神なき世界の異端姫

名鈴 真生

序章〜バケモノと呼ばれた少女〜



 ーーただ、強くなりたかった。


 認められる程の強さを、誰かを守る為に。








 ***


 青い空が広がっていた。

 曇りのないただ蒼いだけの空が。


 草原には元気な叫び声と明るい笑い声が絶える事なく響いている。


 青々とした草が生い茂る丘にぽつんと建っているのは、小さな孤児院だ。草原に響いているのはそこの孤児院の子供たちの声だった。


「皆さん、時間ですよ」


 女の声が聞こえ、ぱたりと子供たちの音がしなくなる。


 黒い髪を一つに結わえ、赤い縁の眼鏡をかけた幼い少女は、その声の主である『保母さん』をその大きな瞳を精一杯見開いて見つめた。澄んだ黒い瞳は、真っ直ぐに『保母さん』の顔を映している。そして、それは他の子供たちも同じだった。


 幼い子供たちのきらきらとした視線を受けながら、『保母さん』は微笑んだ。


「今日は、7歳になった皆さんに霊力を測ってもらいます。ここにいる皆さんは、霊能力という世界を変える力、とても希少な力を持っています。その力を伸ばし、強くなるのが皆さんの務めです。その力を、今日は測ります」


 子供たちはワクワクを抑えきれずに、今にも叫び出しそうな顔をしている。


 霊能力を持つ霊能力者は、今の壊れた世界で唯一の救いをもたらす存在だ。7年前に『崩壊』し、世のことわりが狂った世界を操る唯一の方法、力。それが魔術とも呼ばれる霊能力という力だった。


 その力を扱う才能があると言われた子供たちが喜び、ワクワクするのは当然の事なのだ。


 そして、彼女には少し大きめの、赤い縁のある眼鏡をかけた少女もまた、そんな純粋な子供の一人だった。少女は期待に目を輝かせ、『保母さん』の言葉を待つ。


 子供たちの微笑ましい様子に思わず笑みをこぼした『保母さん』は、口を開く。


「それでは、列になって、この機械の前に立ってくださいね」


 はーい、と全員が大きな声で返事をした。普段はやんちゃで『保母さん』の言う事を聞かないような子供までも一緒に。それだけ、この測定が子供たちにとって大きな意味を持っていると言う事だった。


 少女はポーッとして、しばらくその場に立っているままだったが、我に帰ると慌てて列に加わった。


 いつになったら自分の番になるのだろうか。


 急く気持ちを抑えきれなくて、少女は背伸びをした。ぴょんぴょんしてみるが、前に並んでいる他の子供たちも同じ事をしていて見ることが出来ない。少女は少し不貞腐れて、はあっと息を吐いた。


「「わぁああ!」」


 前の方から歓声が上がる。興奮した子供たちの声は草の葉を揺らした。


 少女はちらりと声の方に目をやる。何か、キラキラした何かが見えたような気がした。


 自分もあんな綺麗な光が出せるのだと思うと、無性に嬉しくなってくる。少女は湧き上がってくる興奮に頰を紅潮させた。


 足踏みをして待っていると、少しずつ前の子供が少なくなってきて、とうとう少女の目の前に機械の箱が姿を現した。


 金属の箱はテーブルの上に乗っていて、そのパネルに手を触れて霊力を測るようになっている。機械の前に立った少女に、周囲の視線が集中していく。


 ごくり。少女は自分が息を呑む音を聞いた。


 そろそろと、パネルに小さな手を伸ばす。これに触れれば、少女が持つ霊力の量がすぐにわかる。


 そして、この孤児院は霊力を持つ子供だけを集めた特殊な孤児院。霊力を持たない子供など、ここには存在しない。


 ……その筈だった。


 少女の触れた機械は何の反応も示さない。数値はゼロのまま、変わらない。しばらく待ってもそれは同じだった。


 何も起きない。


 ……何も、変わらない。


 少女の表情は焦りに包まれた。指先が冷たくなっていく。心臓の音がやけにうるさかった。


 少女は恐る恐る顔を上げた。『保母さん』がどんな顔をしているのか、気になって。


 少女は目を見開いた。


『保母さん』の瞳は感情の無い恐ろしく冷たい光を浮かべて少女をただ見下ろしていた。激しい恐怖の感情が走り、少女の身体を震わせる。


 力が抜けていく。


 黒い淀んだ感情、絶望に染まった瞳を少女は地面に落とす。ぺたり、と地面に足を着いた。少女の心は今まで期待していた物の全てに裏切られ、押し潰されそうになっていた。


 周りの視線が痛い。


「ねぇねぇ、どうしてあの子、力が無いの?」

天宮あまみやなんだろ?」

「天宮って、すごい強い一族なんだよね?」

「どうして無能力者なの?」

「……『無能』だ」


『無能』だと囁く声が聞こえる。

 向けられる視線は同情と蔑み、そしてある種の悦び。


 少女の心の傷は幼い子供たちの純粋な言葉によって抉られていく。


 少女は唇を噛んだ。血の味が口に広がった。だが、その痛みは救いにはならない。柔らかい地面に爪が食い込む。


 見上げた空の青さは、虚しかった。


「……楓ちゃん、力が無くても、私たちはずっと友達だから。……だから、泣かないで」


 優しい声に、楓と呼ばれたその少女は顔を上げた。少女の親友が優しくそこで微笑んでいた。


「……うん」





 ***


 ーーそして月日は流れた。


 かつて少女に泣かないでと言った少女の親友もまた、少女から離れていった。

 この孤児院で唯一、『無能』の烙印を押された少女は、独りぼっちになったのだ。


 誰からも虐げられ、見下されるだけの毎日。誰も少女に手は差し伸べなかった。


 誰も来なかった。


 ……そう、誰も。


 この世界では、力無き者は冷遇され、虐げられる。それが覆す事のできない今の世界の理だ。


 ーーならば、強くなれば。


 何かを救う力があれば、誰からも虐げられる事の無い強さがあれば……。


 だから、少女は強くなる事を胸に誓った。どれだけ苦しくても、絶対に諦めないと心に刻んだ。


 そして、そう誓った日から少女は強くなる為に全てのできる事をした。身体がボロボロになるまで刀を振って、限界まで死力を尽くして。


 突然やって来た『武術の先生』は、少女にあらゆる事を教えた。


 救う為の力を手に入れる為に、化け物を殺す方法も、人すらも殺す方法、それら全てを。


 だが、それは少女を更に孤立させた。


 幸か不幸か、少女には強くなる才能があったのだ。高い身体能力と卓越した武芸の才能を持ち合わせていた。


 故に、少女の周囲はそれを恐れた。

 やはり誰も、少女の隣に立とうとはしなかった。


 そんなある日、それは起こった。


 化け物が孤児院を襲ったのだ。


 殆どの人間は五星という結界に守られた地域に住んでいたが、この孤児院は違う。化け物を遠ざける結界の外に建っていた。


 霊力を使う事を学び始めて数年の少年や少女達に、大きな化け物を倒すのは荷が重すぎる。それを期待するのは酷というものだ。『保母さん』達は幼い子供たちを避難させるのに手一杯で、化け物に手を回す事が出来ない。


 白い化け物は吼えた。


 地面と空気を揺さぶる咆哮が響き渡る。それは少年や少女たちの恐怖を掻き立てるには十分だった。


「キャアアアアアアアッ!」


 絶叫が上がった。

 そこからはもう阿鼻叫喚の混乱が始まった。


 子供たちは泣き叫んで逃げ惑う。立ち竦んで動けない子供も、震えながら術を使おうとした子供もいた。だが、彼らには何もできなかった。


 ただ一人、赤い縁の眼鏡をした少女を除いて。


 過去に大きすぎた眼鏡はもうぶかぶかでは無い。少女の目は鋭い光を浮かべて化け物を捉えている。


 少女は凛とした立ち姿で化け物の前に立った。鞘から刀を手馴れた動作で抜き放つ。


 コレを殺せば、仲間になれるだろうか。


 少女は刀を真っ直ぐに構え、地面を蹴った。


 ーー彼女を虐げた者達を守る為に。


 微かに赤みがかった刀身の刀が、日差しを反射してギラリと光る。

 少女は人間としてあり得ない速度で走り、白い化け物に接近する。


「ぐるがぁああああっ!」


 化け物は咆哮を上げ、敵と認識した少女に向かって腕を振り下ろす。

 それを少女は顔色一つ変えずに身体を捻り、その攻撃を避けてみせた。


 どガッ。


 地面が抉れる。

 少女が一瞬前までいた場所だった。


「ふっ!」


 鋭く息を吐いて高く跳躍する。少女の身体が一瞬、誰の目からも見えなくなった。


 刀が閃く。


 人間の視力では捉えられない速度の剣撃を少女は放った。


 化け物は何が起きたか分からないという表情を浮かべ、肉塊に変わる。


 すとん、と少女は無表情で地面に軽く着地した。化け物の血が付いた刀を一閃して血を落とす。


 それから、少女は笑顔で振り返った。


 誰も傷つかずに守り切る事ができたのだ。確かに誇ってもいい功績だ。

 きっと、少女が動かなければ多くが殺されていただろう。それもまた事実であり、本当の事だ。


 そうなのだ。


「これでだいじょ……」


 しかし、少女の言葉は喉に貼り付いて、出てこなくなった。少女の笑顔は脆く崩れ去る。代わりに黒々とした絶望が顔を出した。長い間埋まる事の無い空虚はぽっかりと少女の心に穴を開けている。


 少女が守った者たちから向けられたのは感謝では無い。


 彼等の目は化け物を見た時と同じ色をしていた。


 少女に向けられたのは、恐怖。


 あの化け物へ向けたのと同じ感情だった。










 ーーそして彼等は少女をこう呼んだ。


 あの怪物と同じ、人ではない『バケモノ』、と。

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