第3話 失えば胸にぽっかりと穴が空いてしまうような感情

「と言うのが僕の結論だ。最近、博士を見るたびに感じるのは『好き』という感情だろう。理由は……」

「あー……こほん、こほん。少し声のボリュームを考えてくれないかしら」


 僕らは次の休日、近くの駅のコーヒーショップで向かい合ってそれぞれ注文した飲み物を前に話し合っていた。

 休みの日はこうして二人でいることが多い。彼女の家の地下実験室で過ごすこともあれば、こうして外に出ることもある。実験室の場合、博士は僕に新しい機能を実装してくれる。そして、外を選んだ場合は僕の新しい機能を実感するのだ。


「博士。ボリューム調節の設定パネルはまだ未実装だ」

「バカ。そういうことじゃないわよ」


 僕は博士に叱責され、辺りに他のコーヒーショップの利用客がいることに気がついた。そうか。こういう話は人前でするべきではないのか。それならばこんなところは一刻も早く出て行こう。味覚の受容体が異なる僕にとって、コーヒーは様々な草木の風味がする水溶液でしかない。


「それから、二人きりでない時は、『芳野さん』もしくは、そ、『そらちゃん』でしょう?」

「すまない、芳野さん」


 僕がそう呼ぶと、博士は舌打ちをして何やら黒い表紙の分厚いメモ帳をパラパラとめくると、鉛筆で何かを記し始めた。


「また『芳野さん』ね……。ここ数年は『そらちゃん』と呼ばれたことが百回に一回。何が悪いのかしら」

「芳野さん?」

「聞こえよがしに呼ばなくても分かってるわよ! そうね、実験だったわね! そろそろ行きましょうか!」


 何故か博士は怒ったように立ち上がった。いつの間にか彼女の注文していたアップルシナモンキャラメルモカホワイトカプチーノフラッペ(グランデ)(半分以上は僕に飲ませた)が無くなっていたので、僕も慌ててブラックコーヒーを人造胃に収めて後を追った。


「違うんだ芳野さん。理路整然と話そう。いいか。この間のメンテナンスの時に確かに言ったじゃないか。僕のSSD記録媒体もこれにはハードディスク並みに抗議する。うるさく抗議するって意味だ。これはサイボーグジョークだけど」

「つまらない」

「すまない、学習しよう」


 小さなリュックサックを背負い直して、二つ結びのお下げを揺らし、博士はコーヒーショップを出て商店街の方へと向かって行ってしまう。

 食い下がるように僕は隣に並んだ。


「あれから僕の感情について分かったことがあるんだ。芳野さんを想う時に生じる気持ちが『好き』というものである理由。僕の胸の中にある、もやのかかったような心。それについて理解できたら、芳野さんは調べてくれると言ってくれた」

「そうだったかしら、覚えてないわ」

「いや、言った。芳野さんが昨年付けてくれた『ドライブレコーダーあらためリビングレコーダー』にも記録されている。SDカードにダウンロードしてもいいぞ」


 必死に舌を回しながら舌をべえっと出すと、そこから四角い穴が出現する。ここがSDカードスロットになっている。


「直ちにデータを消しなさい。はあ……何でも録画できるリビングレコーダーは『煽り歩行』をされた時の証拠になると思って取り付けたのに。そんな使い方をするなら外すわよ」

「悪かった。でも」

「分かった、分かったわよ。覚えてるわ。だから、もうその話はおしまい」

「じゃあ、『感情のメダル』を作ってくれるんだな」

「それは別問題よ。……オズの魔法使いの時に出来心で渡したのがまずかったわね」


 過去を悔いるような博士の発言。僕はどうして「感情」を得ることが不都合になるのか全く理解できなかった。


 ここで、少しだけ難しい話をしよう。


 感覚と感情についての違い。


 そして、サイボーグである僕が抱く「感情」についてだ。


 僕が博士の父親によってこの世に再び生を受けたサイボーグであることは、周知のことだろう。

 では、頭の中に二つの箱を思い浮べよう。それを並べてみてほしい。


 右の箱には「失ったもの」で左には「生き残っているもの」というラベルを貼ってみる。


 僕はサイボーグになることで、体のほぼ全ての機関を失った。「臓器のほとんど」を右の箱に。

 そして、一つのルールとして「右の箱に何かを入れたら、左の箱にも何かを入れる」というものを定めたい。何かを得れば何かを失う。逆も然り。


 そろそろこんがらがってきただろうか。


 とにかく、「臓器のほとんど」が右に入ったので左には生き残ったものを入れる。そこに入るのは、「僕の脳」であった。

 事故によって幸いにも僕は頭部のみを保持できていた。それも損傷していて、修繕を加えなければ役をなさないものだったが、とにかく脳は無事だったのだ。


 さて、話はここからだ。


 厄介なことにここで右の箱には、「感情」というものが入ってくる。僕は「感情」を失ったのだ。

 これが失われると、要は実感がなくなってしまうのだ。

 例えばオズの魔法使いの話を読んで、「悲しい」という感情があるのは頭で理解できる。感情の定義もできるし、人に「悲しいとはどういうことか」と問われても説明が可能だ。どういう説明になるか? あー、それは、国語辞典の「悲しい」というページを引いてみてほしい。それと近いことを僕は話してみせよう。これはサイボーグジョークだ。分かりにくい? 皆もサイボーグになってみれば面白さが分かると思う。


 とにかく感情についての知識を得ることはできるが、それでも感情そのものが右の箱に入っているのには理由がある。

 言語にできる知識としての感情はいくらでも手に入るが、その実感までは辿り着けないのだ。


 だから、僕は誰かを憎むことができない。博士を「好き」になれないのと同じように。誰かを羨んだりもできない。博士を「好き」でいられないのと同じように。

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