七章 不条理の条理4—4


「蘭は私たちにとっても大事な人だ。千年、待った。たとえ肉体的には不老不死でも、御子の心は疲弊していた。幾度も不死の力をもとめてやってくる襲撃者から逃れ、そのたびに村人が傷つけられることに怒り、悲しむ。そして、平穏なときですら、くりかえされる愛する人との死別。

 御子の肉体はしだいに幼児のように退行していった。それすら保てなくなると、消えゆく直前、御子は言い残した。

『今度、生まれてくるときは、すべての人に愛される人になりたい。そのとき、私は真に完全な人となる』と。

 迫害されるのは他者から愛されないからだと、御子は感じたのだろう。

 お宿りが起こったのはそれからだ。御子は村人のなかを転々としながら、待ち続けた。自我もなく眠り続け、ただ、御子を宿したことのある者のみが、かすかに御子の意思を感じることができる。御子は泣いている。私が宿していたのは五十年ほどだが、その間、ずっと泣いていた。あの人はまだ来ないのかと。誰もがひとめで愛さずにはいられない、あの人は……と。

 御子は雪絵のことは、かなり気に入っていたから……たぶん、御子の最初の妃に少し似ているからだろうが。だから、たとえ仮の宿りとはいえ、雪絵のなかなら、今よりは泣かずにいられただろう。私がそれをさまたげた。もう私の一存で、御子を苦しめるわけにはいかない」


 水魚さんは詩でも朗読するように、たんたんと語った。

 そののち、蘭さんのほうへ手をのばす。


「蘭、ひとめ見てわかった。君こそ、その人だと。御子も喜んでるよ。君と一体になれることを。君のなかで眠りにつきたいと、彼は言った。来てくれるよね? 蘭。君が来てくれるなら、いいだろう。東堂兄弟のことは信用して帰してあげる。おいで。蘭」


 ああ……けっきょく、もとのもくあみか。

 ふりだしに戻ってしまった。


 蘭さんは僕を見、猛を見、水魚さんを見て歩きだした。


 ダメだよ。蘭さん。

 人間じゃなくなるんだよ。

 不老不死なんて、最初は楽しいかもしれないけど、絶対、そのうち飽きるって。


 猛は蘭さんの手をとって、ひきとめる。その手に一枚の写真を渡す。

 まだ持ってたのか。

 そうか。今日の一枚めだな。


「水魚に渡して」


 蘭さんは怪訝けげんな顔で受けとった。

 そのまま歩いてきて、僕の目の前に立つ。


 水魚さんは僕をかるくつきとばし(お役ゴメン!)、両腕で蘭さんを抱きしめた。

 ゆっくりと、水魚さんの頬を涙がつたい落ちる。

 それは千年の時を待ち続けた、御子自身の涙に見えた。


「さあ、家族になろう。私が死んでも、研究所の機材を使えば、私のクローンを造ることができる。誓って、未来永劫、君を愛する。もう君を一人にはさせないよ」


 蘭さんは黙って、水魚さんの抱擁をうけていた。

 もしかして、ほんとに、このまま行っちゃうつもりなのかな。蘭さん。

 水魚さんの弟になりたいらしいし、それが蘭さんの望みなのか?


 僕が不安になったころ、蘭さんは猛から受けとった写真を、水魚さんにさしだした。

 それを見た水魚さんは、急におしだまった。しげしげと写真に見入り、ふところから別の写真をだして見くらべる。

 いったい、そこに何が写ってたんだろう。

 水魚さんのついたため息は、深く切なく、耳にひびいた。


「砂漠で道を失い渇ききっている人に、オアシスから来た旅人が、水はくれずにオアシスの場所を教える。今まで耐えたのだから、もう少し我慢できるだろうと。それは死ねと言ってるに等しいと思うのだが……。まあ、いい。千年、待ったのだから、あと数年、待とう。行っていいよ。蘭」


 水魚さんはそう言って、蘭さんの頭から冠をはずした。


「でも、忘れないで。私たちはいつも、いつまでも、君の帰りを待っている。君が困ったときには、必ず、ここへ帰ってきて。君の魂のふるさとは、この地だ」


 蘭さんは黙って、指輪を指から引きぬいた。

 あの蛇の指輪。

 卵をかかえたヘビを、水魚さんの手ににぎらせる。いろいろ、かかえこんだ、オロチの末裔まつえいの水魚さんには、ぴったりかもね。


 二人は、二人にだけ聞こえる特殊な波長で会話してでもいるかのように、沈黙したまま手をにぎりあってる。


 けど……僕は気が気じゃない。

 やっぱり離れたくないとか言って、もう一回、水魚さんの気が変わったらどうするんだ。

 僕は蘭さんの手をとって、猛のとこまで全速力で走った。


「水魚……」


 ふりかえる蘭さんに、水魚さんは手をふる。


「御子の衣装は置いといて。今夜は別の代役を立てるから」


 僕らはエレベーターを降下し、もとの屋敷側から外へ出ていった。

 もちろん、客間に寄って、蘭さんが平服に着がえてからだ。


「なんだったの? さっきの写真」


 僕がたずねると、猛は笑った。


「おれたちといるほうが、蘭はいい顔するってことだよ」


 うーん。わかったような、わからないような。

 でも、よかった。

 蘭さんが帰ってきて。


「よーし。アワビも残ってるし、アイちゃんがブリ買ってきてくれたし、豪勢な夕食、作っちゃうよ。ぱあっと、蘭さんのお帰り記念にね」

「僕、かーくんの焼いてくれる、ダシ巻きが食べたいな」

「そんなの、ちょろい。ちょろい」

「おれは肉がいいよ」と、猛。

「いいよ。いいよ。今日は腕ふるっちゃうもんね」


 僕らは蘭さんをまんなかにして歩いていった。


 ずいぶん長い時間、地下にいたんだな。

 日は傾いて、西日がまぶしいほど金色に輝いていた。

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