三章 キメラの少女④

 外は既に陽が傾き始めており、暗がりに沈む家々からはぽつぽつと灯りが点き始めていた。姿の見えないカラスの鳴き声が周囲に響き、辺りに夜の世界の到来を知らせているかのようだ。

 杜ノ宮はバルコニーに置かれていたテーブルに買ってきた栄養ドリンクや清涼飲料水、パンやりんごなどの詰まったビニール袋を置き、塀に手を置いて外を眺めた。

「この辺りは高台にあるから綺麗ですね。円さんは、本当にいい所に住んでおられます」

「確かにな」

 実際、いい所に住んでいると高村は思った。しかしそれは彼の場合、単に場所というだけでなく、この建物に関してもそうであった。四方坂曰く、昭和も終わり頃に建てられたこの洋館自体は数年前に格安で買い取ったものなのだという。安いのには理由があった。それは、十年近く前に屋敷の前主人がここで自殺を遂げたからだった。

 曰く付きでかつ怪奇現象の噂までっていた洋館に買い手など付かず、日に日に価格は下がっていったのだという。そうして少し懐に余裕がある者なら手が届く位の値段まで下がっていた時、丁度物件を探していた四方坂はこの物件を購入したのだという。

 中身は四方坂が入ってから一度リフォームが施されており、空調設備や水回りなど、所々にその影響が見られた。

「高村さんは、学生生活は楽しいでしょうか?」

 ふいに、杜ノ宮は尋ねてきた。

「ん? ああ、学生生活ね。まあそれなりに楽しいよ。って言っても、漫画やアニメみたいに取り立てて派手な事があったりするわけじゃないから、結構地味な学生生活だけど」

「そうなんですか。じゃあ、文化祭とか体育祭で告白とか起きたりも無いのでしょうか?」

「うーん、そういう事も無いわけじゃないけど」

「じゃあ、思っていたより地味じゃなさそうです。凄いな」

 感慨深げに杜ノ宮は言った。

 高村が少女を見ると、緩やかな風が吹いて少女の髪が稲穂のように揺れていた。その横顔は憂いを帯びているようでもあり、また、微笑んでいるようにも見えた。一体彼女は、何を思っているのだろうか。

「高校って定時制や通信制なら入れる筈だけど、杜ノ宮さんは、そっちは考えないのか?」

「確かに中学の卒業証明書などがあれば、私みたいな人間でも受け入れてくれると思います。ですが、とても身勝手な事なんですが、私は全日制の高校に通ってみたかったんです」

「そう、か」

「ですが、それは適いませんね。法律上は可能だと言っても、実際にそんな話は聞いた事がありません。考えてみたら可笑しいですもんね、わざわざ社会人が全日制の高校に入る理由が見当たりません。中卒の人が高卒の資格を取りたいなら、それこそ定時制や通信制に行けばいいですし、高卒認定試験というものもあります。それによしんば入学出来たとしても、真っ当な人生を送れてない私が、ちゃんとした人生を歩んでいる人達の中に入ってやっていけるとは思いません」

 高村は何も答えられなかった。杜ノ宮は色々と調べたのだろう。漫画やアニメとは言わずとも、もしかしたら自分も青春、などというものを感じられるような日々を過ごす事が出来たのかもしれない。そんな事を考えた事もあったかもしれない。しかし、現実は彼女に優しくなど無かった。

「大学への進学は検討中です。こんなんですけど、一応勉強もしてるんですよ」

「そうなんだ。じゃあひょっとしたら、俺より頭いいかもな」

「いえ、そんな事は無いと思います。でも、まだ進路は悩み中です。専門学校も考えてます。手に職を付けると困らないって聞きますし」

「そうだな。しかししっかりしてるな、杜ノ宮さんは」

「そんな事無いです。そんな事は」

「でも俺はそこまで考えて無いよ」

「そうなんですか?」

「ああ。大学には進学するつもりだけど、そうするのが当たり前だから自分も大学には行った方がいいだろうって流されてるだけだし。勿論、俺の周りの人間はちゃんと将来の事も考えて学部やどの大学を目指すかを決めてる奴も多いけどさ」

「それならあまり私も変わらないです。私も深く考えきれてないですから。結局将来もぼんやりしてますし」

「はは、そうかな」

「そうですよ」

 そう言って杜ノ宮は笑う。

「杜ノ宮さん」

「はい?」

「嫌だったら答えなくていいんだけど、ハンター、だっけ。何故それになろうと思ったのかな」

「二つ理由があります。一つ目は難しい理由ではないです。私も、生活しなければなりませんでしたから」

「生活ね」

 それにしては厳しすぎる生業だと高村は思う。ハンターが狩るのははぐれ者の魔術師。四方坂によると、はぐれ者とされるのは表世界であればテロリストであったり、ほぼ確実に死刑になるような危険な人間達であるという。にも関わらず、彼らは表世界で殆ど捕まえる事が叶わない。何故なら、彼らは細心の注意を払って行動する生き物であり、仮に事件を起こしても、事件が起きたと勘付かせないように動くし、たとえ勘付かれたとしても、しばしば魔術や魔術道具を使って証拠を隠滅したり、姿をくらましたりするからだ。そこで生まれたのがハンターである。魔術や呪術に精通している彼らは表世界における刑事や探偵のように犯人を追い詰めていき、最終的に犯人を生け捕り、あるいは処断するのである。

「でも、かなりのお金が入るって聞いたけど」

 ハンターは基本的に命懸けの仕事である事を意味する。そのためか、その報酬も非常に高いという事である。そしてそれを肯定するように、杜ノ宮は頷いた。

「そうですね。確かに、余程の贅沢ぜいたくをしなければ当面先の生活には困らないと思います。ですから、一つ目の理由は今は理由としては薄くなってきています」

「じゃあ、もう一つ目の理由のためにやってるって事か」

「はい。もう一つの理由は、かつて、姉、だった女の行方を探すためです」

 杜ノ宮の発した「姉」という言葉、そこには何処か憎たらしさと悔しさが含まれているように高村は感じた。

「もしかして、杜ノ宮さんは姉の事を」

「はい。円さんからお聞きしたんですね」

 高村は黙って頷く。

「私は、私の姉を許せません。必ず探し出して、あの女に必ず過去の清算をさせます」

 そう言った杜ノ宮の目には強い意思が、言葉には固い決意が宿っているように高村には感じられた。彼女の今この一瞬だけを切り取ってしまえば、誰もが普段の彼女がどういう人物かを履き違えるだろう。それ程までに、この時の彼女は別人物のような雰囲気を纏っていた。

 復讐なんて事は君には似合わない、辞めてほしい。そんな事は、高村には到底言えなかった。

「なんか、重たい話をしてしまいましたね。飲み物を飲みませんか? 折角買ってきたので」

 杜ノ宮はテーブルに置いていたビニール袋の一つからペットボトルと紙コップを取り出す。

「そうだな。じゃあお言葉に甘えて」

「高村さん。実は私、市内を見回っていたのですが、一人、はぐれ魔術師の居場所を掴む事が出来ました」

 杜ノ宮は紙コップに飲み物を注ぎながら、言った。

「それは一体誰なんだ?」

「中恩寺類です。拠点を使い魔に見張らせていて、今は不在のようなのですが、いずれ戻ってくるかと思います」

「成程な」

「どうしますか?」

「もたもたしていると逃げられるかもしれないから。夜、早速仕掛けよう」

「分かりました」

 上手くいけば今日で終わるかもしれないな、そんな淡い期待を抱きながら高村は街を見下ろした。

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