第5話 別の異性と接しているのを見ると変質する感情

「微妙ね」


 博士は「ニュータウン」にあった「ぐるぐるナビゲーション」で星五つ中、星四つを獲得している汁なし担々麺のお店に入って食事をした後、店から出て二十歩くらい歩いた後でそう告げてきた。

 おいしいと思って食べている人も居るからその場では言わなかったけど、と付け加えて博士は何となく物足りなかった点を話しながら僕と歩く。


「と、まあ、味覚が通常とは異なるあんたと話してても、仕方が無いけれどね」

「ごめん。楽しくなかっただろ。もうちょっと面白いことを言えたら良いんだけど」


 そう言うと博士は自分の頬に指を当てて、控え目な声で言う。


「別に、楽しくなかったわけじゃないんだけど……」

「? それなら楽しかったのか。あまりおいしくない店に入って、こんな味も何も分からないやつと一緒にいて面白かったのか」

「うーるさい! 黙れ! だーまれ!」


 そう言いながら、僕の肩をグーで殴ってくる博士だった。プラスチックを殴った時のような頼りない音が響いている。


 博士が少しでも満足できたのならば、「おいしいものを見つけるモード」は成功と言って良いのではないだろうか。ただ「おいしいもの」は見つけられなかったようだけど、それでも楽しかったのならそれで満足なのだろう。その理由は僕には分からないのだが。

 AR機能が切れていることを瞬きして確認し、念のために左の親指を三度曲げてインターフェースを表示させてみた。

 ふと、電源が減っていることに気がつく。

 パーセンテージで表される残量は七十二を示していた。


「このAR機能は少し情報処理に高負荷がかかるみたいだ。電源効率のチェックをおすすめするよ」

「試作段階だもの。しょうがないわよね」

「先ほどの担々麺が口に合わなかったのなら、田伊豆さんのお店に行かないか。口直しもできるし、僕のバッテリーも充電させてもらえる」


 僕がそう提案すると、博士はたちまちつまらなさそうな顔をしてため息をついた。


「そんなに田伊豆さんのところに行きたいわけ」

「バッテリーはいつも余裕を持ってみておけと言ったのは芳野さんだ」


 それはきっと僕の方が正論を述べていると分かったのだろう。博士は苦渋の表情を浮かべながらも、渋々田伊豆さんの店への経路を辿り始めるのだった。


「ニュータウン」から「ノスタルジックタウン」へと入る。「絹ごし」と書かれた古い木造の豆腐屋を右に曲がり、なだらかな坂を登って神社を通り過ぎると、十字路が見えてくる。

 アスファルトが粒状に剥がれており、白線もセロテープが途中から剥離したかのように鋭く欠損していた。

「スクールゾーン」と書いてあるが、数メートル先の小学校は隣町との統廃合によって廃校となっている。僕と博士の通っていた、思い出のたくさんある学校だ。


「この辺に来ると気が滅入るわね。道路もボロボロだし、舗装して綺麗にして区画整備しないのかしら」

「僕はこのままがいいと思うけど」


 葉桜を眺めながら言うと、小さな声で博士は「バカ」と囁くように言うのだった。

 そのまま十字路を左へ。隔週日曜日に開いている古本屋と、今はもう朽ちた民家の先に、田伊豆さんの喫茶店はあった。


「お邪魔するわよ、二流」


 ちりん、と、からん、が混ざり合った音を立てて扉が開く。


「あら、いらっしゃい。よく来たわねえ」


 僕らを迎えてくれるのは優しいクリーム色のカーディガンに飾らないエプロンをした女性だった。華やかではないが落ち着いた雰囲気の美人。それがこの喫茶店「dice」の二代目の店主である田伊豆 由希奈さんだった。


「今日はお二人でお出かけかしら。春らしいお天気ですものね。この辺りの桜は一昨日の雨で散ってしまったけど、小学校の方まで行くとまだ咲いているところがあるみたいなのよ。その下でお花見をしている方がね、この前お店に来て下さって」


 いつものように何でもない話を田伊豆さんは僕らに浴びせてくる。

 博士はそれを遮るように告げた。


「早く席に案内しなさい、二流。カウンター席以外の場所に案内しなさい」

「あら、ごめんなさいね。おしゃべりでね」


 ふわりと田伊豆さんは笑って僕らを店の奥の四人がけの席に案内する。博士はメニューを手に取ろうともせず「コーヒー」と伝えていた。


「かしこまりました。あ、君には特別に作ってみたドリンクがあるんだけど、どうかしら。お金はいらないわ。この間、とーっても苦労してそらちゃんから味覚パターンの回路図を手に入れたでしょう? 私なりに解析して、あなたの味覚に合うようなものを作ってみたの。もし試していただけるならとっても嬉しいわ」


 お盆を抱えた田伊豆さんが僕の顔にどんどんと迫って来ていて、そのきらめいた瞳に飲み込まれそうになる。


「結構よ。バグの原因になるわ」


 たちまち博士が僕たちの間に割り込んで来て、乱暴にその間を引き裂いた。


「あう」

「年増! 二流! こいつに触れないで!」

「そこまで言うことないだろ。それに僕は田伊豆さんの作ってくれた飲み物に興味がある」

「まあ!」

「ふん。お腹壊しても知らないわよ」


 不貞腐れたようにそっぽを向いた博士と、「コーヒーとスペシャルドリンク、かしこまりました」と復唱して軽い足取りでポニーテールを揺らしながらカウンターへと戻って行く田伊豆さん。対照的な二人を交互に見て僕はこの前のことを思い返した。


 そもそもこの喫茶店「dice」の店主を務める田伊豆 由希奈さんは、博士のお父さんの愛弟子だった人だ。専門はロボット工学だが、ある理由から今は研究から退き、こうして喫茶店を開いている。


 年齢は不祥。


 僕のデータベースのどこを検索しても情報は見つけられない。

 彼女のことで残されている記憶は、まだ僕が改造される前によく博士と三人で遊んでいたことだ。だから、小学生に上がる前からだろうか。

 しかし、幼いというか若い時の田伊豆さんの記憶はなく、彼女は出会いの最初から今に至るまで、ずっと目の前にいる彼女のままのような気がしている。

 年齢不詳で年をとった形跡もない。

 妖精みたいな人だ。

 何だか懐かしくなって少しだけ田伊豆さんの記憶を検索してみる。


 僕の脳裏に浮かんで来たのは、まだ性格がねじれていない頃の博士と田伊豆さんのことだ。

 博士は、父親とその弟子である田伊豆さんを心から尊敬していたように記憶している。田伊豆さんに後ろから抱きかかえるようにされて、博士はとても難しそうな日本語ではない本を楽しそうに読んでいた。何だかそこには二人だけの空間があって、幼い頃の僕は何らかのごちゃっとした感情を抱いていたように思えた。その心の名前は昔も今も分からない。

 そんな仲の良い二人が不仲に……というか一方的に博士が田伊豆さんを嫌いになってしまったのはいつからなのだろう。

 田伊豆さんが研究を辞めてしまった頃からだろうか。

 博士の「二流」という侮蔑の言葉も確かその辺りから使われ始めたはずだった。


「また別の女のことを考えてる」


 店内の奥にある席で博士は僕を壁際に座らせながら、こめかみの辺りをつんと突いた。


「……博士は僕にマルウェアを仕込んでいるのか」

「バカね。そんなの顔を見れば解決できる問題よ」

「不合理だ。感情のない僕の顔を見て、何が分かるというんだ」

 僕が抗議すると、呆れたと言わんばかりに博士はため息をついた。どうして博士は僕の脳内が読み取れるのか、その技術的な方法について考えを巡らせていると彼女は後ろに回ってきて、手にしていた径の太いケーブルを僕の首の辺りに取り付けた。


「第二バッテリーを充電するから、主電源を第三で循環させなさい。エラーに注意して」

「了解した」

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