七章 不条理の条理 4—1
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もし、このとき、僕が水魚さんにつかまれてなければ、驚愕のあまり卒倒しちゃってたろう。
なんてことだ。
じゃあ、僕はじいちゃんと同じ人を好きになってたのか。
自分より、八十歳も年上の人を……?
現れたのは、香名さんだ。
香名さんのうしろには、龍吾や村の青年たちが立っていた。大西くん、安藤くん、池野くん。
彼らは神社側の井戸からやってきたようだ。
「猛さん。やっぱり、あなたは威さんの孫です。威さんも聡明な人だったけど、あなたはそれ以上です。おっしゃるとおり、水魚はわたしの実の兄です。手紙もたしかに、わたしが渡してくれるよう、兄に頼みました」
そうか。あの手紙、やっぱり、香名さんが……。
「わたしのほんとの名は雪絵。年をごまかすために死んだことにして、別の名前で戸籍登録する——この村ではよくあることです。ここにいる龍吾さんも、将志さんも、そう。龍吾さんは龍勝さんの息子ということになってるけど、ほんとは龍吾さんのほうが、父親なんです」
ええ……もう常識が……崩壊しそう。
「菊乃は父が御子でなくなったあとに生まれたので、兄妹のなかで一人だけ、御子の体質を受け継がなかったんです。だからこそ、よその土地に嫁ぐこともできたんですけど」
「よさないか。そんなこと——」
水魚さんがさえぎる。
でも、香名さん(雪絵さんと言うべきか……)はやめなかった。
「なぜ? 兄さんだって一度は威さんを信じて、わたしを託した。この人たちのことも信じてみましょうよ。あの威さんの孫なんだから。
それに、そのことをのぞいても、わたしにはわかります。猛さんも、薫さんも、ほんとにいい子」
子どもあつかいか……。
「この人たちにはすべてを打ち明けても大丈夫。わたしが富永さんを殺してしまったことも、猛さんは黙ってくれているんです」
……え? ええッ——う、ウソでしょう?
猛が、ほっと息をつく。
「まだ、おれたちが富永さんの死を知らないうちから、あなたは彼のことを過去形で話していた。行方不明の恋人を心配する女は、普通、あんなに簡単に過去の人にはできない。富永さんが死んでることを知ってるからだろうな、と」
うーん、言われてみれば、そうだったような……。
「富永さんが転勤したって、下北さんから言われたっていうのも、あなたのついたウソだろう。おれたちにこの件を深く調べられたくなかったから。それで念写したら(あ、念写って、言っちゃった)、あなたが富永さんと同乗した車内で、変な方向にハンドル切るとこが写った」
そんなもの、いつのまに……。
僕は知らなかったが、その写真は、すでに香名さんに渡され、お風呂の薪といっしょに燃やされたんだそうだ(と後で知った)。
「心中するつもりだったんです。鷹斗さんが、村の人たちを危険にさらすつもりだと知ったから。鷹斗さんは、わたしが水魚にいさんの妹だとは知らなかった。わたしが鷹斗さんの思っている以上に、事情に通じていると知らなかった。いっしょに逃げようと言われて、事故に見せかけて死ぬしかないと思ったんです。それで……山道で崖下につっこんで……。
でも、数時間して、意識が戻ったとき、わたしはもう回復していました。自分の再生能力がそこまでだとは思ってなかったので、愕然としました。結果的に鷹斗さんを一人で逝かせてしまった。悪い女です。わたしは。でも、村の秘密を……御子を守るのは、わたしたちの使命だから」
香名さん……つらかったろうな。
好きな人を自分で殺さなければならなかったなんて。
村人全員をすてて、自分たちだけアメリカへ行く選択だってあった。
でも、香名さんはそんなことのできる人じゃなかったんだ。二百人の犠牲の上になりたつ幸福を、幸福とは思えない人なんだ。
僕はちょっと、ほっとした。
やっぱり、香名さんは僕が思ったとおりの人だ。
「香名さんは悪くないよ。ねえ、猛?」
僕が援護をもとめると、猛は語った。
「たとえば、未来のわかる人が、第二次大戦前夜にヒトラーを暗殺したとしても、それは罪ではない。おれは、そう思うよ」
そうだ。そうだよね。兄ちゃん、うまいぞ。
でも、香名さんはさみしそうに笑った。
きっと、言われなくても、香名さんも頭ではわかってるんだ。けど、愛する人を死なせてしまった悲しみは去らない。
「わたしがいけないんです。わたし、今でも、威さんのことを忘れた日は一日もありません。鷹斗さんはなんとなく、威さんを思いださせる人で……」
そういえば、ちょっと猛に似てたっけ。
「鷹斗さんも気づいていたんでしょうね。わたしが心の底で別の人を思ってるって。鷹斗さんはそれが水魚にいさんだと勘違いしたみたい。それで、わたしを村からつれだそうと考えたんだと思います」
「じいさんと別れたのは、やっぱり、その年をとらない体質のせい?」と、猛。
「そう言ってもいいでしょう。御子の二世には、たまにあることなんですが、わたし、子どもを授かれないんですね。威さんはわたしがいてくれれば、それでいいと言ってくれたけど、あの人が家族を……子どもをほしがってることはわかってたから……。こんなわたしが一生、この人を縛るのはよくないことだなと思って、わたしのほうから逃げだしたんです。ほんとは、ずっと、いっしょにいたかった。
でも、たずねてきたあなたたちを見て、自分が正しいことをしたのだと確信しました。あなたたちと過ごせて、あの人は幸せだったでしょう。笑顔のたえない、あたたかな家庭が目に浮かびます」
僕は涙がこぼれてきた。
家族っていいですねと、香名さんが言ったとき、そこにはこれだけの思いがこめられていたのだ。
「じいさんも一生、あなたのことを忘れてなかったよ」
「それだけで、嬉しい……」
微笑む香名さんの瞳から涙がしたたりおちる。
じいちゃんが忘れられないはずだよ。
彼女の背負ってる運命は重い。
でも、それに負けないよう、精一杯、がんばってる。
その姿は可憐だけど、芯の強い野の花のよう。
けなげな姿に胸を打たれた。
でも、香名さんは僕より猛のことが好きなんだ。
なんたって、じいちゃんソックリだし。名前の読みも同じだし。
もしかして、じいちゃん、わざと自分と同じ名前を孫につけたのか?
ぐすん。また失恋だ!
「雪絵さんもこう言ってるし、もう認めてくれよ。水魚さん、あんたが隠したって、おれは御子が誰なのか知ってるよ」
猛にばっかり、いいとこ見せられないぞ。今さらだけど、ちょっとは僕もできるところをアピールしないと。
「安藤くんだよね?」
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