


 博士のコーヒーと一緒に出されたマグカップには、紫色の液体が注がれていた。光が鈍く跳ね返り、比重のありそうな見た目だ。お世辞にもおいしそうとは思えない。

 そんな僕の感想を、博士は何の遠慮もなく口にする。


「この間の回路図をこんなもののために使うなんて、やはりあんたは二流もいいところの研究者よ。何よこの色水は。小学校の時に薄いビニールに水を入れて、そこに朝顔を漬けて作った色水の方がよっぽど美味しそうだわ」

「あ、その遊び、私もやったわ。水がお花の色になるのが楽しいのよねー」

「話を逸らすな! で、そのゲテモノの液体はどうなのかしら。こいつが壊れたら直してもらうから。……いや、やっぱりいいわ」


 田伊豆さんは幾分緊張した面持ちで、そして博士は無関心そうに振舞っていてもやはり気になるのかそわそわした様子で、僕が件のマグカップを手にするのを待ち構えていた。

二人の女性に見つめられながら、僕は液体を凝視しつつカップの取っ手を掴んで、おもむろに口元へ運んでいった。


「む……」


 唇に飲み物が触れた瞬間、僕は目を細めた。

 全ての味覚がまるで鳥肌を立てるかのように反応し、強く刺激されるのが分かった。


「無理なら吐き出しなさい。言っておくけれど、そんな異物はサポート対象外よ」


 それはきっと博士なりの博士ジョークというやつなのだろう。でも、僕は口に含んだものを戻しはせずにそのまま飲み込んだ。それどころか、一気にカップの中の残りを人造胃に流し込んでしまう。


「こ、これは……」


 全て飲み終わりマグカップを机に置くと、僕はそう呟いてしばらくフリーズしたふりをする。


「まずいの? おいしくないの?」


 邪悪な二択だ。

 悪魔の囁きをしてくる博士とは対照的に田伊豆さんの表情は、穏やかで慈愛に満ち溢れていた。

 二人に見守られながら僕は第一声を発する。


「メモリと回路に染み渡るなぁー」

「…………」

「…………」


 サイボーグジョークが見事に不発した。


 タイミング的にはここで別の客が来店して、間を保ってくれそうなものだったが、この世界に都合のいい神はおらず、ひたすら静寂が続くのみであった。


 田伊豆さんが作ってくれたドリンクは、一言で表すなら「おいしい」という感想を僕にもたらしてくれた。久々の感覚であった。サイボーグになってから僕は味覚が変化してしまっており、他人がおいしいと感じるものもそうは思えなくなってしまっていた。そもそも僕には口から食物をとるという必要がなかったので、それでもいいかと思っていたのだ。

 たまにテレビを見るとグルメレポートをしている芸能人たちが映る。彼らは言葉や感性を駆使して、「おいしい」ということを言い表そうとしていた。

 その営みが僕には全く無関心だったと言えば、そうではなかった。立場上、関心のないふりはしていたが、かつて人間の僕が持っていた味覚は世界の食べ物をどう捉えていたのか、番組を通して懐かしむ気持ちがあった。

 博士のことを考えれば口にはできなかった。これは食べ物を「口にできない」と言葉にできないことを表す「口にできない」をかけたジョークではない。

 田伊豆さんのドリンクは僕の味覚回路を丁寧に刺激してくれて、おいしいという信号を脳に伝えてくれていた。


 僕の胸中は「嬉しい」という感情で溢れて、自然と田伊豆さんにお礼を述べていた。その様子があまりに迫真のものに映ったのだろう。博士も僕の言葉がお世辞とか忖度だとかそういうものではないと分かったようだった。

 そして、僕の気持ちに気がつくとすぐ博士は分かりやすくつまらなさそうな表情を見せるのだった。


 対して上機嫌になった田伊豆さんは、僕におかわりを持ってくると告げて、そのままカウンターまで戻っていく。

 まだ田伊豆さんの飲み物の余韻に浸りつつ、僕は机をジッと見つめ続けていた。

 何か言いたげな博士はコーヒーに口をつけたり、それをソーサーに戻したりを繰り返していた。


「……コーヒーの味は認めるわ」


 ぼそりと博士は呟いた。


「でも、やっぱり二流は二流よ。渡してあげた回路図からあんたの味覚を把握したみたいだけれど、そんなのは初歩の初歩なんだからね。私ならもっと良いものを作れるわ」


 強がって笑っているのが僕にも分かった。

 別に僕は博士に幻滅した訳ではない。

 いつも博士は僕のために多種多様な機能を作ってくれるし、休みの日にこうして僕のために実証実験をしてくれるし、感謝してもしても足らないくらいだった。

 だからこそ、だろう。

 僕はそんな博士の不遜な態度に「悲しみ」を覚えるのだった。


「僕は田伊豆さんが頑張ってくれて、嬉しく思うよ」


 顔を上げて博士の表情を僅かに確認すると、静かに言った。

 すると、博士はかっと音が聞こえるくらいに感情を吹き出した。暗闇に光が灯るような劇的な変化が見て取れる。どんな心の動きがあったのか、その実感ができないのがもどかしい。それでも博士が僕の言葉をきっかけに気分を大きく変化させたのは理解できた。


「何よ。少しおいしいものを口にしたからって。あんな二流を擁護するの、あんた」

「そんなんじゃないよ。でも、二流二流って田伊豆さんのことを呼ぶのは……良くないと思う」

「事実よ、事実! それともあんたはあたしが劣ってるって思ってるの?」

「博士、落ち着いてほしい。そんなつもりで言った訳じゃないけど、田伊豆さんは僕のために尽力してくれたんだ。それを認めることが、何故いけないんだ。逆に教えてくれないか」


 自然と僕の顔は博士に近づいていて、その強い目つきを真っ向から受け止める形になっていた。

 サイボーグは心の機微が分からない。微妙な感情の揺れ動きが読み取れない。

 それはジョークでもなんでもない、純然たる事実だし、紛れもない現実なのだ。


「それなら、あたしの方が何倍も何倍も頑張ってるわ。それに比べてどうかしら。あいつはあんたから逃げたのよ。父からも研究からも。それが、どうしてあんな色水を作っただけで褒められるの? あたしの方が何でも、色んなものを作れるのに」

「でも、博士は僕に『感情のメダル』を作ってくれない」


 その一言が、告げてはならぬものだと気づいた。

 ただし、遅すぎた。

 僕は言葉を浴びせた瞬間に「まずい」とエラーメッセージを頭の中で何度も吐き出した。サイボーグジョークなんて考えている場合ではないが、それは僕がお茶目なサイボーグだからしょうがあるまい。


 博士は拳を握って立ち上がる。

 そして、その手を僕の耳のあたりに向けて振り降ろすと、乱暴に耳たぶを引っ張ってきた。

 外部ガジェットである「耳よりオトク情報」が発動して、僕の耳のスリットから何枚かの硬貨がこぼれ落ちてきた。

 博士はそれらを手の平で確認すると、必要な分だけを手にとって机に叩きつける。

 そして、何も言うことなく田伊豆さんの店を飛び出して行ってしまった。

 もちろん追いかけようとしたが、首元に刺さっているケーブルが引っ張られて目を白黒させてしまう。その間に彼女の姿はすっかり見えなくなっていた。


 店内には、入口ドアの鐘の「ちりん」と「からん」の中に「がらん」という音の混じった厚みある不協和音が響いていた。

 残響の中で再び田伊豆さんが姿を見せる。

 少し驚いたような、そして気丈な顔つきで僕の元に特別なドリンクを持ってくると苦々しく笑った。


「もうちょっと早ければ、さっき話したチョコレートマフィンが焼きあがって、そらちゃんの機嫌も良くなったかもしれなかったわね。遅くなってごめんなさい」


 その後で田伊豆さんは「そらちゃんはチョコレートが好きだから」と心苦しそうに笑った。

 僕はどう答えていいのか分からず、曖昧に頷いてから耳を整えた。


「ケンカ、してしまいました」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます