第10話

「楓様、こちらへ」


楓はポチを見送った後、振り返る。

縁側で楓を呼んだのは良子だった。


「行って来なさい、楓」


笑顔のみのるに後押しされ、楓は頷く。

横目に無表情で立つ光希の姿が映った。


楓は急いで良子の下に向かう。何の用事だろうか。良子の顔色を伺ったが、無機質な微笑みに隠されて見えない。靴を脱ぎ捨て、楓は中に入る。すると、すぐに良子は歩き出した。


「……その、どこに行くんですか?」

「楓様の部屋にご案内させていただきます」


その言葉にハッとした。楓の家はもう孤児院には無いのだ。代わりにここが楓の家になる。


「……そうですか」


解放されたような気がして、楓の心は少しだけ軽くなった。だが、下手をすればまた前と何も変わらない生活が待っている。油断などしてはいけないのだ。


良子は静々と歩き、楓はその後を追う。前はドタバタと歩いていた良子だったが、歩き方さえも前とは違っていた。


「ここです」


良子はドアを押し開ける。音も立てずにドアは開いた。


「荷物はもう運んでありますよ」


良子はそう言って部屋に入り、ドアを後ろ手で締めた。


「……楓、ごめんなさい」


部屋にある物の物色をしようとしていた楓は絞り出すような良子の声に振り返る。


「良子さん?」


楓と同じくらいの背丈は楓よりも小さくなっていた。


「……最後に、言っておかなきゃいけないわ。私は天宮家に仕えているの。だからもう、前と同じ関係ではいられない。天宮家はそれほどに強大な一族よ。私があの孤児院にいたのは、あなたを守り監視する為だった。でもね、楓を見ている内にあなたを本当の娘にように思うようになったわ」


良子は楓の身体を引き寄せ、抱き締める。楓は目を見開いた。


「もう言えなくなっちゃうから……、楓、私はあなたを愛してる。それだけは忘れないで。楓には今まで以上に沢山の困難が降りかかるわ。それを止める事は私にはできない。でも、たとえ独りになっても私は楓の味方で居続けるわ」


良子の腕に力がこもった。


「……ありがとう、良子さん」


楓は微笑んだ。良子の纏う柔らかな空気を吸い込む。涙は出なくても、良子の気持ちは受け止めたつもりだった。


「ボクも心配だったんだ、良子さんがボクから離れて行くのが。……でも、そんな事ないって分かった。それに、愛してるって言われたのは初めてだよ」


良子はハッとして顔を上げる。目尻に涙が光っていた。


「……だから、その……、ボクも良子さんが大好きだよ」


初めて口にする大好きという言葉は、思っていたよりもずっと優しくて暖かかった。良子の瞳にキラリと光が走る。


「ありがとう、楓。……前とは同じようにはもう接する事は出来ないけど、ずっとあなたの事を想ってるわ」

「……うん」


楓の身体から良子の温もりが消えていく。

少し寂しい。

だが、それは本来楓が求めてはならない物。……少し寒いくらいが楓には丁度良いのだ。


「部屋は適当に整えて置いたわ。少なくとも今日、眠っていけるくらいには」

「あの、良子さん、学校に送られてきた物なんだけど、ボクの物じゃ無い物もあったんだけどそれって……?」


聞こうと思っていたあのダンボールの中身だ。楓には眩しすぎる新品の色々が入っていた。あれをくれたのは誰か、聞いておかなければならないだろう。


「それは、天宮家からのよ。あなたをボロボロの文房具で学校に行かせる訳にはいかないからって」


良子はニコリと笑う。


「……でも、なんでボクなのさ?ボクは『無能』だよ?」


良子の顔から笑顔が消えた。楓はピクリと身体を動かす。


「……それは誰にも知らされていないわ。表向きにはまだあなたは隠されている。他の本家も楓が本家の人間かどうかも判断つかない状態なの」

「どういうこと……?」


良子は指を伸ばし、楓の顔に掛かった髪を払った。


「あなたが何者かを知る術は誰にも無い……、そういうことよ」

「そう……」


楓は小さく頷いた。

自分自身、自分が何者なのか分かっていない。だが、何か面倒事に巻き込まれそうな予感がして、今の状態は楓にとって良い気がする。


「……あと、光希君とは、仲良くしてあげてね」


良子の口からその名前を聞くとは思わず、楓は顔をしかめてしまう。


「何であんな奴と仲良くなんて……」

「楓」


ボソッと呟いたつもりが、良子にはばっちり聞こえていたみたいだ。


「……光希君にも、色々あるのよ。でもね、護衛がいるっていうのも強ち間違いじゃないわ。霊能力者の多いあの学校で、いえ、それだけでなく天宮の名を持つ無能力者は狙われるの」

「でも、別に自分で自分の身は守れる」


幼い子供ものように楓は口を尖らせ、不満を露わにする。これは良子の前でしか出来ない事だ。


「それでも霊能力者に敵わないのは楓が一番よく知ってるでしょう?」


楓は俯く。良子の言葉は正論で、反論の余地が無い。


「……うん」


良子は不安そうな楓に向かって微笑んだ。ポンっと肩を叩く。


「大丈夫よ!楓なら!」

「うん!」


えへへっと楓は笑い、良子の励ましに応えた。そこで大事な事を思い出した。


「あーっ!『緋凰』置いてきたぁあ!またね、良子さんっ!」


慌てて部屋を飛び出し、楓は走り出した。


***


元気良く部屋を飛び出して行った楓の姿を眺め、良子は思う。


楓がいつか幸せになれる日は来るのだろうか。


……そうなれば良いけれど。


良子の顔には深い哀しみの色が滲んでいた。


***


キョロキョロしながら裏庭を探し彷徨う。


……一体どこだろう。


ここはどこ?私は誰?……そんな感じで道に迷った。この無駄に広すぎる屋敷でどの部屋も同じように見えてくる。


絶対人あんまり住んでないだろっ⁉︎


怒りのあまり叫び出したくなった。部屋を出てから人は見ていない。誰にも道を聞く事ができないまま、楓はひたすらウロウロする羽目になる。元はと言えば、『緋凰』を放置してきた楓が一番悪いのだが、今の楓にはこの屋敷の所為という事になっている。


無駄に広いのが悪いのだ。


さっきから同じ景色が見えている気がするのは気のせいだろうか。どれだけ歩いてもまた同じ場所に戻ってきてしまうように感じられる。木製のドアと襖が入り乱れ、訳がわからん。


「どこー⁉︎」


最早どこにも行けない悲しみに、目から涙が出てきそうだ。ここは本当にどこだ?


ぐるりと角を曲がり、今度はどうだ、と意気込んで廊下の様子を見る。……悲しいかな、また同じ景色だ。


「うぅ……」


不意に誰かの背中が目の前を横切った。咄嗟に楓は声を掛ける。


「すみませ……」


振り返ったその顔を見れば、楓の喉は言葉を発するのをやめた。今一番会いたくない相手、つまり相川光希がそこにいた。


「……何だ?」


無表情で光希は冷たい光を浮かべた瞳を楓に向ける。楓のどこかハイテンションだった気持ちが萎んだ。


光希は立ち止まった楓を一瞥し、歩き出してしまう。とりあえずこのままでは永遠の迷子コースだと思った楓は、何も考えずにその後ろ姿を追った。


楓よりも10センチ近く高い光希の背中にただ付いていく。


足音が響く。楓はそれを追う。景色は変わるが、どこか分からない。


光希の足が速くなる。楓の足も速くなる。


突然、光希の足が止まった。楓はその勢いのままその背中に激突する。


「ふぎゃ……⁉︎」


光希の無表情が苛立ちを浮かべ、楓を見下ろしていた。


「ついてくるな」


光希が踵を返し、再び楓はそれを追いかける。また光希が振り返った。


「ついてくるな」


光希は楓に背を向け、歩き出す。もちろん迷子の楓はそれを追う。光希は早足で楓を振り切ろうとしているが、楓が置いて行かれるワケがない。伊達に光希に模擬戦で勝った腕ではないのである。……もちろん、そういう問題ではない。


「だからついてくるなって言っているだろ⁉︎」


光希はとうとう痺れを切らしてそう言った。


「……いやぁ、でも……」

「何でついてくるんだよ?」


苛立ち満載で光希は楓に問いかける。楓は目を逸らした。仇敵にピンチを悟らせる訳にはいかない。


「……や、屋敷に虐められてるんだよ!」

「……は?」


何という名案。

これなら迷子だとは気づかれない!


内心自画自賛する楓の前で、固まっていた光希が何故か可哀想な物を見る目つきで楓を眺めた。


「……迷子なら迷子だと言え」

「なっ⁉︎なぜバレたっ⁉︎」

「バカでも分かるだろ……」


光希が微かに呆れたような顔をした。


「どこに行きたいんだ?」

「……さっきの裏庭」


怪訝そうに光希は眉をひそめる。


「どうして?」


何となく知られるのが嫌だったから、楓はボソッと答える。


「……『緋凰』を、置いてきちゃったんだ」

「え?」

「刀だよ、ボクの刀を裏庭に置いてきちゃったんだ」


不貞腐れた声が出た。


「そうか」


光希は短く返事をして歩き出してしまう。楓は再び光希を追いかける。


「えっと、どこに行くんだ?」


光希の隣に並び、問いかける。


「……裏庭だ。忘れ物、したんだろ」

「ん、あ、うん……」


普通に案内してくれるとは思わず、拍子抜けした。楓は無表情に戻ってしまった光希の横顔を盗み見る。分かってはいたが、とても整った顔だ。隣に並べる顔ではないと思うと、かなり居心地が悪かった。カッコいい分余計に。


「ここだ」


楓はまだ残されていた靴を履き、裏庭に降りる。何故か、光希も一緒に降りてきた。


「……どこだろう、『緋凰』」


相川みのるに与えられた楓の刀。術式を斬る能力が付与された霊剣だが、無能力者の楓にはその能力は引き出せず術式を弾くのでやっとだ。それでも、その能力があるのと無いのとでは大違い。一時期普通の刀を使っていたが、そもそも楓の動きについて来れなかったし、術式に触れる事さえ出来なかった。


「……これか?」


光希が茂みから立ち上がり、鞘に収まった刀を持ち上げた。どうやらポチと会話していた時に置いてきてしまった様だった。楓はハッとして光希の手から刀を奪うように受け取る。


「ありがとう……」


小さな声で礼を言い、楓はさっさと中に入ろうとする。その後ろで、静かに光希が呟いた。


「……俺は認めていないからな」


楓は振り返る。冷たい光を浮かべた瞳と目が合った。楓は表情を消し、光希を睨む。


「こっちだって願い下げだ。護衛なんてボクには必要ない。ボクはお前を認めたわけじゃない」

「それなら良かった。俺は護衛なんかやらない。それだけは変わらないからな」


冷えた空気が2人の間を流れる。お互い認める気はないというその事実が、確信と確証を持ってして認識された。


楓は今度こそ光希に背を向ける。

今度は光希は何も言わなかった。

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