七章 不条理の条理 1—3


 今、ようやく、僕は、下北さんや香名さんやいろんな人が、『早く村から出ていけ』と言った意味が、心から理解できた。


 たしかに、この村は危険だ。

 しかし、それは村人が危険なんじゃなく、むしろ、彼らは被害者だったのだ。


(ゆるせないよ。こんな……みんな素朴で、親切で、いい人たちなのに。なんの理由もなく、大勢が死ぬような研究の実験台にしようだなんて。そんなこと、ゆるされていいわけない)


 僕は怒りにふるえた。

 無関係の僕が怒るくらいだから、八頭さんは怒り心頭に発したろう。

 反論する八頭さんの声は、いくらか怒気をふくんでいた。


「こっちこそ、その脅しは聞きあきたが。何も隠しちょらん」


 そう言って反論する。


「げんに水魚や茜の体からは、ES細胞とかいうもんが検出されちょうでしょう。それが御子だった者と、いま御子の者の、なによりの証拠だがね」


「茜さんのES細胞は近年、検出量が、大幅に低下しています。ほぼゼロと言っていい。ES細胞の生成が停止した、ないし、生成能力が枯渇したと見るべきだ」


「あんたやつが、さんざん、ムリばっかりさせえけんだ。かわいそうに。あんな姿になって……」


「たしかに、あれはこちらの判断ミスでした。あんなに急激に分裂活動が低下するとは予測していなかったので。しかし、おかげで、御子が他に移ったあとの個体には、生成能力の限界があるとわかりました。今後の研究に、おおいに役立つ」


 八頭さんは憤然としたような呼気を吐いた。だが、反駁はんばくはしない。


「……とにかく、だまって見ちょらっしゃい」


 低い押し殺した声に、かえって迫力がある。


「では、期待していますよ」


 男たちは立ちあがり、退室するようすだ。やがて、足音が遠ざかっていく。


「猛。たいへんなこと聞いちゃったね」

「ああ……」


 ダメだ。

 猛は思案に没頭してしまった。深刻な顔で考えこんでいる。


「兄ちゃん。このまま、ずっと、ここにいる気?」

「ああ、いや、行こう」


 まだ頭のなかでは考え中のようだが、とりあえず、猛は歩きだした。

 ほどなく、僕らは別棟についた。


「蘭さんが出てくところを見張ってるの?」


 水魚さんがいっしょに出てきたら、どうする気なんだろう。

 と思ったら、猛は首をふった。

 別棟の裏手のほうに行って、僕に手招きする。


「下、のぞいてみろよ」

「のぞいてったって、暗いし、それに格子が床下かこっちゃって、見にくいなあ」

「その格子だよ。なんのためについてるんだと思う?」

「さあ。猫よけ……いや、ネズミよけじゃないの?」


 猛はかわいそうなものを見る目で、僕を見た。

 ああ……そんな目しないでよ。傷つく。


「なかに井戸みたいなもの、見えるだろ?」


 言われて目をこらすと、ほんとだ。井戸みたいな石組みがある。

 これって、あの神社の格子戸のなかにあったのとそっくりだ。


「あッ、そうか。夜祭の夜、水魚さんは井戸から出てきたっけ」


 僕らが、あずささんの遺体を見つけた直後のことだ。


「もしかして、ここって神社につながる隠し通路なの?」

「たぶんな」


 つまり、神社がわの格子戸は、床下のぬけ穴を隠すためだけじゃなく、神社と八頭家が地下で通じていることをも隠すためにあるのだ。


「だから、人が入りこめないように、こんな柵なんかしてるんだ。兄ちゃん、よく見つけたね」

「毎日、侵入経路さがして、しらべたからな」


 ああ、そういえば、出かけてばっかりだったもんね。

 ちゃんと、探偵してたんだ。


「でも、このままじゃ、床下入れないよ」


 猛はニカッと笑って、ブルゾンの前を、ぴらっとめくってみせた。

 ズボンのベルトに、大小さげたサムライみたいに、ノコギリが二本、ささってる。刃渡り十二センチほどの、小ぶりのやつが。


「どうしたの? それ」

「愛莉にたのんで、ホームセンターによってもらった」

「さすが、兄ちゃん、わが兄」

「まあな。じゃあ、働こうか」


 ノコギリを一本わたされて、僕らは人間が入りこめるスペースを作りにかかった。

 肩をならべて、格子の木を切っていくんだが、一本切るのにけっこう時間がかかる。

 僕、力仕事、むいてないなあ。


 猛は頭脳労働だけじゃなく、肉体労働においても優秀だ。

 僕が一本、切るあいだに二、三本はやっつけてくれる。


「非力だなあ。かーくん」


 そんな、感慨こめて言わないでほしい……。


「ごめん……」

「京都に帰ったら、おまえと蘭、特訓だ」


 特訓ってなんだろう。

 ウサギとび百回とかだったら、やだな。


 そして、ようやく、人ひとりが入りこめるスキマができた。

 いよいよ、潜入だ。

 僕らは昼でも薄暗い、床下へ入りこんでいった。

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