第20話 恐喝と恐喝と確信


 井戸の縁に寄りかかったシンヤの前で、スズネは杖を握ったまま直立していた。本来であれば座るところだが、如何せん、外である。肩を縮込めたスズネは、俯きながら会話を交わしていた。

 自分の足元を意味もなく凝視するのは、目の前の面倒くさそう且つ冷ややかな目線を見ていられないからである。


「尾行の意図は?」

「いえ、あの、気になって」

「君は気になったらわざわざ尾行してまで盗み聞きするんだ。良い趣味してるね。好奇心旺盛で大変宜しい。ところで好奇心は猫を殺すって言葉があるのは知ってる?」

「すみません……」

「で、本当の意図は?」


 滔々と流れる皮肉に肩を竦めれば、シンヤは素っ気なく問いかけを投げてくる。決して嘘や誤魔化しを許さない厳格な対応は、全く以て容赦がない。

 しかし、『リンが貴方を恨んでいるかもしれないから心配しました』などとは口が裂けても言えない。これは何処までもスズネの憶測の域を出ない話であるし、最後の一言はシンヤの矜持を傷つけかねない言葉だ。

 スズネが口を結ぶと、シンヤはとうとう痺れを切らしたらしい。彼が溜息を吐いた直後、スズネは自分の足元の影が薄くなるのを目撃した。

――慌てて顔を上げれば、シンヤが手の平でマナの光をちらつかせている。光が形を成して発生した小さな渦から、水でできた鞭のようなものが細く伸びる。それはスズネの頬まで距離を伸ばすと、脅す様にその頬を軽く叩いた。

 まるで、これ以上引き延ばすと鞭を使うと言われているような気分である。触れている分には冷たくて寧ろ心地が良いくらいだが。

 スズネが瞬きを繰り返していると、シンヤがもう片方の手でも同じように水の鞭を用意した。そちらはスズネを素通りして、背後にある井戸から最も近い木に伸びた。

 シンヤが持ち上げていた手を軽く振り下ろす。すると、鞭はそれに呼応するように細長い身体をしならせた。宙でうねる透明な水は光を浴びて輝き、酷く幻想的である。

 スズネが思わず歓喜の声を上げそうになった時だ。木から伸びた人間の腕二人分ほどの枝が、鞭に打たれた根元から、すっぱりと斬り落とされた。


「ひっ」


 『わあ』と上がるはずだったスズネの声が小さな悲鳴に変わる。

 大きな音を立てて地面に落下した枝の切り口は美しい。まるで剣で斬ったかのような滑らかさの切り口は、『お前もこうなるぞ』と言いたげにスズネの方を向いていた。


「で、本当の意図は?」


 シンヤは先ほどと全く同じ質問を繰り返す。そして、スズネの頬に触れる水の鞭を一度しならせた。力なく頬を叩く水の鞭は、今は決して痛みを感じないが、やろうと思えば枝を軽く斬ることくらい簡単な威力を秘めている。


「早く言わないと、『うっかり』手を滑らせるかもよ」


 言い淀んだら確実に死ぬ。シンヤの恐喝に蒼褪めたスズネは、慌てて口を開いた。


「いや、あの、リンさんが何かシンヤさんにするんじゃないかと、思って」

「何かって何。なんでリンがそんなことしなきゃいけないの。具体的に話して」

「いえ、あの……」

「早く。三秒以内」


 シンヤの追及は止まらない。スズネが言葉を一瞬でも濁そうとすると、水の鞭が遠慮なくスズネの頬に触れた。その度に肩が揺れるのは、その威力と脅威を知ってしまったからである。

 成すすべがない。スズネは小動物のように震えながら、全てを吐き出さざるを得なくなった。


「その、コハルさんが怪我をした件で。マツさんが人格が変わる程叱られたっていうなら、その……そもそもの理由を作ったシンヤさんのことは、どう思ってるのかなと、思ったら、出てくる答えが少し」


 曖昧な言葉を選んだつもりだったが、それが指している内容は明確なものだ。シンヤは一度肩を揺らした後、その眉間に深く皺を寄せる。

 その件は、恐らく彼の記憶の中で思い出したくない部類のものなのだろう。申し訳なさでスズネが眉尻を下げれば、シンヤは「続けて」とその先を促した。一応、全て聞いてくれるようだ。


「もしリンさんが貴方を……恨んでいるなら、二人きりにするのは、良くないかなと思って。人気がないところを選んでいるようだったので、余計にそう思いました。いざとなったら、手助けに入ろうかと」

「君のその自衛用の武器で俺が守れると思ったの?」

「い、いえ、思い上がり甚だしいのは分かってるつもりですけど、いないよりはマシかなと」

「素人がいると逆に迷惑。さらに言えばこんな真昼から、二人で一緒に居るところを目撃されている直後に犯行に及ぶほどリンは馬鹿じゃない。彼女が俺をどう思ってるかは知らないけど、今回の場合は全く以て杞憂だったね」


 シンヤの言葉は容赦がない。なんだか胸に槍が刺さったような痛みが生じる。う、と呻いたスズネから視線を外した彼は、影に包まれた井戸の底を目を伏せて見つめていた。


「まあ、その推測とお人好しは評価しないでもない」

「え?」

「でも、君がいても邪魔だから本当に心配ならヨルでも呼ぶべきだったね」

「す、すみません」

「いい。君の意図はよく分かった。思ったよりくだらなかったからもう帰っていいよ」


 シンヤはそれだけ言うと、拳を作って水の鞭を消した。その後、黒い手袋で包まれた手をひらつかせてスズネを追い払うような動作をしてみせた。

 本当に理由を聞くだけで終わってしまった。全く怪我をしなかったことに、スズネは内心驚きを隠せない。否、確かに途中で恐喝はされたが、それは恐らく形だけのものだ。彼はコハルが泣くからスズネに痛いことをしない、と言ったのだ。スズネの安否はともかく、コハル関連で彼が嘘を吐くとも思えない。

 尾行なんてものは気持ちが良い行為ではないだろうに、その理由を聞きだしたら終わりだなんて。ひょっとして彼は優しいのではないだろうか。口が『多少』悪くて態度も『少し』悪いだけで、本当は、物凄く優しい人なのかもしれない。

 スズネがその顔を凝視していれば、シンヤはあからさまに顔を顰めた。こっちを見るなと言いたげである。――やっぱり、優しくないかもしれない。


「何なの、早く帰んなよ」

「いえ、あの、私もシンヤさんに聞きたいことが」

「恐喝された身で俺に質問するなんて良い度胸だね」

「あ、恐喝染みてるっていう自覚はあったんですね。……いえ、そうではなく。リンさんがマナの回収って言ってたじゃないですか。あれは、どういうことですか?」

「答える義理はない。以上」


 明快で素っ気なく、それでいて大分淡泊な言葉を口にしたシンヤは、スズネの質問に答える気がないらしい。彼と対等に話し合える日はまだ遠そうだ。しかし、それはスズネが彼の中で興味関心が惹かれない存在だからだろう。

 では、彼の最も興味関心のある存在を引き合いに出せば、その口だって割らざるを得ないはず。

 スズネは小さく呟いた。


「コハルさんが言ってましたよ。シンヤさんはコハルさんの傷をずっと気にしてるって。あの傷に責任を感じているなら、貴方は何処かでそれを償おうとすると思うんです」

「……俺がそうしようとする根拠は?」

「普段あれだけコハルさんに甘くしていたら誰だって分かります。コハルさんが大事だから、大切にしたいから、自分のせいでついた傷が許せないんでしょう?」


 彼がコハルを大事に思っていることくらい、昨日会ったばかりのスズネにだって分かる。それ程彼は露骨な態度をとっているのだ。


「リンさんとの会話でも、貴方はコハルさんの怪我を気にしてました。……マナの回収が、どうやってコハルさんの怪我と繋がるのか、私には分かりません。答えてください。そうじゃないと、私、心配のし過ぎで、ここで見聞きしたものを『うっかり』コハルさんに喋ってしまいそうです。それも、それなりに脚色をして」

「……恐喝返しとは、いい性格してるね。君」


 あまり褒められた気分はしなかった。勿論、シンヤも褒めたつもりはないだろう。顔を顰めた彼は溜息を吐くと、もう一度井戸を覗き込む。目視することはできないが、ここには先ほど、彼が投げ込んだマナが溜まっているはずだ。


「別に、大したことじゃない。精霊ってのは結局大精霊に創られた存在だから、見えない繋がりがある。大精霊のマナが高まれば高まるほど、それと繋がってる精霊が増えたり強くなったりする。俺はそれの手伝いをしてるだけ」

「……シンヤさんのマナは大精霊に捧げられてるってことですか?」

「そう。俺のマナは樹の大精霊と相性がいいみたいでね。効率的にマナを摂取できるんだって。大精霊は今、結界を張ってるおかげで余分なマナが残ってないから、自分の精霊にマナを割けない。『余り』を出すために、俺は毎日少しずつマナを提供する。それでいつか余裕が出たときにコハルの傷を治すだけのマナを渡す。そういう約束」

「それって、いつになるんですか?」

「さあ」

「さあって……もしかしたら、余裕ができるのがずっと先の話かもしれませんよ。百年とか、二百年とか……」

「精霊に寿命は存在しない。有り得るのは『マナ不足による消滅』だけ。百年でも二百年でも、コハルの隣で待っててあげるよ。年数なんて問題じゃない」


 俺は彼女と永遠の時を過ごすことだって厭わない。

 シンヤは、確かにそう呟いた。その瞬間、スズネは小さく肩を跳ねさせる。

 観覧制限のある歴史書の冒頭に、『永遠』という単語が書かれていた。あの歴史書には、樹の里と湖の里が元々一つだったということも記されていたはずだ。

 それを考慮すれば、湖の精霊であるシンヤのマナと、樹の大精霊の相性がいいのは当然ともいえる。

 しかし。

 今や樹の里と湖の里は分離している。あの本の冒頭で、湖の大精霊は『永遠の時を二人で過ごすことで、愛を証明してみせる』と発言したのだ。

 精霊に寿命が存在しないというのなら、その永遠という言葉は比喩ではなく、本当の『永遠』を指すのだろう。現状を見れば、その発言は果たされていないことになるのだが――それは、神に愛を証明できなかったということだろうか。

 黙り込んだスズネを、シンヤの訝し気な顔が覗き込む。けれど、スズネを正気に戻したのは、不審そうなその顔でも、呆れたように「ちょっと?」と紡がれる声でもなかった。


「あら、スズネ様。マナの反応があったので来てみれば……図書館に居られたのでは?」


 澄み切った女性の声に、スズネが顔を上げる。声の主、リンは、手首で光る石に触れながら、僅かに首を傾げてみせた。


「――もしかして、私達の話を聞いていらした、とか?」


 半ば確信を持ったような言葉に、スズネは硬直する。リンは、涼し気な表情を保ったまま、真っ直ぐにスズネのことを見据えていた。

 まるで、何かを試すような眼差しだった。

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