第43話 幼き案内人


 結界を張ってある、という条件は変わらないはずだが、神都と樹の里では場所の雰囲気が大きく違った。

 樹の里は閉鎖的空間であると言われれば頷けるような、静かな穏やかさが特徴の場所だった。対して、神都は流石都と言うべきか、入場に条件が設けられているとは思えない活気がそこかしこに漂っている。

 煉瓦造りの建物が多く立ち並び、遠くには厳格な雰囲気を醸しながらも華美な装飾を施された城が聳えていた。汚れのない真っ白な壁が、ここが神聖な場所であるということを物語っている。城の中心からとんがり帽子を被ったような塔が顔を出しているのが、強く記憶に残っている。

 こんな状況でもなければ、感嘆の溜め息が出るような美しい街並みを、スズネは勿論他の三人だって楽しんでいただろう。

 四人は気難しい表情で互いの顔を見つめ合っていた。ここは、大通りから少し外れた位置にある宿屋である。店主には何故か不思議そうな顔をされたが、四人は無事に宿をとることができた。

 現在、二部屋借りた内の片方に集まって情報を共有している最中なのだ。窓越しに聞こえる喧騒は遠く、ここでなら落ち着いて話すこともできる。その静けさに助けられて、スズネは移動中に脳内で纏めていたことを、落ち着いて伝えることができた。


「じゃあ、アイツは俺達が記憶喪失だってことを察して黙ってたってわけ。やけにコハルに近付くと思ったら、それを確かめたかったんだ」

「抜けてるフリして案外鋭かったんだね」


 顔を顰めたシンヤの呟きと、目を細めたヨルの言葉が部屋に落ちる。二つ並んだ寝具――これは立体の長方系にシーツと布団を被せたもので、スズネの知識に馴染みのある形をしていた――に腰を掛けた二人は、それに向かい合った形で座るスズネとコハルに視線をやった。


「新米の話を聞くに、俺達も知らない間にマナを使われてたみたいだけど。対象を眠らせる系のマナって、何?」

「少なからず、樹のマナじゃできないと思うな。湖のマナでもできないなら、あの人は花か星の精霊と契約してるってことになると思うんだけど……」

「眠らされる前に花の匂いがしたんです。だから、花の精霊と契約してるのかもしれません」

「確かに、僕も寝る前に甘い匂いを嗅いだ気がするけど……でも、花のマナって炎も扱えるのかな。見たことないから断言しにくいね。情報を集めるならマナについても調べたほうがいいかもしれない」


 一通りの情報は出揃ったが、結局誰もジンの目的を言い当てることはできなかった。数拍落ちた沈黙が重い。スズネは眉尻を下げて、小さく肩を竦めた。


「ごめんなさい。私がもう少ししっかりしてれば、ジンさんの目的も分かったかもしれないのに」

「馬鹿」


 そう呟いたスズネに、呆れた声音の罵りが飛んできた。え、と顔を上げた瞬間、スズネの額をシンヤの中指が力強く弾く。パチンッ、と部屋に鳴り響いた音の通り、瞬間的な痛みがスズネの額を強襲する。思わず呻いて額を抑えたスズネを、シンヤの冷静な視線が突き刺した。


「この場の誰もアイツを止められなかった状況下でそういう反省会するのは士気を下げるから却下。いくらポンコツでも商人なんだから、露店を一つ一つ回れば会える。そのときに捕まえれば目的を吐かせることも口止めもできるでしょ。対した問題じゃない」

「そ、そうでしょうか……」

「どうせ消費した分の食料は確保しなきゃいけないし、今後必要な物品は神都で揃えるんだから露店は回る。やることは最初から変わってないよ」


 だから気にするな、という副音声が聞こえた。額を擦るスズネから視線を外したシンヤは、そのままコハルに手を差し伸べて彼女を立たせる。その分かりやすい優しさとは全く毛色が違うが、彼は彼なりにスズネに気を遣ってくれたようだ。


「お出掛けするの?」

「うん。情報収集。神と神官に色々聞くついでに街でも回ろう」

「商人さんは、お祭り明日からって言ってなかった? 今日は露店の準備って……」

「準備中のアイツを捕まえられるかもしれないし。そしたら明日はやることが減るから一緒に祭りを回れるよ、コハル」

「あ、本当だ。じゃあ頑張って探さないとね」


 コハルに投げかけられたシンヤの声は、甘い優しさと帯びている。所謂デートのお誘いにパッと表情を緩めたコハルは、シンヤと手を引かれて扉の前まで進んだ。それを見て慌てて立ち上がって二人を追うスズネを見て、寝具に座ったままのヨルが少し心配そうな声を掛けた。


「スズネ、平気?」

「平気ですよ。眠らされただけなので、特に身体に不調はありませんし……」

「そうじゃなくて。身体は勿論だけど、精神面で。思い詰めてない?」


 色々あったから、とヨルが呟く。その気遣わしげな表情に、スズネは一瞬息を止めた。

 盗賊のことも、ジンを止められなかったことも。様々な責任が重さとなって伸し掛かっているのを、自覚していないわけではない。けれども、そこで足踏みをしている場合ではない。

 責任は取らなければならない。だって、スズネがちゃんとしていれば迷惑を掛けなくて済んだのだ。


「大丈夫です」


 たった一言そう返せば、ヨルは数拍の沈黙の末、「そっか」とだけ返した。緩慢に頷いたスズネは、前の二人に続いて部屋を後にする。

 神都は確かにマナに溢れていた。この分であれば、ヨルがその怪我を塞ぐことも難しくないだろう。それまで彼はあの部屋から出ることができないが――その分、しっかりと結果を出さなくては。

 そんな思いを胸に、スズネはシンヤとコハルの背中を追って宿屋を飛び出した。騒々しい様子の都が再び三人を出迎える。

 これから向かうのは、遠くに聳え立つ神の城だ。三人は、精霊と契約者で溢れかえった神都の大通りを、ゆっくりと歩き始めた。

 大通りの脇には、既に明日の祭りに備えていそいそと露店を準備している精霊たちの姿がある。そこかしこから感じる精霊の気配は夥しいとすら称せる量だったが、この神都にはそれほどまでに精霊が集るらしい。祭りという時期も手伝って、通行人も立ち並ぶであろう露店も、数え切れない程だった。


「すごいですね、神都」

「ね。樹の里とは雰囲気が違うよね」


 不思議、と辺りを見渡したコハルの瞳は、物珍しさに輝いている。そんな彼女の手を引いて真っ直ぐに城だけを見据えていたシンヤは、二人の会話に口を挟まなかった。

 歩くだけでも重労働になるのは、道を行き交う精霊や人間の数が密集しているからだろう。誰ともぶつからないように歩くには、体を横にしたり捻ったりと忙しない動きを求められる。それまで、草原や樹の里といった開放的、或いは人気のない場所を通ってきたスズネにとって、それは中々至難の業だった。

 コハルやシンヤも条件は同じはずなのだが、シンヤはそれを見越した上で手を繋いだのだろうか。だとすれば、スズネを放置するのは聊か意地が悪い。しかし、そんなことは今に始まった事ではないので、スズネは静かに口を閉ざす。二人との間に僅かに距離ができてしまった頃合いで、コハルがその事実に気が付いた。


「スズネちゃん、はい」

「は、はい! 有難うございます!」

「はぐれたら大変だもんね」


 差し出された手に慌てて手を重ねれば、コハルは面白そうにくすくすと笑い声を零す。無邪気な彼女の笑い声に、迷惑をかけて申し訳ない、と俯きかけたその時、スズネの前を歩いていた二人の足取りが止まった。


「あっ」


 喧騒の中で聞こえてきた幼い少年の声に、スズネは目を見開く。この人混みの中を勢いよく走っていた少年が、シンヤの真ん前で躓いたのだ。前のめりに放り出された少年の幼い胴体がふわりと宙に浮く。咄嗟だったのだろう。シンヤはすぐさましゃがみ込んで少年の体躯を片腕で抱き留めた。


「わあ、ごめんなさい!」

「……この人混みの中走ってたら危ないでしょ」

「ごめんなさい、お兄さん!」

「怪我は?」

「してません。有難うございます!」

「そ、ならいいけど」


 シンヤの声は素っ気ないながらに、普段よりも分かりやすく優しさが見え隠れしている。子供相手だからだろうか。恐らくあれがスズネであれば『ものを考える力がないみたいだね』という罵倒が添えられそうなものだが、少年に投げかけられたのは軽い忠告の言葉だけだった。

 少年はすぐさまシンヤから体を離す。丸みを帯びた輪郭は僅かに赤らんでおり、子供特有のあどけなさを感じられる。透き通った空色のぱっちりとした瞳が、満面の笑みが浮かべられるのに合わせて細くなる。柔らかそうな白い肌に、濡羽色の髪の毛がよく映えた。

 少年は、転んだ拍子にずれたらしい大きな丸い帽子を被り直す。その所作が逐一愛らしく、スズネは思わずコハルと繋いでいないほうの手で口元を抑えた。

 可愛い。とても撫でたい。

 そんな衝動を抑え込んでいるスズネの前で、目線を合わせるように屈んだままのシンヤの手が、ふと少年の肩に伸びた。まだ成長しきっていない細い肩と骨ばったシンヤの手は何だか不釣り合いで、スズネは小首を傾げる。

 そしてハッとした。まさか子供相手でも容赦なく怒るつもりなのだろうか。シンヤの容赦のなさはここ数日間近で見続けたので理解しているが、相手は子供で、意図して衝突してきたわけではない。必要以上に叱るのは勘弁してあげてほしい。


「し、シンヤさ、相手は子供ですから――」

「ねえ、その耳飾りどこで手に入れた?」


 慌てたスズネの言葉を遮ったのは、予想外に優しい声音であった。コハルに対する愛おしそうなそれとはまた違うけれど、スズネが聞くことはないであろう類の声である。

 少年は元々丸い瞳をさらに丸くして、「耳飾りですか」と呟く。その耳には、薄紫に彩られた雫型の耳飾りがあった。


「コハル、ちょっと屈んで。耳飾り見せて」

「うん。はい、どうぞ」


 シンヤの隣で前屈みになったコハルの耳元で、同じ雫型の耳飾りが揺れる。色は違うけれど、それ以外は大きさから金具の色まで、全ての要素が一致した。それがジンの商品であるということに、間違いはなさそうである。

 同じだ、と呟いたシンヤは、さらに少年にその耳飾りの購入場所を尋ねる。首を傾げた少年は、次の瞬間に「ああそうだ」と何かを思いついた顔をして、次のように提案した。


「よければ僕がご案内しましょうか!」


 その無邪気な笑顔に、シンヤが頷く。子供相手に真剣な顔をしている彼の姿は、普段の態度も相まって何処となく不釣り合いに見えて仕方がなかったが、状況が状況である。少年が案内してくれる先に、ジンがいるかもしれない。

 そう思うと、スズネもコハルも、その表情を真剣なものにする他なかった。ただ一人、少年だけはやけに真剣な三人の顔を、不思議そうに見つめていた。

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