第23話 ブザーが鳴って2

 ブザーが鳴って、どうぞと言っても誰もなかなか入ってこないのでおかしいと思ったら、鳴り方もおかしな具合になっていた。ブザーはたびたび故障するので、また修理しなくちゃと舌打ちをしながら立ち上がろうとした瞬間に目を覚ました。おかしな音だと思ったのはブザーではなかった。全然ブザーには聞こえない音だった。ぽこぽこ、ぽこぽこという音がしていた。


 何だろうと耳を澄ましていたら、それは鳥の鳴き声だった。およそ鳥の鳴き声には聞こえない打楽器のような音なので、しばらくは確信が持てなかった。でも間違いない。目の前の楡の木の葉陰で枝から枝に飛び移っている、あの小さな鳥の鳴き声だ。背中は鮮やかな黄緑色でお腹が明るいオレンジというトロピカルな色彩なので、飼われていた鳥が逃げ出しでもしたのだろうかと眺めているうちに飛んでいってしまった。


 そのまま仰向けになって、鳥のいなくなった木の枝を眺めていた。風がそよいで細い枝が揺れ、おひさまの光が若葉の明るい緑を際立たせた。おれは土の上に横たわっていて、木々を見上げていた。木漏れ日が差し込んで目に優しく、葉ずれの音が心地よかった。緑でできたでっかいテントみたいだなとおれは考えて、我ながらうまい喩えを思いついたと微笑んだ。


 その瞬間に首から上が爆発した。かと思った。左目の目尻のあたりから始まって頭の左半分全部が恐ろしく痛んだのだ。本当に頭が内から外に向かって吹き飛んだのかと思うほどの痛みだった。おれは軽く背中を反らせた形で声も出せずに苦痛に耐えた。がんがんがんがんと激しい痛みがおれの頭に襲いかかる。あまりのことにぼろぼろ涙が流れはじめてもまだ痛みはやまない。


 まるで誰かがおれのことを激しく殴り続けているみたいだと思って、意味がないのは分かっていたが横目で左の方を見た。するとそこには凶悪な顔をしたひどく小さな老人が立っていて、おれの頭をシャベルで殴りつけていた。やめろと言ったつもりだったが、シャベルはおれの鼻を直撃し、さらなるダメージを加えて来た。やめろ、やめろ、やめてくれ。おれは何とかそう呟きながら、襲撃を逃れようとした。


「おれさまの畑を荒らしやがって」小さな老人は身体に合った甲高い声でそういうとまたシャベルを振り上げた。「おれさまの畑を荒らしやがって」

 おれさま? 自分のことをおれさまと呼ぶやつが本当にいるんだ。と妙なことに感心しつつ、同時に、このじいさん、同じことを二回言ったなと思った。なぜなら、おれもよく同じことを二回言う癖があって、なんとかそれをやめたいと思っていたからだ。


 ずるずると、おれは背中を地面に引きずるようにして半身を起こし、左腕を支えにして老人に向かい合った。驚いたことに老人と目の高さが同じになった。老人は身長わずか五十センチくらいしかない。くしゃくしゃの帽子をかぶり、白いあごひげをたくわえ、まるでもう白雪姫の小人そのままの姿だ。何か言わなければと思っておれは口を開いた。


「すみません」なんで謝ってしまうんだろう。我ながら情けなくなってしまう。「すみません。ここはどこですか。畑のこと、すみません。おれ、なんでここにいるのかわからないんです」

 言いながら気がついたが、おれはなぜ自分がこんな所にいるのか全然わからなかった。まわりに目を走らせるとそこはどうやら山の中らしく、そしておれには自分が山の中に倒れているというような状況を説明することができなかった。


「立て!」

 小さな老人が叫んだ。おれはよろよろと立ち上がった。頭ががんがんと痛んだ。思わず両手で頭をかかえて、それから手を見ると、左手にべっとりと血が付いていた。

「血が出ておる」

 老人が分別臭く言った。

「あんたが殴るからだろう!」

 さすがにおれも腹を立てて言った。

「違う。おれさまが殴る前から血が出ておった」

「何だって?」


 どういうことだ? おれは頭から血を流しながら山の中に倒れていたというのか? 一体何があったのだ? なぜ怪我をし、なぜこんなところにいるのだ? おれは自分が倒れていた木の幹につかまり、身体を支えながら周囲を見渡した。だが、もちろんそんなことをしても何の役にも立たなかった。そこは山の中のちょっと平らな場所で、周りにはたくさん木が生えていて、おひさまの光が優しく降り注いでいるが、何度見直そうと全然見たこともない場所だったのだ。


「ターニング・ポイントだ」

 老人が言った。

「え?」

 振り返るとそこには誰もいなかった。おれは誰もいない気持のいい森の中で、激しい頭痛を抱えてひとりぽつんと立ち尽くしていた。


(「ターニング・ポイント」ordered by クラオカシキ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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