第13話 店長と話した

 ガラガラガラ……。


 蕎麦屋の戸を引く。


 もう日付が変わっている。とっくに閉店時間は過ぎている。


 普段九門はこういうとき、閉店後に店に行くことを予め店長に告げるのだが、今日は違った。店長に何もいわず、店を訪れた。


 だが、店の入口は空いていた。


 店長はカウンター席に座っていた。ノートPCを開いている。そして手元には一杯の生ビール。


 店長は九門の入店を確認すると、ニコリと笑った。

「来たな、有名人」


「店長……」

 その笑顔を見て、九門のソワソワ感が少し納まった。


 ギギーー。

 店長は自分の隣の椅子を引いた。

「来ると思ったよ。ナマでいいか」


 店長はカラのジョッキを持って、ビアサーバーの方に歩いて行った。九門はようやく落ち着き、店長が座っていた椅子の隣に座った。


 ゴトッ。

 「ほらよ」と、店長が生ビールを置き、九門の隣に座った。


「夏木修司が一発つぶやいたらコレか。恐ろしいもんだな、SNS」


 ゴクッ。九門は生ビールを一口飲んだ。

「いや、俺も何が何だか……」


「まあ、良かったじゃんか。たくさん読んでもらえて」

「でも、いきなりこうなって、なんか怖いっていうか……」


 また、九門の胸の鼓動が早くなってきた。いま起きていることを改めて話し、再認識したせいで、あのソワソワ感がよみがえってきたのだ。


 店長はニヤリと笑った。

「なに言ってんだよ、何万部も出てる雑誌の編集者のクセに」


「あ……」


 胸の鼓動が緩やかになった。


 そうだった。自分は普段何万もの読者を相手に雑誌を作っているじゃないか。

さらにいえば、雑誌は読者からお金をもらっている。責任はさらに重い。


 店長はまた笑った。

「いつももっと大変な仕事してんだろ。このくらいでオドオドすんじゃねえよ」


「そうか……」

 ゴクゴクゴク。今度は三口くらい飲んだ。ジョッキを置き、店長のノートPCの画面を指さした。


「ほら、今日はコメントもたくさんついてんだ。すげえ嬉しいよ」


「……。」


「あああぁぁぁーーーー」

 九門はひとつ、伸びをした。


「なんか落ち着いたら腹減ってきちゃった。今日久々に編集長に怒られてさ。こんなときは鴨汁かな」


 店長は、また笑った。

「へい、毎度」


 カウンター席を立ち、ノートPCを奥の棚に持っていった。そして厨房に入り、いつもの紺色のエプロンを腰に巻いた。


 九門は蕎麦を茹でる店長の背中を見ながら思った。

「今日はさらに背中がカッコいいな」


 店長が振り向いた。

「九門の気持ち、ちょっと分かるよ。俺もさ、自分の店のレビューが初めて食べログに書かれたとき、なんか謎にソワソワしたからな。で、ヘンな汗が出てさ」


「あー、そうそう。一緒、一緒。俺的に言うとさ、ラジオ番組でさ……」

 

 九門は饒舌になった。さっきまでのヘンなソワソワ感が吹き飛んでいた。

「レビューとかイイコト書かれると嬉しいよね」


「まあ、悪い気はしねえな」

「俺のやつのコメントもさ、みんなイイコト書いてくれてさ」


「そうか、良かったな」


 店長の返事はちょびっと遅かった。一瞬の間があっての返事だった。九門はその間を特に気にはしなかった。


 店の奥の棚、開かれたノートPCの画面には「異世界バスケ」に対するコメントが表示されている。その数は500を超えているが、九門は10件ほど読んだ後、ほとんど目を通していない。


 そこに書き込まれているこんなコメントにも気づいていなかった。


「ゴメン、つまんねえ」

「期待外れ、乙」

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