骸の御返し

森川月日

前編 森

 私を殺すなんて、酷い男だ。

 私は、私の身体にのしかかる重たい土をかき分けて地上へと這い出た。背の高い木々に囲まれた森林地帯。空を見上げると満月があって、その明かりで辺りは薄く照らされている。私を食べようと狙っていた獣や虫達は、上半身だけ地面から飛び出した私を見て一目散に逃げ去った。

 私は口の中に入り込んだ泥をぺっと吐き出した。落ち葉が絡まる髪の毛を右手で触ると妙に粘ついていて、確認すると血糊がべったりとくっついている。頭を固い物で殴られたようで後頭部は変形していた。視線を身体に向けると高校の制服を着たままで、首からお腹まで幾つも刺し傷があった。頭を殴った上でめった刺しにされたらしい。殴られた時点で私は死んでいた。ナイフを持ち出したのは強い憎しみか、それとも怯えからなのか。

 両手で土をかき分けて脚を出す。泥だらけのスカートと青白く痛んだ脚、紺のハイソックスが見える。靴は両方ない。ゆっくりと立ち上がり、両腕を上げて伸びをする。身体のあらゆる関節から音が鳴った。


「あ~ムカつく」


 交際をお断りしただけで殺されるなんて意味が分からない。丁寧に断ったのに。身体の傷を数えると全部で20か所もあった。私の血で真っ赤に染まった白い制服。背中を触ると腰にも傷がある。多分、お腹から刺されて背中まで貫通したのだろう。そこからおなかの中身がみんなこぼれ落ちたみたいで、全身が奇妙に軽かった。こんな格好では人前を歩けない。財布もないし、携帯もない。ここがどこだか分からない。


「許さないから」


 取り合えず歩こう。できることはそれしかない。

 私は夜の森をあてもなく歩きながら、自分が死んだ後の世界を想像した。多分、死んでから5日ぐらい経っているから、お母さんもお父さんも大慌てしているだろう。心配性な二人だから仕方がないことだけれど、落ち込んでいないだろうか? 友達はどうだろう。泣いてくれる子はいるだろうか? 私の無事を祈ってくれる子はいるだろうか?

 森をぶらつき始めてから十分ほどで、私は仲間を見つけた。頑丈な木の太い幹に縄をかけて首からぶら下がっているおじさん。足元には青いショルダーバッグ。丁寧に革靴を並べて、財布と封筒が置かれている。顔は青白く膨れ上がり、舌は飛び出し、目も半分ほど飛び出している。虫が集っているし、酷いにおいもしているけれど、私も同じだし、いずれみんなそうなるのだから悪くは言わない。


「おじさん、ここがどこだかわかる?」


 問いかけると、おじさんは木に吊られたまま飛び出した舌を口に仕舞い、上転していた黒い瞳を私に向けた。


「森だよ」

「それはわかってるよ」


 私は馬鹿にしないでという意味を込めて両手を腰に当てて怒った。おじさんは私の身体を無遠慮に眺めて顔を引きつらせる。


「君、まだ若いのに、酷い死に方をしたんだね」

「死に方に年は関係ないでしょ」

「そうだけれど、気の毒だと思ってね」


 そう言うと、おじさんの眼窩から目玉がこぼれた。おじさんは慌てて目玉を両手で捕まえて眼窩にはめ込んだ。


「私のことは気にしなくていいよ。そのまま腐るんでしょう?」

「せっかく最期に会えたんだから、失礼はないようにしたい」

「おじさん、真面目だね」

「そうさ。だから自分で死んだんだよ」


 私はおじさんがぶら下がっている大きな樹木にもたれかかり、地面から飛び出している固い根に腰を下ろした。体重がかかっている腰とお尻が酷く凹む。私の身体は熟んだ果実のようだ。柔らかく、脆い。


「封筒、気になるかい?」


 おじさんが尋ねた。実は、ずっと目に付いていた。私は小さく頷く。


「見てもいいよ」

「え?」

「誰であれ、読んでもらうために書いたんだ」


 許可を得た私は封筒に手を伸ばして糊付けされた封を開けた。折り畳まれた手紙と、古い写真が一枚入っている。まずは写真を取り出そう。スーツを着た若い男性と、薄紅色の着物を着た女性、おしゃれをした小さな男の子が私に向かって笑いかけていた。


「これ、おじさん?」


 私は若い男性を指さした。


「そうだよ」

「恰好いいじゃん」

「ありがとう」


 今やただ腐り果てるのを待つだけの肉塊。そんな彼の生前の写真は精悍で逞しかった。きっと偉い役職に就いていたに違いない。隣に立つ女性もまた美しかった。


「これ、奥さん? 綺麗な人だね」

「そうかい? 彼女も喜ぶよ」

「どうやって知り合ったの?」


 おじさんは照れ臭そうに笑った。少年のような笑顔に私は親近感が湧く。彼が笑うと木の幹がぐらぐらと揺れた。


「学生の頃、君の年ぐらいかな。同じクラスで、付き合い始めたんだ」

「素敵」

「君には恋人がいたのかい?」

「いないよ」

「好きな人とか」

「いいな、って思う人はいたんだけれど」

「いたんだけれど?」

「とられちゃって」

「あらら」


 おじさんは残念そうな声を上げる。けれど、表情は明るかった。私はちょっぴり不愉快な気持ちになった。


「どうして嬉しそうなの?」

「いや、眩しくてね。青春は甘酸っぱい」

「そう? 私、告白を断った男子に殺されたよ」


 おじさんは絶句する。私は右手をプラプラと振った。「気にしないで」という動作のつもりだったけれど、プラプラと振った私の右手は所々紫色に変色しており、逆効果だったかなと思った。


「私、最期に復讐するんだ」


 おじさんは私をじっと見ていた。私は頭上からの視線を感じながら気付いていないふりをした。そしてそのまま、写真の小さな男の子を指さした。


「おじさんの子供?」

「うん、そうだよ」

「かわいいね」

「ああ、私の宝物だ」


 おじさんの表情が和らいだ。私は首を傾げる。大切なものがあるのに自分で命を絶つなんて不思議だ。私の性分では、不思議に思うと尋ねずにはいられなかった。


「おじさん、答えたくなかったら答えなくていいけれど」

「なんだい?」

「なんで死のうと思ったの?」


 おじさんは目を伏せた。


「息子が君を殺したからさ」


 私はおじさんと写真の子供を何度か見比べて「そうなの?」と尋ねた。おじさんはゆっくりと頷く。その頷きによる加重の変化で幹が折れ、おじさんの身体は地面に崩れた。おじさんは操り人形の糸が切れたみたいにそのまま動かなくなった。

 私は動かなくなったおじさんをしばらく眺めてから溜め息を吐くと、彼の瞼をそっと閉じた。そして、封筒の文章をぼんやりと眺めた。人柄の滲み出る丁寧な文字で長々と謝罪が書かれている。でも、私が注目したのは最後の文だけだ。


「全ては私が悪いのです」


 私は笑った。


「おじさん、安心して。また宝物に会えるよ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます