第315話:最終局面
紅月の右腕が紅の禍々しい装甲に覆われる。
それだけでも強烈な威圧感が襲ってくるのに、また彼は余力を残しているのが呆れる程に力の差を感じさせた。
恐らく、具現器の力を五割も発動していないのは来るべき戦いに備えて、力を温存しているに違いない。
今や最強の敵と化した楓人に加え、渡とも争う可能性を考えるといかに紅月と言えども考えなしに力を振るうわけにはいかない。
比類なき力を持ちながら、冷静な大局観を持つ。
「さっすが、だけど……」
逆に言えば紅月はこの場で出せる力が限られる。
唯を侮ってもいないが、正確に彼女の今の力量を見積直した結果が片腕だけで十分に勝てるという分析だ。
「っ、はあッ……!!」
呼吸と共に振るわれた刃は容易く紅の腕に弾かれていく。
傷一つ付けられないが、右腕で防ぎきれない手数を浴びせれば隙が見える。
一つ、二つ、合計七つ。
徐々に加速していく唯の斬撃に紅月はわずかに目を細めた。
夢にも思うまい、唯が先ほどまでの斬撃の速度を微かに緩めていたことを。
力の差がある相手の力量を完璧に見積もれる紅月だからこそ、彼女が意図的に調整した戦力を正確に見誤った。
彼女が勝つには最初から、これしかなかった。
両手で振るった刃、それを紅月は手の甲で弾くと唯が明確な隙を晒したのを見て取った。刃を弾かれた以上は、唯の攻撃手段はなくなった。
「お前の―――」
「勝ちだねッ!!!」
空中で体を捻って更に紅の装甲を外に蹴り飛ばして勢いをつけ、唯は空いた左手を握り締めると剣を手放した。
唯が見誤らせた戦力は、もう一つだけある。
彼女がこれ以上、己の能力の最大出力を伸ばすことはない。
だが、手放した剣を瞬時にエネルギーへと変換して次の具現化を為す。
剣を振るいながらの銃を操ることは出来ないが、手放してからなら最大出力の銃弾で相手を撃ち抜ける。
「………ッ!!」
躊躇ったのは一瞬、唯は容赦なく引き金をひいた。
この程度で彼は死なない信頼はあったが、この勝負は敵が万全でないとはいえ唯の勝ちを確信できている。
貫けるだけの威力はある、右腕の防御も具現器の展開も間に合わない。
かくして決着は、ついた。
「俺の見立てが甘かったと言うほかにないな」
紅の霧に近いものが紅月の胸の前に集結し、弾丸を粉々に打ち砕いていた。
あれだけ紅月の見立てを狂わせ、速度を把握して戦略を組み立てたのに具現器の展開が間に合うはずがない。
銃を瞬時に剣に変え、再び構えを取った唯へ紅月は静かな眼差しを向ける。
「予想以上だったよ。だが、俺を出し抜くには至らない」
「あのタイミングで防がれるのは、ちょっと参っちゃうなー」
「速度を緩めているのは気付いていた。ならば、逆手に取って同じことを俺も実行すれば、策に溺れるのはお前の方だろう」
未だに失敗した理由がわからずに精一杯の軽口を叩く唯に、紅月が語る言葉は最初から可能性など皆無だったのだと思い知らせるものだった。
唯の策を紅月は看破していたが、唯が能力を結果的に強化してきたのが予想外の事態だったのは間違いない。
それでも、紅月を動揺させるほどの未知ではなかった。
「冗談キツいなぁ、ってことは最初から」
「俺と互角に渡り合っているつもりだったか?お前は最初から全力で俺を潰しにくるべきだった。それでも確率はほぼ皆無とはいえ……だ」
少なくとも、唯が全力で最初から一撃を放っていれば無傷とは行かなかった。
今の完全に詰んだ局面より幾らかまともな戦いになった可能性も皆無ではない。しかし、紅月は全てを見通した上で完璧な罠を張った。
速度だけなら唯でもそれなりに張り合える、と思わせた。
だから、彼女は今回の戦略へと誘導されてしまった。
「これだけの力の差がある俺に情報さえ渡して、超えられると思ったか?」
要するに、何も及んでいなかったのだ。
真っ向勝負も、奇策も、先を見通す力も、成長でさえも。
この男に勝てる変異者など存在しないと今更になった絶望が押し寄せてくる。
「だか、らってッ!!」
剣を振り上げた瞬間、紅の閃光が走る。
それは唯の具現器の刃を粉々に打ち砕く。再生は容易いが、唯は再び戦うことを一瞬だけ躊躇ってしまった。
「思いのほか簡単に折れたな。心も
変異者の強さとは己の心の強さも大きな要因で、それが折れかけている今になって唯が紅月には時間稼ぎすら満足にいくまい。
しかも、相手はまだ真の力を見せていない。
彼女は踏みとどまった。
今までなら折れていただろうが、彼女の心を支えたのは二つ。
「誰が折れたって?こっから大逆転といくつもりなんだからさぁ」
何も手立ては残されていないし、紅月が仲間だった者に対して躊躇いを持っていた内に勝負をつけられなかった時点で詰みだ。
それでも、漆黒の具現器を纏った彼ならここで膝をつきはしない。
加えて、彼女は紅月を止めるためにここまで来たのだ。
「残念だが、お前との縁もこれまでだな」
具現化した紅の刃は打ち下ろされ、防ごうとした刃さえも砕かれる。ああ、本当にここに死ぬのだと諦めに近い表情で唯は目を閉じた。
黒の騎士も誰一人としてここまで辿り着けはしない。なぜなら、唯は彼らを置いてきて最速でここまで来てしまった。
仲間だと言ってくれたのに捨て去った報いだ。
「俺達の縁まで勝手に終わらせんなよ」
目を、開ける。
漆黒を纏った脚が、紅月の後頭部を強襲するのを目にした。
無論、むざむざと喰らう彼ではなく腕で容易く弾くも後方へと回避する。
いきなりの蹴りを見舞った少女は弾かれた勢いを利用して、そのまま膝を曲げて着地。唯は何者かに抱えられていることに今更になって気付く。
「来たか、待っていたよ」
紅の王は愉しげに笑みを浮かべ、己を除けば最強の都市伝説を迎える。
「唯、下がってろ。あいつとは俺達がやる」
この大災害において、最終局面。
カンナと目線を交わし、ただ真っすぐに戦う名前を呼ぶ。
「―――行くぜ、アスタロト」
漆黒の騎士は君臨し、紅へと蒼色の双眸を向けた。
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