奇跡
第80話 警察が来た
ブルルルルル……。
テーブルの上のスマートフォンが震えた。
「……。」
男はそれを手に取った。
画面には、LINEのメッセージ受信を示すプッシュ通知ウィンドウ。それをタップすると、こんな文字が表示された。
―― 大地君、助けて。
サクラ……?
スマホを右手に持ったまま、九門大地は、しばし固まった。
九門はこの1年、あらゆる電話、メール、LINE、チャットツールから目を背け続けてきた。誰から何が送られて来ようとスルーし続けた。
ただひとりの女性を除いて。
サクラとだけは毎日メッセージを交換し続けた。「おはよう」と「おやすみ」の毎日のLINE。この8文字だけが、九門のアウトプットのすべてだった。
かつては自身のサイトから何千万人ものユーザーにストーリーと情報を発信し続けていた男が、1日わずか8文字のアウトプットで1年間を過ごしてきた。同様にサクラから九門へのメッセージも、この1年間8文字だけだった。
そのサクラから、突如「おはよう」と「おやすみ」以外のメッセージが送られてきた。
九門は返信した。
―― どうした?
サクラからメッセージが返ってきた。
―― いまどこにいるか、教えて。
「………。」
心のどこかで待っていた。
ひとり部屋にこもり、「俺のことは放っておいてくれ」と思いながら毎日を過ごしてきた。が、何日かに1回、こんな風にも思っていた。
人に会いたい、と。
会話がしたい、と。
帰って来いと言われたい、と。
そう思う頻度は、日を追うごとに増していた。何度もスマホを手に取った。だが何もできなかった。自分から動けない。動くことができない。九門の精神はもはや臨界点。あと少しで「もういいや」とすべてを投げ出しそうになっていた。
そして1年、
「もういいや」の寸前にまで来ているいま、サクラからメッセージが届いた。
「助けて」の内容が何なのかは分からない。
だが、理由は聞かず、九門は返信した。
自分がいまいる場所を、サクラに伝えた。
ブルルルルル……。
再びスマホが震えた。
「ありがとう」という、返信だった。
「ふぅぅーーー」っと大きく息を吐き、九門は、スマホをクッションの上にポイっと放り投げた。そして、布団に寝転び、ボーっと天井を眺めた。目を閉じると、急にいろんな人の顔が浮かんできた。
父さん、母さん、お義父さん、お義母さん、店長、奥さん、編集長、ケンさん、熊田さん、合田さん、佐藤さん、部長……。これといって特別な存在でもなかった元・部長や、滑川さん、あのお調子者の新規加入軍団の顔すらも。
なぜか、涙が出てきた。
なんで俺はいまこんなところにいるんだ。
俺はなにをやっているんだ。
俺は、なんなんだ。
涙をぬぐい、九門は再び目を瞑った。
暑い夏の午後、無機質なエアコンの風の音が、部屋に響いていた。
ピンポーーーーン。
「……!!?」
九門は目を開けた。
どうやら眠っていたらしい。窓からは夕暮れの陽が差し込まれている。時計を見ると、さきほどのLINEから3時間半ほどが経過していた。
「サクラ……」
思わず声が出た。跳び起きた。
ボサボサの髪の毛も直さず、パジャマにしか見えないスウェットから着替えもせず、九門は玄関に向かった。
ガチャッ。
モニタも覗かず玄関を開けた。
サクラではなかった。
そこにいたのは、男性2人、女性1人、計3人の見知らぬ大人。スーツ姿の、いかにもちゃんとした人という雰囲気の3人の大人。何も名乗られていないが、九門は思った。
警察…?
「あ、あの……」
3人のうちのひとりが、スーツの内ポケットに手を入れた。そして、九門が思った通り、警察手帳を出した。
「鬼面ライターさんですね?」
え?
なぜ分かったのか。
というか、なぜ警察が?
警察の厄介になるようなことをした覚えはない。
なにしろ、この1年間なにもしていないのだ。
かといって、行方不明というわけでもないはず。
8文字の生存確認は毎日送り続けてきた。
なぜ、警察が?
「あの……」
また同じ単語が出た。
女性警察官は、少しアタマを下げ、こう言った。
「鬼面ライターさん、あなたのチカラを貸してください」
「……?」
なにがなんだか全然分からない。
チカラを貸せ? なにが?
続けて男性警察官が、九門に告げた。
「キミのチカラが必要なんだ。もう望みはキミしかいないんだ」
「……。」
全く意味が分からない。
なにが必要なのか、なにがどう望みなのか。
そして、女性警察官がドアの外に向かって声をかけた。
「大丈夫。元気そうよ」
「……?」
なんだ?
まだ誰かいるのか?
玄関のカゲから、顔を出したのは、サクラだった。
「サクラ……」
「大地君……」
あまりも急な、そして意味不明な展開だったため、この1~2分の間、九門のアタマからサクラのことはスッポリと抜けていた。
そうだった、そもそもサクラから連絡があったんだった。
サクラが来たと思ったら、警察が来て。
でも、サクラもやっぱりいて。
いや、やっぱりなにがなんだか、全然分からない。
「大地君、助けて……」
サクラが口にしたのは、LINEメッセージと同じ言葉だった。
なんなんだ、いったい?
長い夜の始まりだった。
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